2000年6月1日開設 海のアトリエはチェリーのお人形と絵のサイトです
第51話〜第100話
51■そういえば、・・・
■ちづる:2000年11月日< 金>
今日は、子供の部活の小学校最後の公式戦で、夕方6時から打ち上げがあったんですが凄く盛り上がって、帰途についたのは、9時を回っていました。
楽しすぎて、皆さんお店の方からもうそろそろと促されるまで、時間に気がつかなかった。
解散して、皆さんに挨拶をし、友人家族と、徒歩で帰ることになりました 。
帰る途中に、小学校があるのですが、子供達が夜の学校を、見たいと言い出しました。
裏門が、人一人入れるくらい開いてました。入ろうとする子供達、そのとき、えも言われない、違和感と、足元からぞわぞわと何かが這い上がってくる気配、 思わず 、
『やめなさい』 と小声ですが言ってしまいました。 すると、一人の女の子が、 『
私もなんか変だ』 と言い出し、とにかく、寄らないほうが絶対良いような気がすると、全員学校に入ることなく無事に家へ帰りつきました 。
何かいたのでしょうか?久々に、実体験でした 。また、あんまり怖くはない、お話でした
52■連れて来てしまったもの
■チェリー :2000年11月24日< 金>
母が霊感が強いと言う事は何度かお話いたしましたが、それを受け継いだのが、うちの息子と妹の所の下の息子です。
今回は、その霊感の強い甥の話です。
甥は、現在、高校二年生、仲良しの友人がいますが、その子がまたかなり霊感の強い子だそうで、二人揃って行動すると、色々起こるようだと妹が教えてくれました。
ある時、甥とその友達が偶然お墓の傍を通りかかったそうです。
すると、何か判らない「ゴーッ」という音が聴こえてきたのです。
何だろうと気になり、二人してして足をとめました。
その場で音に聞き入っていると、「ゴーッ」という音は次第に大きくなってきました。
二人を圧倒するように大きくなった音は、何とも言えない恐ろしい感じがして、二人は、気持ちが悪くなったと言います。
「怖かった~!!」 と青い顔をして帰って来たそうです。
その夜は電話に妙な雑音が入ったりしておかしかったのですが、他には特に何事もなく次の日になりました。
甥が学校から帰って来て妹のいるリビングのドアを空けた瞬間、いきなりテレビがつき、留守電のテープが勝手に流れ、つけていなかったパソコンが起動したのだそうです。
まるで狂ったように電化製品が一斉に勝手に動き出し、二人ともびっくり仰天しましたが、聞くと甥は、よせばいいのに、昨日音がしたお墓が気になってまた友達と行ってみたというのです。
これはいけないと、即、ろうそくを燈して、お線香を焚いて心から手を合わせたそうです。
宗教も何もなく、お経もなかったのですが、気持ちが大切なのかもしれません。
それっきり、何事もなく収まったという事です。
蛇足ですが、皆様もこのページを読んでうすら寒いというような時は、お帰り下さるよう、心から念じると効き目があるのではと思います。
53■不穏(?)なったら
■NORMA:2000年11月22日< 水>
11月23日< 木>
開かずの間…あっというまに集まっておめでとうございます
.と 思わず書いたけど…なんだか…???
書いたりしゃべったりしてると確かに通じちゃうような気がしますよね。
私もそうなので…普段この手の話はしないのですが(弱虫です(^^;)
いたずらは困りますね~。早く出て行って下さったらいいのですが…。
私はいつも不穏(?)になったら
「私は知りません。私はあなたを助けられません。 ごめんね。だから構わないでね」
とひとりごと言ってます(^^;
私のその方法?はこちらに載せていただいたローマの一件から やり始めて以来まったく不穏にならなくなりました。(笑)
相手に敬意を払う事も必要みたいですね…。
・・・・以上は掲示板にご投稿いただいたものをまとめました。
最近我が家に霊のお客さんがご滞在になって困っていましたが おかげ様で出て行っていただきました。
とても、効き目があって助かったので、もし、このコーナーを読んでいて 何かおかしいという時は試してみてくださいませ。(管理人)
54■背負い水
■ちづる:2000年11月24日< 金>
どなただったか忘れたのですが、こんな事を言っておられました 。
『背負い水』
人間は、生まれてから死ぬまでに 使える水の量が、決まっているのだそうです。
生まれてくるときに、その水の量を背負って生まれてくるから 背負い水というと言っておられました 。
だから、日々使う水は無駄をせず大事に使わなくてはいけない。
節約のために、語り継がれただけの言葉かもしれませんが 開かずの間の、私の食い扶持と言う所を読んで、急に思い出しました 。
ちょっと寒いので、怖い感じのお話は、今日はこの辺で。。。
55■怖いよ〜!!
■チェリー :2000年11月25日< 土>
妹一家は旦那の仕事の関係で数年間アメリカのロサンジェルスに住んでいました。
二人の甥たちのうち、下の子が霊感が強いと言う事は前に書きましたが、その子が3年生の時にアメリカで起きた話です。
妹たちはアメリカにいる間にいろいろと見てまわろうと、お休みの度にあちこちに足をのばしたようです。
その年のクリスマス前も家族で、サンタバーバラの、とある有名な教会に観光に行きました。
知らずに行ってしまったのですが、そこは開拓時代に虐殺されたネイティブアメリカンの霊を数多く奉ってある教会だったそうです。
教会に行った次の夜からそれは、始まりました。 夜の2時頃になると、甥がいきなり、
「怖いよ~!!」 と絶叫して、ベッドから起き上がり部屋中駆け回って、壁に頭を打ちつけたりして暴れ回るのです。
翌日には全くその事を覚えていない・・・・。
何も出来ずただ、危険がないように抱きとめて落ちつくのを待って寝かせるという日が続きました。
妹も困り果ててカウンセリングなども受けたそうですが、夜驚症という診断名がついただけで (そんな事は言われなくても判っている訳ですが)結局何の解決にもなりませんでした。
それは、毎晩繰り返され、結局3ヶ月も続いたのだそうです。
そして、3ヶ月たったある日、急に無くなったそうです。
はじまったときと同じように、唐突に。
だんだん良くなったり、減ったのではなく、パタリとやんだのだそうです。
あれは、絶対あの教会に行ったせいだと今でも妹は言っています。
56■公園に立つ人
■MP:2000年11月25日< 土>
高知県出身の女の子から聞いた話です。
彼女が高校生の頃の話。
学校からの帰り道、時刻は黄昏時。
その日、彼女はひとりで住宅街のはずれの道を歩いていた。
自宅に向かうその道は、まったくの田舎道で、鬱蒼とした竹藪があったり、 人家や道路の照明もまばらだった。
彼女はその道を歩くのが嫌いで、その日もウォークマンを聴きながら足早に歩いていた。
ちょうど家までの道程の半分ぐらいのところに、二方を山林に囲まれ右手に墓地が隣接する公園があった。
道はその公園を右手に見ながら、ゆるく右にカーブする上がり坂。 道路と公園は同じ高さではなく、3メートル位の石垣とちょっとした土手があり、その上が公園となっている。
公園の出入り口は両端にあり、 両方共けっこう勾配のある階段になっていて、手前の階段は隣接している墓地の入り口も兼ねている。
彼女がその最初の階段を通り過ぎたときウォークマンの音量がワーンといきなり上がった。
思わずイヤーホンを引きちぎるようにはずし、立ち止まって調べたのだがボリュームのレベルは変わっていない。
ふと、彼女は視線を感じた。 誰かにみつめられてる…。
視線をめぐらせて、右手の公園を見上げた時、若い男がじっと彼女を見下ろしているのに気が付いた。
あたりはもう薄暗くなっていたので表情まではよくわからなかったが、彼は身体の右側に自転車を置きハンドルを握って立っていた。
彼女はその頃、ある男子学生につけ回されていたので、そのときもその子に違いないと思い、無視して歩きつづけたが、その間もゾクッとするような視線は感じていた。
30メートル程先の2つ目の階段のところまで来た時、我慢できずにもう一度公園を見上げてしまった。
そこには、さっきの男が、全く同じ格好で、同じように自転車のハンドルを握ってじっと立っていた。 まるで30メートルの距離を平行移動したように…。
彼女は思わず目を凝らして見返した。
そしてあることに気が付いた。
……顔がある。
その男の肩の横。左脇の下。腰の横…。いくつもの顔が…。
人の後ろに隠れて頭だけひょいと出している感じだったという。
いくつもの顔にみつめられ、視線をはずせなくなった彼女は、金縛りの前兆のようなものを感じた。
このままじゃいけないと思い、渾身の力を振り絞ってその場を離れた。
すぐ近くの人家に飛び込み、玄関の戸をどんどん叩いたが、誰も出てこない。
足から力が抜けて玄関先に座り込んでいると足音が近づいてくる。
足音の主は、近所に住む同級生の男子学生だった。
彼女は思わず「たすけて!」と叫んでいたという。
出入り口が急な階段になっている公園に自転車を担ぎ込む人っています? 彼女はそう言ってこの話を終わった。
57■白い影
■チェリー :2000年11月28日< 火>
数々の体験をここに書いてまいりましたので、あるはずの無いものを 見た経験が多いように思われる方もあるかもしれませんが、 私の体験は、話し声や足音を聞いたり、気配を感じたりした事ばかりで 見るという事は今までありませんでした。
目をつぶっても浮かんでくる映像とか、夢とも現ともつかない状態で 見たと思うという程度です。
でも、去年の事になりますが、たった1度だけ、あるはずの無いものを見ました。
眠っていたのでも、眠かったわけでもありません。 しかも真昼の、それなりに人も乗っている電車の車内での事です。
何の用事で一人出かけたのか忘れてしまいましたが、昼間でしたので 電車は空席が半分くらいの感じに、ばらばらと人が座っていました。
立ってぼんやり車窓の風景を見ているのも好きですが、 その時は座って、吊り広告を目で追っていました。
視力が1.2あり、たいがいのものが良く見えるので、たいくつしのぎに 週刊誌の見だしなどを読む事が多いのです。
向かい側の座席上の広告に目を移すと、視野の端に髪の長い若い綺麗な 女性の姿が見えました。
白黒写真のように色が無く、白っぽい影のようなその姿は, 私と向かい側の人との間の、つり革の下あたりの高さに浮いているのです。
びっくりして正視しました。
向こう側が透けて半透明の白い女性の上半身、胸から上あたりが 特にはっきりと見え、手足はぼやけて消えています。
長いストレートヘアーは真中分けで、目の大きい整った顔立ちでした。 なんとなく、70年代風のファッションや化粧の印象の女性です。
他の人は見えているのだろうかとまわりをうかがってみましたが 誰も気付いていない様です。
思わず隣の人に、「ねえ、あれ、あなたも見えます?」と聞きたい衝動に 駆られましたが、ぐっとこらえました。
他の人に見えないなら、「まるで、危ないおばさんじゃない」 という自制心が働いたのもありますが、にわかには自分の目が信じられなかった という方が本当の気がします。
何かの残像??とも思いざっと、車内を見回しましたがそんな女性のポスター などもありません。
何より、視点を移動しても女性の姿は同じところに留まって動きません。
「残像じゃなければ、何で見えるの??」 「でも、ほんとに見えるよね・・・」
と、自分に言い聞かすようにじっとそれを見つめると その白い影はタバコの煙が形を変えるような感じで、すうーっとぼやけて 消えていきました。
不思議と少しも怖くありませんでした。
場所や時間のせいもあるかもしれませんが、見えた女性がとても綺麗だったのも あるのでしょう。
それにも増して、今のが何か判らなくて、実感が湧かなかったというのが本当の ところでしょうか、
あれは何だったのでしょうか?同じような体験をされた方はおられますか?
58■59■チェリーさまへ
■MP:2000年11月28日< 火>
57話「白い影」読ませて頂きました。
ところで、その女の人の視線は、どこに向いていました?
私の知る実話では、ある公務員の男性が通勤の途中、海辺の道の土手の 上で海のほうをみつめながらたたずんでる、若い女性に気が付いたそうな。
毎日、同じ場所に立ってじっと海を見ているのだ。
ある日彼は、その女性がこの世の人ではないことに気付いた。
まったくチェリーさんの見た女性と同じで、下半身が透けて見えている。
彼はそれでも動じず「美人の幽霊だ」と思って、毎日彼女のそばを通り過ぎ ていたそうだ。
ある日、その場所に近づいた彼は違和感を覚えた。
なにかが…いつもと違う…。 その違いとは…。
昨日まで海をみつめていた彼女が、きょうは彼の方をみつめているのだ!
首だけ90度こちらに向けて!
次の日、彼女の姿は土手の下にあった。
その次の日、彼女は、彼の自宅の玄関の前に立っていた。
四日目、帰宅して扉を開けると、彼女は玄関の中に立っていた。
そして最後の日…彼女の姿はなかった。
その夜、ふとんに入った彼がふと上を見ると、彼女が天井に張り付いて、 彼をじっと見下ろしていた…。
この話は当時、体験者の彼の実名手記が週刊誌等に載り、騒がれたそうです。
もうひとつ、
私の友人の目撃談。
白昼の街中。
人通りの多い道を向こうからおばあさんが歩いてきたそうな。
すれ違う人たちを「突き抜け」ながら…。
女性の視線は窓の外を見ていました。
毎日乗る電車じゃなくて、良かった・・・?(管理人)
60■留守番
■チェリー :2000年12月3日< 月>
7、8年前に買った別荘の話です。
別荘といっても、中古の普通の民家で、住人が居住しながら、売りに出していたものを気に入って買ったのです。
そこに住んでいたのは80代のおばあさんと50代の娘さんの二人でした。
その前の年まで、おじいさんが元気だったのですが、急に亡くなられて女二人では田舎暮らしは寂しいし、 何より娘さんの通勤に時間がかかって不便なので、狭くてもいいのでもう少し便利の良いマンションにでも住みかえるつもりで、もう1年近く売りに出していたようです。
折、悪しく、バブルもはじけて地方の馬鹿高かった土地が年々下がっている時だったので、さっぱり買い手がつかず、困っていたようで、話がまとまった時は、二人ともとても喜んでいました。
家は築7年くらい、まだ充分綺麗で、手入れせずにすぐ使えました.
永住している人もいますが別荘の多い土地柄で駅や海水浴場からも近く、家族も気に入り、喜んで、双方めでたく事は運びました。
別荘を買おうと思い、それまでにも随分と、あちこち見て回っていました。
新築では値段が高すぎるので、見て回ったのは中古物件ばかりだった為か、 中には廃屋のようなものまであり、そこまで行かなくても何か暗いムードや、嫌なものを感じたりして、なかなか、この物件が良いという物に出会えないでいました。
けれど、その家は、なぜか懐かしいような、ずっと前から自分の家だったようなそんな暖かい感じがして、一目で家族全員が気に入ったのでした。
その家を別荘として時々利用するようになって妙な事に気がつきました。
消したはずの台所の電気が点いていたりするのです。 はじめは、思い違いと考えたり、家族の誰かが点けたのだろうと気にも留めなかったのですが、度重なると、さすがに気になります。
しまいには、台所ばかりか二階の寝室まで、電気を全て消して真っ暗にして寝たはずなのに豆電の灯りに目が覚めるという始末。
誰が言うともなく、亡くなられたおじいさんの仕業という話になりました。
おじいさんは大工仕事が好きな人で、庭に素人が作ったと思えない立派な二階建ての物置が建っており、おばあさんが得意そうに 一人で主人が作ったんですよと言っていましたが、家の中もそこここに便利が良いように棚をつけたり、濡れ縁をつけたり手を加えた跡があり、主のおじいさんの気配が漂っている感じがするのです。
何となく気になって、前の住人と仲の良かったご近所のおばあさんに
「おじいさんはどちらでお亡くなりになったのでしょうか?」
「急に亡くなられたと聞いたのですが、お家でですか?」 と伺ってみると、
「旅先で急に亡くなられて、そちらでお葬式もしてしまったので あの家には遺体も帰ってないんだから、気持ち悪いことは何もないよ。」 と教えてくださいました。 「それに、とても良い人だったから・・・」とも。
家全体に漂う暖かい感じからもおじいさんの人柄がしのばれます。
電気の事は思い違いかもしれないので、気にしない事にしました。 秋のある日、自宅に思いがけない電話がかかってきました。
あの別荘の近所のおばあさんからでした。
「お宅は昨日、別荘に来ました?」というのです。
「いいえ、夏に使って以来、使っていませんが、・・・」 と答えると
「昨日の夜、電気がついていて今朝は消えていたから、誰かが居る。」 というのです。
「たまに、そういう事があるんです・・・古いせいか・・・。」
と言ったのですが、「そんな事はないでしょう、」
「別荘荒らしの泥棒が多い土地柄なので、悪いけど、警察に調べてもらっていいだろうか、」 というので、
「はい、よろしくお願いします。」 と答えました。 しばらくして警察から連絡が来ました。
あちこち調べたら窓の鍵をかけ忘れているところが一箇所あったので、そこから家に入って調べても良いか、という事でした。 家の中は何も異常なし、人がいた形跡もないという連絡がまたあったので、 警察の人に頼んで電気のブレーカーを落としてもらいました。
「スイッチが故障して勝手に電気が点いたり消えたりするようなので、・・・」 とお願いして。
それ以来、別荘を出る時は心の中でおじいさんに話しかけ、必ずブレーカーを落とすことにしました。
そして、 「ただいま、お留守番ありがとう」 と別荘に行く事にしています。
旅先で亡くなられたおじいさんはきっと愛していた家に帰りたかったのでしょう。
「ご家族は別の所に行かれましたが、私たちもこの家が大好きで大切に思っているので、安心してくださいね。」
そう、いつも心の中で思いながらいるせいか、 留守番のおじいさんとは、とてもうまくやっています。
追記(2010年11月) 現在もその別荘を使用しています。海辺は家の傷みが激しく、だいぶ古びてあちこち直しが必要になってきました。 ふと気が付くと、もう何年もおじいさんに挨拶していません。
いつの間にか、前の住人の気配は消えてしまっていて、無意識に、挨拶しなくなっていたのです。
ブレイカーを落として家を出ると、待機電力の使用が無くなり一月の電気代が基本料金のみの格安となる事が解り、その習慣だけは今も残っています。
61■水にまつわること
■nino:2000年12月14日< 木>
62■気配
■nino:2000年12月3日< 木>
私の住んでいるところは、古戦場跡なんです。
そんな土地柄のせいか、火葬場跡や、 墓地跡、斎場、自殺者の多い池などが近くにあります。
やはりこういう所は、私にとってはあまり良くないようで、 海に行けば水難事故の捜索現場に出会う事が続いたり、水難事故で亡くなった方を引き上げる夢が 現実に夢と同じ場所で起こったり、誰もいない海辺で子供と砂遊びをしていて、ふと後ろを見たら すぐ斜め後ろに白い鼻緒のわらじと花束があり、見晴らしがいいのに全然気づかなかった自分にぞっとしたり
・・・と水に関する事で怖い事ばかり起きた時期がありました。
呼ばれてしまうのか呼んでしまうのか分からないんですけれども、 我が家の場合私が原因かも・・・。
今住んでいる家は2階建てですが、ある夜1人で一階の居間にいた時の事です。
突然、ぞーっと背筋が寒くなりじっと誰かに見つめられている感じがして一時も此処に留まってはいけない という気持ちになり慌てて2階へ駆け上がりました。
それから毎夜突然悪寒と誰かに見られてい感じを受けるるようになったのです。
1週間続いて、やはりこれはおかしいと思うようになり、4人目のアンティークドールが 来た日からだという事に思い至りました。
しかし、その人形を見て全く怖い感じは受けないので原因は他にあったのかもしれません。
大体時間も一定していたのでそれより早く2階に上がるようにして、これでとりあえず安心と思ったのですが、 今度は誰も居ない1階から、確実に人の歩き回る足音やドアの開け閉めの音が聞こえるようになりました。
足音は日が経つにつれ乱暴にドンドンと床を踏みならすように歩くようになり、 今1階の何処を歩いているというのがよく分かるのです。
階段が家の中心にあるため居間、和室、廊下を通って回るように歩ける構造になっているため、 足音もぐるぐると回っているのがよく分かりました。
4ヶ月程、このような事が続きさすがに閉口していたのですが、チェリー様のHPで教えて頂いたように 丁寧に念じてみた所ぴたりと収まってしまい、びっくりしました。
お蔭様で今は足音も全く聞こえなくなり、子供のように1人で部屋にいられないなどということも無くなって ありがたく思っております。
63■宿命
■チェリー :2000年12月15日< 金>
妹が大学生の時の話です。
妹は、女子大で仲良しのHさんと二人で、京都方面に旅行に行きました。
琵琶湖の方も周り、その時、そちらに住んでおられるHさんのいとこの30代の男性が 車であちこちを案内してくださったそうです。
愛車はベンツで、
「贅沢なようですが、ベンツは大変丈夫な車なんです。」
「ベンツの事故では乗っている人間の死亡事故はないんですよ。」 と、おっしゃり、
「車の事故はとても恐いものなので、いつも安全運転を心掛けています。」
「けれど、相手の無謀運転などで、どうしても避けられない事故というものはあるものです。」
「でも、ベンツなら、大丈夫なんで、お嬢さん達も安心していてください。」 と、笑っておられたそうです。
運転も丁寧で上手な方で、ベンツのせいなのか、とても乗り心地が良く 楽しく一日が過ぎました。
しかも、案内だけではなく是非家に、とのお誘いを受け、いとこ様のお宅にまでお呼ばれしたのです。
お世話になり過ぎてしまったのでは・・・そんな心配を払拭するように、奥様と二人で暖かく迎えてくださり、その晩はお宅に泊めていただきました。
昼間色々廻った疲れが出て心地よい眠りに入れる筈でした。ところが、どうしても寝付くことができません。
昼の興奮が残っているのか、旅先の慣れない寝具の為なのか、・・・
二人とも寝苦しく、寝付けずにいるうちに、何とも言えない不安感が襲ってきました。
何故か恐ろしいものがひしひしと迫ってくるような感じがして、眠るどころではありません。
気配がするとか音がする、何かが見えるというのではないのです。
ただただ、訳もわからず恐ろしくて、夜明けまでまんじりとも出来ず、二人で抱き合って泣いたというのです。
旅行から帰って来た妹からその話を聞いた時は、 訳もなく恐いというのは恐がりの妹と、Hさんの思い過ごしで、 旅先で心細くなっただけなのかもしれないという気もしていました。
きっと泊めて頂いた部屋に何か理由があったのだろう、と妹は言っていたのですが・・・。
妹達が旅行から帰って来てからあまり日を置かず、 ベンツで案内してくださったHさんのいとこの男性が急逝されました。
自動車事故だったそうです。
Hさんからそのことを知らされた時、妹は思わず 「えっ、あのベンツで?」 と、聞いてしまったそうです。
愛車のベンツでではなく、たまたま何かで友達の車を運転していた時の事故だったそうです。
しきりに自動車事故の恐ろしさを話されていた印象ばかりが強い男性を思い出し、2人は複雑な思いに捕らわれました。
事故を恐れ、常に安全運転を心がけ、ベンツを愛用していた彼はもしかしたらどこかで、自動車事故を予感していたのかもしれません。
それでも、事故死を避ける事は出来なかったのです。
人には決められた運命というものがあるのでしょうか、・・・それは、避ける事の出来ない 宿命というものなのでしょうか。
・・・だとしたら、人の存在とは余りに無力で、はかないものに思えます。
あの旅先での夜、二人を怯えさせたものは、今となっては、 お気の毒ないとこ様に忍び寄る宿命の影だったのかもしれないと、 そんな風に思えるのです。
ご冥福をお祈りして・・・。
64■呼んでる〜
■nino:2000年12月16日< 土>
昔友達の車に乗っていた時、急に友達の表情が変って
「呼んでる~」「呼んでる~」と言うんです。
そして山の中に入って行くんです・・・。
家がありそうではない感じの所に家が1軒あってお葬式をやっていました。
そこを通り過ぎてはっと我にかえったようで、すぐ引き返してくれましたが(TT)
65■こっくりさん
■MP:2000年12月21日< 木>
学生時代、滋賀県の○○寺(有名なお寺)でクラブの合宿をした。
夜中にひょんな事から「こっくりさん」の話になり、ちょっとやってみようという ことになった。
宿泊していた部屋ではおもしろくない。
せっかくだから本堂でやろう、と言い出した 奴がいた。(何人か集まると必ずこんな馬鹿が一人いる)
6人程がぞろぞろと本堂へ向かった。(そんな提案に乗る方もどうかしてる:笑)
常夜灯の下で、急仕立てのボード(紙製)を広げ、硬貨を使って儀式が始まった。
「こっくりさん、こっくりさん…」 しんとした本堂に言葉が響く。
その時だった。
ぐらぐらと本堂全体が揺れ出したのだ。
最初は地震だと思った。
横揺れとも立て揺れともつかない揺れ方が、延々と続く。
仏具が飛び跳ねる。 血相を変えたご住職が飛び込んできた。
「あ、あんたら何しとんのやッ」
ご住職がお経を唱えだすと、揺れはピタリと止まった。
6人はそのあと、たっぷりとお説教(本当の)を頂きましたとさ(笑)
66■呼びかけるお地蔵さん
■ちづる:2000年12月24日< 日>
私の夫の知り合いの方に、半盲の方が居られるんですが、
その方が、ある日、 散歩をしていると、細い路地からオ~~イと聞こえてきたそうなんです 。
後日、子供さんを連れて、見てもらうとそれは、無造作に転がされた お地蔵様で、
こんな街中に、なぜお地蔵さんが転がってるのか、不思議に思われたそうです 。
その時、私をつれて帰れ~~と声がしたもので、息子さんに担がせて、自宅へ 連れ帰られたそうです。
今も、鍼灸院を営まれてるんですが、そちらの庭には 綺麗に前掛けを掛けた、お地蔵様が、祭ってあります。
(ご商売は、繁盛されてます!)
その方は、針を打ちながら、患者さんのオーラも見えられるそうです 。
オーラの色は、人それぞれで、紫色のオーラが、頭から末広がりに出てる方は 成功すると言われてます。
私は、真っ黒かも・・・な~んて思うと・・・怖くて、針を打ちにいった事ないです。
夫が、ご贔屓にさせて頂いてる、鍼灸院さんのお話です。
67■68■テレパシー
■チェリー :2000年12月24日< 日>
テレパシーと言うのでしょうか、
言語による伝達以外の情報伝達の手段があるのではと 思える事はありませんか?
多分、人間が言語を獲得する以前の伝達手段だったのでしょう。
そして、言語の獲得によって失ったとまではいかなくても、かなり衰えてしまって、 潜在化してしまった能力なのでしょう。
普段の生活で感じる事は少ないのですが、なんとなくぼんやりしている時や 睡眠中、・・・つまり普段は優位にたっている言語野のある左脳が休んで、 潜在意識などを司る右脳が優位にたっているような状態の時に そういった、テレパシーによる伝達は起こり易いのではと、体験的に思います。
理屈っぽくてごめんなさい。
要は、リラックスしている時や寝ている時、 目覚めのボンヤリした時にテレパシーが良く働く気がするという事です。
その1 隣が焼けてる
朝方目覚める間際に夢を見ました。
「隣が焼けてる!!」と、うちの隣のアパートに住む子供達が騒いで、 我が家の火事が早く発見され、大事にはいたらなかったという夢でした。 目が覚めて、妙にはっきりした夢なんで気になると、まだ布団の中で主人に話していると 電話が鳴りました。
早朝の電話は、出社前の主人にかかってきたものと決まっているので、主人が出ました。
「え~、火事?子供が?フン、フン。…今同じ夢の話を聞いてたんだ。」と話しています。
主人の田舎のお母さんからの電話でした。
親戚の家が火事になったけれど、隣の家の子供達が見つけて知らせ、ボヤですんだと言うのです。
「隣が焼けてる!!」と夢の通り、子供達が騒いで知らせたのだそうです。
お母さんも親戚の家から電話をもらって聞いたばかりの事でした。
そして、その話を息子達にも知らせようと考えたのでしょう。 その考えが少し形を変えて、電話より先に眠っていた私に伝わったのです。
その2 呼んだ?
「あれ、今僕の事呼んだ?」いきなり主人が布団の中で変な事を言います。
「何、寝ぼけてるの?」と目を覚ましました。
「いや、確かに名前を呼ばれた気がしたんだ。」
「知ってる声だな、誰だろう。・・・母親とも似てるけど、違うな。」
「姉貴でもないし・・・・。あ、叔母だ。母方の叔母の声だ。」 と、妙な事を言います。
「何、それ?気になるから田舎に電話してみたら?」 と話していると、いきなり電話が鳴りました。
主人が出てみると、やはり田舎のお母さんからの電話でした。
「びっくりしたな~。」 主人が電話を切って戻って来ました。
「もしかして、叔母さんがどうかしたの?」
「うん、叔母は元気なんだけど、叔母の旦那さんが急に亡くなったって。」
お母さんから電話をもらうより一足早く、叔母さんから直接呼びかけが届いたのでした。
急に古い友人の事が思い浮かんだと思ったら、何年ぶりかの友人からの電話が かかってきたというような体験はどなたにもあるのではないでしょうか、
私の場合、車の運転の出来る近くに住む妹に母の病院への送り迎えを頼もうか などと考え、やはり悪いから止めようと電話せずにいると、
「私の事を呼んだ~?」と電話がかかってきたりします。
以心伝心と言うんでしょうか。
69■前世の夢
■チェリー :2000年1月18日< 水>
輪廻転生の考えによると、人は何度も生まれ変わるのだと言います。
そして、今生で縁のあった人とはまた来世でも縁を結ぶとも、・・・。
今の人生の前にあった生涯を前世と呼びますが、前世を覚えている人も稀にいるという
興味深い話を本で読んだ事があります。
好奇心をそそられるけれど、にわかには信じられないというのが率直な感想でした。
自分で前世を信じていないにもかかわらず、奇妙な夢を見た事があります。
前世に関する本を読む以前の事ですが、自分が前世で死ぬ夢でした。
・・・あまり不思議なので、数年たってもはっきりと覚えています。
まぁ、夢の話という事でおつきあいください。
それは、大正時代初め頃の大きな商家のようでした。
大家族で、両親や姉妹の他にも住みこみの人が沢山いる家でしたが、家で一番偉いのは
その家のお祖母さんでした。
お祖母さんが絶対的な権力と決定権を持っていて、すべてを取りしきっているのです。
お祖父さんは早くに亡くなっていたようです。
私は女ばかりの姉妹の一番下か、下から二番目。
まだ数え年で三歳位で、おかっぱ頭に赤い柄の着物を着ていました。
とても弱い子でいつも呼吸器の病気で苦しんでいました。喘息だったのかもしれません。
その夜も咳込んで苦しんでいたのですが、やっと落ちついて眠りについたのでした。
心配してついていてくれた家人(多分母親)もほっとして、私の傍を離れました。
子供達は枕を並べて眠りについています。
私はまた少し咳込んで、それから急に息がつまって、あっけなく誰にも知られず、
死んでしまったのでした。
吐いたものが喉につまって、呼吸ができなくなったのかもしれません。
死んでしまった私は体から抜け出しました。
今度生まれてくる時はもっと丈夫に生まれたい、そして大人になりたいと心から思いました。
夢の中で、今の私は考えていました。
「そうか、だから私はこんなに病気知らずの丈夫な身体に生まれたのか」と
死んだ私の事を前世の自分と考えている、もう一人の私があったのです。
身体から抜け出した魂の私はしばらく部屋の上を漂っていましたが、
家族にお別れしようと大人達の集まる部屋に飛んでいきました。
大人達は広い部屋で上座に祖母が座り家族会議のような事をしていました。
いつもそんな風な家族会議が開かれるのか、今夜は何か重要な話があったものなのか、
小さい子供の私にはよくわかりません。
ただ、集まっている人々の間を飛び廻っていました。
お祖母さんは白髪をちょんまげのような形に結って、灰色の着物を着ています。
家長として恐れられてはいたけれど、孫達の中でも特に私を可愛がってくれた、
私にとっては大好きなお祖母さんでした。
そして、もう一人とても好きだったのは家にいた書生さんでした。
両親は家業に忙しく、あまり私をかまってくれなかったのですが、その分
その人はよく私を遊んでくれて、私はとてもなついていたのでした。
さようならと思いながら、近づいて良く顔を見ました。
「あれっ、」と、又しても、今の私の意識が思いました。
「うちの、主人に似てる。いや、そっくり~。・・・だから、私あの人と結婚したのか。」
うちの主人とはつきあって1カ月でプロポーズされて、なぜか即答でOKして、
1年後には本当に結婚してしまっていたのです。
どうしてそんな風になったのか、縁としか言い様がないと、自分でも不思議だった事です。
(おのろけみたいでご免なさい。)
それから、もう1度近づいてお祖母さんの顔を見ました。
又、何となく「顔ではではなく雰囲気が母に似ている、いや、きっと母だ」と思いました。
と、突然お祖母さんは私の気配に気がついたように、「あの子は?」と叫んで立ち上がったのです。
私の異変を可愛がってくれていたお祖母さんは察してくれたのでした。
それが、私には嬉しく思え、安堵のような気持ちに包まれました。
夢はここで終わりです。
夢の中で当たり前のようにそれを自分の前世と感じていた事、
そして随分細かいところまで具体的で夢特有の飛躍がなく、
とても現実的な感じがした事が不思議です。
自分だけでなく、母も主人もその夢に出てきた人物の生まれ変わりと
夢の中では考えていました。
母は大正13年の生まれなので、お祖母さんがそれからほどなく亡くなって、
すぐ生まれ変われば何とか計算は合いますが・・・。
これが本当の私の前世の夢だったら良いな、と、時々思います。
死が終わりではなく、またの世で大好きだった人と再会して家族として暮らす事も出来る。
それこそ、夢のような話ですね・・・・。
70■子供の時の夢
■NORMA:2001年1月12日< 金>
前世の話興味深く読ませて頂きました。
私も…自分が死ぬというよりも…子供の頃に見た夢を今でもはっきり覚えてて…
私…戦国時代のお城みたいなところでお姫様つきの女中してるんですよ(^^;
(子供なのに(^^;なぜ私は女中だったんでしょうね(笑))
敵軍に城が攻められて私はお姫様を守ろうとして一生懸命逃げ道を探すんですが 敵はもうそこまで来てるんですね。
お城の中はもう火がついてて…。 そうしたら…いきなりお姫様が城の堀に身を投げちゃったんですよ。
もちろん私はすごく悲しくて…どうしていいのかわからなくて…
そうしたら…その次の瞬間お堀の中から大量の黒いアゲハチョウがいっぱい 舞い上がったんです…。
それはもうすごく綺麗な光景で…。
すごくせつなくて…泣きながら目を覚ましました。
それ小学校の3年くらいの夢なんですね(^^;
そんな夢を見る前にそんなドラマとか見た覚えはまったくないのですが…。
おとなになってから…アゲハは死者の魂を表現するという話をきいて びっくりしました。
いったいあの夢はなんだったのでしょうね~(^^;
とまぁ…そんなことを思い出したので…つい。
夢って不思議ですねぇ
71■吉野の白蛇様
■NORMA:2001年1月12日< 金>
(TT)アゲハの話とともに…ずっと子供の頃からひっかかってることがあって…
(これもこわい話じゃなくてごめんなさいです(^^;) 小学校の5年くらいの時に林間学校で吉野に行ったんです。
吉野の大きな神社(正確に名前を覚えてないですが)に岩山に囲まれて 屋根のあるお百度参りをするお堂?があったんです。
平らな床の真中にぽつんと回るための石(あれなんていうんですかね?)だけが あるような…。
(その時はそれがお百度参りの場所とは知りませんでしたが)そこに友達たちと入ったんですね。
そのとたん、体中がびりびりとしびれてきて… 自分でも「なに?」って感じだったんです。
で、ふと周りを囲んでる岩の壁を見ると直径が20cmはあろうかという白蛇が 何匹も絡み合ってうねうねと壁をはってるんですよ。
私「うわぁ!すご~~~い」と感心して見てたんですね。 こわいというのはなくてただ「ひゃ~。すごい」って。
それはみんなも見てると思ったのであたりまえのようにそのことを 他の友達に言う事もなく…
それからそのまま何年もすぎて…おとなになってもそれがよくよく考えると 不思議で…。
そんな大きな白い蛇がいたらニュースになってますよね(^^; で…あれはなんだったんだろうってずっと思ってたんです。
数年前になって、しめ縄が本来蛇をかたどってるという話を何かで読んで 「あ!あれはしめ縄だったんだ!」と納得したんです。
でも…なんでそれが私の目には白蛇に(しかも動いてたし(^^;) 見えたのか…。
よほど夢見がちの子供だったのか(^^;それとも私が記憶を改ざんしたのか…。
ただ…しめ縄が蛇をかたどってると知ったのはほんの数年前ですから そう思ってた…というのは不思議だなぁとは思いますが…。
(日本人の遺伝子のなせる技でしょうか?(笑))またいつか機会を見て吉野にそれをもう一度確かめに行きたいと思ってます(^-^)
■NORMA投稿日:2001年1月15日<月>
あの後どうしても気になったので「そうだ。今はネットがある」と覚えてる キーワードでネットで情報を探してみましたら…
そのキーワードの神社(?)…蛇を祭ってるところだそうで… ちょっと今になってびっくりしてます(^^;
奈良の三輪さんとかは…有名なので知ってたんですが…吉野は 全く知らないはずなのですが…(^^;
というわけでやっぱり一度記憶の確認に行かなきゃ! Kenを連れて…(笑)
72■九州の聖域(神社編)
■ちづる:2001年1月13日< 土>
NORMA様のお話、不思議ですね~~~…
それに、しめ縄が、蛇をかたどった物だとは、初めて知りました びっくり!!!
神社と言ったら、こちらに、皇室の方々が見えられた時に 必ずお忍びで寄られる、神社がありますが 世界でも有数の、パワースポットです。 .インドのサイババ様も、日本の信者さんたちには、ぜひ行ってみる様に 薦めておられるとの事、
ダーリンが12月に行ったんですが 鳥居をくぐって、お社へ続く階段を上ってるときに 酔っ払ったみたいにふらふらになり、まっすぐ歩けなかったそうです 。
周りの人達もビックりだったそうです・・・
73■本当にあった怖い話・・・テテ編
■テテ:2001年1月18日< 木>
チェリーさん、、
勇気を奮って、私の体験談をお話します。
去年、書きかけた話しですが・・・
私がまだ24歳くらいのころ、近くにお友達がいたのですが、 彼女は運動のためと言って、新聞の配達を(朝刊のみ)していたのです。
しかしある年の秋、彼女は季節はずれの風邪を引いてしまい、 新聞の配達が出来ない事態に追い込まれました。
新聞配達はなかなか代わりがいないもの。 こうなったら私が・・と、代配を申し出たのです。
新聞配達と言っても、広範囲を小件数だったので、「何てことないわ」と、 車で配達する事にしました。
代配なので、朝4時30分くらいに配達所の方が自宅玄関に新聞を置いていってくだ さり、それを小分けしてから配達するので、 出発は4時50分くらいになります。
その日も、星が出ている真っ暗な中、出発しました。
自宅から100mほど行くと、S字カーブになった小道があります。
Sの字を考えてみてください。当然車のライトは広い範囲を照らしながら 道沿いに曲がる事になります。
その道は、片側は高い塀、反対側は低いがけになっている場所です。 車のライトをUPしたままでも、他の車とすれ違う事もない田舎道です。
ライトが照らすところは視界もよく、意気揚揚と車を走らせていたそのとき・・S字 カーブの途中まで来たときに・・
突然!本当に、突然という形容がぴったりするよう に・・人が!いるのです。
私は、車の中で思わず「あー!びっくりしたー!」と叫びました。
こんな時間にこんな場所を・・まさか人が歩いているなんて思わないじゃないですか?
おまけに、さっきまでライトが照らしていた場所、誰もいなかった場所に・・です。
何故か、私はその人物とすれ違いながら(時間がとても長く感じた) その人をまじまじと見詰めてしまいました。
それはまだ若い、男の人でした。いや、男の子でした。 高校生くらいで、髪が短く、黄色い柄物のジャンパーを着ていました。
・・・と、その時、・・ふと、気付いたのです・・。 「??何故この人、こんなにはっきり見えるんだろう??」
車のライトが照らす前方は明るいけれど、運転席の横になると もう暗くて殆ど何も見えないのに、その人だけは妙にはっきりと見えるのです。
悪い予感・・と言うのがありますが、そのときの私は何か嫌な予感がしたのです。
「まさか・・」という気持ちが私に信じられない行動をとらせました。
「確かめたい」・・人間である事を・・。 私が見た者は、生きた人間である事を・・
私は、すれ違ったとたんに車をとめてしまったのです。 さらに、運転席の窓を開けて後ろを振り返ったのです・・。
やはり、すれ違ったばかりのはずのその人物の影も形もない。 身体を大きくひねり、反対側も確認しました。
一本道で、隠れるところも人家もなく、しゃがんでるわけでもなく がけに落ちる訳もないのに・・全く消えてしまったのです。
・・髪が逆立つ・・と言う言葉がありますが、見る見るうちに 襟足の髪がグググっと持ち上げられるような感触に襲われました。
「やっぱり、いない。どこにもいない。」と、その時
「後ろだ!真後ろ」 直感的に、何かが・・後ろの座席にいる気配・・・を感じました。
「後ろを見るな!」自分で自分に言い聞かせて、わが耳で 口から飛び出しそうな心 臓の音を聞きながら、バックミラーを・・ゆっくり下に下げました。
何故かバックミラーを見てはいけないと・・本能が語りかけてくるのです。
あまりの恐怖に、車を走らせようとするのですが、アクセル・ブレーキ、アクセル・ ブレーキ・・・
車が、ガックンガックンするのですが 道が曲がっているのでまっすぐ飛んで逃げれないのです。
逃げる必要もないんですけどね。乗っけてるわけだから・・。
「気も狂わんばかりの恐怖」を味わいながら、新聞を配るどころではない。
そのまま 自宅に引き返し、家の鍵をこじ開け、入ったとたんに 「ギャアアア!!ギャアアア!!」と、叫んでしまいました。
不思議に、声が出ることに驚きました。 恐怖で、声を出すことも出来なかったんですよね。
その声を聞きつけて、母が飛び起きてきました。 泣きながら自分の身に起きた事を話すと、
「もう、すぐ安受けあいするからよ」と怒 られました。
新聞は・・その日の午後から配らせていただく事にして 当然、翌日からは代配をお断りしたのですが、友人は 「本当に御免ね、でも、もうその話を聞いたらあの道は通れない」と、 泣きべそ顔になっておりました。
さて、この話には後日談があります。
あまりの怖さに、「こんな事があった」と、近所中に言いふらかしていると、知りあい のおばちゃんが
「あんたが見たのは、こんな人やったね?」と、その人物の身なり を言い当てたのです。
「そうそう、その人!、何故知ってるの?」と聞くと、そのおばちゃんが言うには、
「3年前のその日、雨戸を開けたら、いつもの風景とどこか違っていて、よくよく見 ると真正面の墓地の柿の木に、人がぶら下がっていた」
と言うではありませんか!早速警察に電話したらしいのですが 第一発見者なもんで、警察に同行したそうです。
そのおばちゃんは家計簿を付けているので、わたしの話を噂に聞いて もしや・・と思い、過去の家計簿をめくったらやっぱり間違いなかったと 言っていました。
考えたら、わたしがその人に会った場所の塀の上は・・墓地だったのです。
あー!!こんな思いは二度としたくない! こんな思いをしたから、結構強烈な事も怖くなくなったともいえますが・・。
チェリーさん、私の体験はこんなもんです。
長くなりましたが、この季節、寒い中・・もっと寒くなってください(笑) ではでは・・
74■お祖父さんの話
■チェリー :2001年1月27日< 土>
写真館の主だった母方の祖父は、自らを写真士と名乗っていました。写真屋と呼ばれるのが嫌いだったからです。
明治生まれで、いちはやく写真の技術を 身につけた位ですから、新しいもの好きの好奇心旺盛な人でした。
お酒が好きで食や調度にもうるさく、趣味は釣りと狩猟と三味線や小唄、そして芸者遊び。
何でもこなしたおしゃれで粋な人で、お妾さんまでかこってお祖母さんを泣かせたようですが、 私が知っているのは孫に相好崩して、せがまれるままに昔話をしてくれる優しい子煩悩なお祖父さんです。
私が小学校5年生の時に70代半ばで亡くなりましたが、夏休みに田舎に遊びに行くと毎晩お祖父さんが話してくれた昔話の数々は、今でも心に残っています。
その大半は民話の類ですが、私達の「本当にあった怖い話をして」という求めに応じて、いくつか、実際の体験を話してくれました。この話は、その中の一つです。
「おばけが出る」と聞くと、
「そんなもの、俺が退治して正体を確かめてやる。」 と言って、猟銃を担いでわざわざ出掛けて行く祖父だったのだそうです。
そして、大概は思い込みや恐怖心の賜物で「おばけ」などいなかったと言います。
夜になると大きな黒い影が出て来て飛び回ると言うので、出かけて仕留めてみると、 その正体は「おばけ」などでは無く、信じられないくらい大きなムササビだった事もあったそうです。
けれど、正体を確かめられない何かがいた不思議な体験もありました。
山の中にある宿屋に「出る」と評判のところがあったので、例によってわざわざその部屋に泊まりに行ったのだそうです。
合理的な考えの人だったので、「いやな感じがする」とか「なにか暗い感じ」などというのは気にせず、布団を敷いてさっさと眠りにつきました。
すると、真夜中過ぎ、音もなく、スッと部屋の襖が開くのだそうです。
気が付いて襖を閉めて眠りについても、またスッと襖が開く・・・・もちろん誰もいないのに。
何度閉めても、いつの間にか襖が開いており、また閉めて寝ましたが、やはり朝には襖が開いていたそうです。
あれだけは、結局正体が分からず、「何かがいたとしか思えない。」
「おばけは、本当にいるんだよ。」 と話してくれました。
75■ウェディングドレス
■waffle:2001年1月30日< 火>
前に住んでいたアパートに偶然に霊感の強い主婦が集まったので ちょっと怖いものを引き寄せていたという話…。(爆)
一人めは、結婚式の写真に、自分の着ていたウェディングドレスに どうも人の顔が、それも知ってる男の人の顔が写っていたと…。
招待客ではないが知ってる男の人。気になって友人に電話したそうな。
幸いにその男性は生きていたそうですが…。 生霊なのでしょうか?
それとも彼女に思いを寄せてたのでしょうか? ご夫婦は、その写真をお寺に持って行き相談されました。
悪い写真ではなかったそうですが、おめでたい写真に縁起が 悪いとのことで、ちゃんと焼却してもらってそうです。
あとの話しは少しずつがいいでしょう…。 ~~~~~(m--)m
76■ 夢枕
■チェリー :2001年2月12日< 月>
近所の知り合いのおばあちゃんはまだ30代の頃胃がんでご主人を亡くされ、 女手一つで息子さんと娘さんを立派に育てられた方です。
「主人の残してくれたお金と遺族年金があったから・・・」とおっしゃいますが ずいぶん御苦労されたと思います。
「でも、主人が助けてくれたから何とか、やってこれたのよ」と、おばあちゃん。
いざと言う時、節目には夢にご主人が出てきて必ず助けてくれたのだそうです。
家を買うときも、娘さんの結婚の時も、迷うような時は夢に出て来て助言してくれる ご主人の通りに事がうまく運んだのだそうです。
けれど、娘さんの結婚のあと、見た夢でご主人は言ったそうです。
「俺はもう、疲れたから・・・・」と、 そして、それ以来、助言してくれるご主人は夢に現れなくなったのだそうです。
「愛娘の結婚に肩の荷を下ろして、往ってしまったんだわね。」 と、おばあちゃんは言うのです。
今、持病のリューマチが悪化して、身体が不自由になってしまったおばあちゃんは
「もう少し、私を見守って」と、お仏壇の若い遺影に手を合わせていますが、
「ちっとも、夢に出てきてくれないのよ。」と、こぼしていました。
77■ 怖い話・・・テテ編パート2・・・火柱・・と、訪問・・
■テテ:2001年2月21日< 水>
前回の新聞配達の怪談話と同じ頃のお話です。
私の家の隣組に、私よりも3つ年上の奥さんがいらっしゃいました。
同じ年の子をお互いに二人持っていて、やはり同じ幼稚園に通わせていたので、毎朝 挨拶を交わし少しおしゃべりするくらいの仲でした。
その奥さんは、私と違ってとても静かで内気な感じの方でした。 (当然私は正反対の性格です)
ご家族は、ご主人と子供二人(のちに3人になるのですが)、そしてご主人のご両親 と同居されていました。
3人目の子供さんが生まれてから暫くたって・・そう・・その赤ちゃんが 8ヶ月くらいのとき、私の家の隣のおじいちゃんが病気で亡くなりました。
今では希薄になっている隣組のお付き合いも、あの当時はまだまだ盛んで、どなたか のお葬式にはみんなでお手伝いに行っていました。
その日も、その奥さんはお通夜に来られて
「うちの子供をよく可愛がってくださって、 本当に感謝しているんですよ」と、涙を流しておられました。
さて、翌日はおじいちゃんのお葬式です。
うちの母も朝からお葬式の準備に行くべく、玄関から出てみると その奥さんのお姑さんが、道を這うようにしてこちらにやって来るではありませんか !
「××さん、どうしました!?」と、母が声をかけると 「嫁が!嫁が!」 と、言葉になりません。
「若奥さんがどうしたね!」と、母が問いただすと・・ 「嫁が死んでる!!」 と、言うではありませんか。
「ヒェー!!なんて?」 驚愕した母は、斜め前のそちらのお宅に飛び込んでいきまし た。
そこには夜勤から帰宅した息子さんが(その奥さんのご主人)バケツを片手に家 の中に座り込んでおられました。
時を待たずに・・警察がやってきました。 それによると・・ それは、早朝6時ごろの出来事らしく、食事の支度をしていた奥さんは、 お味噌汁の準備をしながら、ストーブの灯油を入れに倉庫に行ったらしいのです。
で、倉庫の中にあったベビーバスの中で自分に灯油をかけて・・焼身自殺されていた のです。
半分焼けて、半分焼け残った状態で・・発見されました。
発見したのは夜勤から帰ってきたご主人でした。 奥さんを探して倉庫に行って、変わり果てた姿の妻と対面したのです。
動転したご主人は、お風呂場から水をくみ、もう生きてはいない奥さんに水をかけて 生き返らせようとしたらしいのです。
(お気の毒です。本当に) 2階で寝ていたお姑さんたちは、そんなこととは知らずまだお休み中で、 息子さんの大声で下に降りてきて事の重大さを知らされました。
なぜ、子供3人も残して(おまけに一人は乳飲み子です)死んでいったのか・・。
その奥さんは早くにご両親を亡くして、自分が看護婦さんをしながら 弟さんを大学に行かせ、警察官にされていました。
弟さんは、姉の自殺にひどいショックを受け、事故・他殺ではないかと 相当調べられたのですが・・やはり状況からして、突発的な自殺だろうという事になりました。
問題は・・ここからです・・ 隣組で2件のお葬式を出したあと、2日ほど経ってうちの前のおばさんが・・2枚の 写真を持ってこられました。 「××さんの若奥さんがなくなる2日ほど前に、夕日が綺麗だったから家の2階から写 真を撮ったら、恐ろしいものが写っていた」 と、いうのです。
そのおばさんは、絵を書くのが趣味なのでよく写真を撮られるのですが、そこに写っ ていた物は・・ちょうどその奥さんが自殺した倉庫の中から雲の上まで真っ直ぐに突き上げるように聳え立つ、赤い火柱!!
夕日を撮ったから、レンズに光が反射したものかと思ったのですが、 角度を変えてもう一枚の写真にも同じように煙突状の火柱が写っているのです。
まるで、ここから火が出るぞ!といわんばかりの、外が黄色で中央が赤い火柱です。
みんな・・背中が凍るような恐怖を味わいましたが、そのお写真は持っていないほう がいいだろうということになって、成仏を祈りながら焼却することにしました。
さらに・・怖い事は続くのですが・・ 約1ヶ月ほど経って・・私は夢を見ました。
お昼間、玄関のチャイムが鳴って出てみると、その奥さんが下を向いたまま立ってい るのです。
そのときはその方が亡くなっていることなど 忘れていて
「あら××さん、どうされました?」と尋ねると、
「じつは、家の2階の私の部屋に箪笥があって、その左の袋戸棚に 黒い皮の鞄が入っているのです。その中に大切なものが入っているのです」
というで はありませんか・・。
「え?2階の箪笥の袋戸棚の左に・・黒い鞄ですか?」と、鸚鵡返しに聞いて、ハッ としました。
「この人もう死んでる」と。
夢から覚めて、母に事の次第を話すと、
「ちょっと××さんのところに行ってくる」 と言って、母は出かけていきました。 帰宅した母に聞くと、
「間違いなく、その場所にその鞄があったよ。あんたに知らせ て欲しかったんだろう」と、言うのです。
でも、何故私に?そんなに親しかったわけでもないのに・・
死んで・・何を思ったのか・・ 心残りは、沢山あったでしょうが・・時・既に遅く・・
そして、16年ほどの時間が過ぎたにもかかわらず、私はそのときの彼女の言葉をけ して忘れていないのです
・・・ 以上です。
とても長くなってごめんなさい。 では・・
78■79■火柱、ついてくる人魂
■ちづる:2001年2月22日< 木>
火柱
火柱の事で、思い出したの、昔ね、母が車で出かけた時に 変な事言うんです。
あそこに、火柱が立ってる誰か死なったばいね。 訳すると、誰かが死んだ。
回りは薄暗かったので、そんな火柱があったなら、私だって見える はずなのに、
「ほらほらあそこの屋根に立ってる」と、言われてもぜんぜん 見えませんでした。
ついてくる人魂
母は、同じ場所(その家の付近)で、火の玉(光る物体)に追いかけられたことがあります。
私に家は、前にも書きましたが、お山のてっぺんにあります。
そこからまちへ出かけるには、ヘアピンカーブの連続する急カーブの道を下ります。
学校へ通っていた頃、登校は30分くらい、帰りは2時間というものすごい山の中です。
おじと母は、連れ立ってオートバイで出かけました。
用事(法事)も済んで、帰路、母が先頭で、おじが後から付いてくるという形で、お互いにオートバイに乗り、走り出したそうです。
もう、すっかり日暮れ時になっていました。
母は、ずっと後ろから明かりがついてきていたので、おじがぴったり付いてきてくれていると思っていたのですがおじと別れる三叉路まで来て、バイクを止めたところ、今までついてきていたのが、おじではなかった事に、初めて気がつきました。
10分ほど真っ暗な中、待っていると、おじがやっとたどり着いたので挨拶をしてそれぞれ、自宅へ。
普通は、そこで怖がるか、おじの到着を待たず、家へすっ飛んで帰るか
なのに、母は、「なんじゃいろ、ついてきよったばい」 ←何かがついてきたと、あっけらかん。
都会にお住まいの方には、想像しがたいかもしれませんが延々と続く、つづれ折の道には、街灯はおろか民家すら、ほとんどありません。
新月の夜は、それこそ傍に何かがきても、気がつかないような所です。
80■窓
■MP:2001年3月17日< 土>
わが家の愛犬マリーが電車にはねられた話は、以前この開かずの間でも お話したが、その後また犬を飼う事になった。
今度はドイツシェパードで名前はディッキ-。
.成犬になってからは力も強く なり、散歩の時など、万が一のため、太いロープで繋いで出歩いた。
うちの近くには、私立大学がある。歴史ある有名私立と言っていいだろう。
当時、この大学のキャンパスに、あるウワサが流れていた。
黄昏時、ある学舎の1階の中庭に面した窓から、女が出てくると言うのだ。
窓からぬっと校舎の外に出て、飛び降りたところで消える。
ウワサでは、その窓の部屋は、以前あるクラブの部室として使われていて、 そこで自殺した女子学生が、窓から出て来るというのだ。
大学側は、余りにウワサが酷くなるので、ある処置を施したという。
そんなウワサを聞いた私の弟は、ディッキ-を連れて散歩に出た折、その 窓を見に行こうと思いついた。
広大なキャンパスなので、どこからでも校内に入れる。
それらしき校舎に行き着いたとき、あたりはもう暗くなっていた。
古い校舎が中庭をはさんで平行して建っている。灯りは前方の校舎の はずれにぽつんと外灯が点いているだけ。
ウワサの窓は右の校舎の真中あたりにあると聞いていたので、 弟は雑草の茂る中庭を進みながら、窓をひとつずつ観ていった。
あった。その窓が。 いや、かつて窓だっただろう形跡が。 その窓は、漆喰でべったりと塗りこめられていたのだ。
弟はもっとよく見ようと窓に近づこうとしたが、出来なかった。 ディッキ-が前足を、力一杯ふんばって、後ずさりしはじめたのだ。
前方に灯りがあるので、そちらの方へ抜けようとしたが、だめだった。 窓の前を通ることも拒否したのだ、ディッキ-は。
無理に引っ張ろうとするとに、唸り声さえ上げた。
弟はやむなく、もと来た道を引き返した。 私はその話を聞いて、翌日、その窓を見に行った。 やはりそこだけが異様な雰囲気だった。
81■疳の虫
■チェリー :2001年3月27日< 火>
疳の虫に効くという、赤ちゃん用の漢方薬もありますが、疳の虫って一体何なのでしょうか。
昔の人は、子供が妙に興奮したり、落ち着きがなかったり、情緒不安定になったりするのを 子供の中に入った疳の虫が騒ぐ為と考えていたようです。
その、疳の虫を実際に見たと、今年77歳の母と70歳の叔母は言うのです。
母と叔母が子供だった頃、近所にお爺さんがいたそうです。
あまり働いているようにも見えない粗末な身なりのそのお爺さんが何をする人だったのか、 子供だった母達は良く知らなかったようですが、その人がふらりとやって来ると、お母さんは お茶やお茶菓子を用意して大切にもてなしていたと言います。
「それではお礼に疳の虫封じをしましょう」と言って、時々そのお爺さんは おまじないのような事をしてくれたのだそうです。
お爺さんが紙に墨で何か呪符を書くと、燃やして、その灰を子供達の手に塗ります。
そして、呪文のようなものを唱えると、指先から、かいこの吐く糸のような細い白いものがスーッと出ていくのだと言います。
「ほら、疳の虫が出て行ったからもう大丈夫だよ」とお祖父さんに言われ、何とも不思議で自分の指先を見つめていたそうです。
今思い出しても、やはり不思議だ、あれは一体何だったのだろうと、何度か母からも叔母からも昔話として聞かされました。
そして、暗示効果なのか、本当に効くのか、疳の虫封じをしてもらうとしばらくは 気分がとても落ちついた感じがすると言っていました。
今思い出しても、やっぱり不思議だと、母も叔母も言います。一体あれは何だったのだろう、と。
・・・・灰とともに子供の指先に何かをつけたのでしょうか、
例えば昔、マッチをする茶色の部分に赤燐が含まれているので、それを燃やして指先につけてこすって、
「マジックショー」と言って、遊んだ事があります。
指先からは煙のように白い細かな繊維のようなものが出て来て辺りに漂い、得意満面でした。
そんな、何かしらのトリックでないとしたら、エクトプラズムなどを思わせますが、確かめようもありません。
昔は民間療法として、不思議な治療をする霊能力者が生活の中にいたのかもしれませんね。
82■帰り道
■チェリー :2001年4月6日< 金>
妹の友人の話です。
塾からの帰りがいつもよりずっと遅くて心配していると、ただならぬ様子で中学生の娘が帰って来ました。
真っ青な今にも泣き出しそうな顔をしています。
聞いてみると、いつも通る帰り道がその日に限ってなんだかとても嫌な感じがしたのだそうです。
けれど、通らない訳にもいきませんし、きっと気のせいだろうと、その道に差し掛かかりました。
一本道で迷うはずもないのに、行けども行けども同じ所を回るばかりで、抜けられない。
そうやって、しばらく迷ってやっと家に辿り着いたと言うのです。
そんな馬鹿な話があるかしらといぶかりながらも、 「疲れていたのよ」 と娘をなだめ、その晩は早く床ににつかせました。
真夜中頃、娘の絶叫で友人はとび起きました。
「何かが背中に乗っている」 と言って狂ったように泣き叫ぶ娘を
「大丈夫よ、気のせいよ」 と抱きしめているうちに娘は次第に落ちついてきましたが、 今度は自分の肩に何かが重くのしかかってくるような感じがします。
その後、3日ほど、彼女が金縛りになってうなされる事になりました。
いつもの帰り道にあの日は何かがいて、娘が拾って来てしまったのだろうと言うのですが・・・.
83■ミステリーツアー
■チェリー :2001年4月29日< 日>
夏休み、子供達を連れて映画を見に行きました。
もう何年前になるのでしょう、 たしか「学校の怪談2」を見たと記憶しているのですが、3だったかしら・・・。
映画を見終わり、まだ時間も早かったのでそのまま帰るのもつまらないと、 街を歩いてみる事になりました。
知らない街を歩いてみると思わぬ発見があって楽しいものです。 そこはS県のT市、多摩地区の我が家からは都心に出るよりむしろ西武線で来れる こちらの方が近いので、良く映画を見に来ていました。
歩いた事はあまりなかったので、街には不案内です。 そこがまた、楽しいとばかり、意気揚揚と歩きはじめました。
まさか、この散歩がとんだミステリーツアーになってしまうとは思いもせずに・・・・。
暫く歩くと大団地群がありました。そして、ひなびた感じの商店街や、畑・・・・ 歩くうちにだんだん住宅が減って、やがて川沿いに出ました。 川に沿って広い道が続いています。そこを行ってみる事にしました。 妙な事に家がさっぱり見当たらなくなってきました。さっきまでの団地群が嘘のように 人気なく、広い道路と緑ばかり・・・。 と、大きなリハビリセンターの看板を掲げた病院らしき建物が建っています。 車椅子のお年寄の姿がちらりと見えました。 こんな人里と隔離されたようなところで、治るあてもないリハビリの日々を送る お年寄達を思うと、自分の母と重なり、胸が重くなるような気分でそこを通り過ぎました。
そのあとも行けども全く人の気配がありません。車は行き交っているのですが ここらに住居はなく、つぶれて営業していないレストランのような建物が 荒れはてて建っているきりでした。 引き帰そうか、このままどこかの駅なり停留所なりに辿りつくまで歩くべきか 少しずつ心細くなっていました。
戻るにしては少し来過ぎた気がします。夏とはいえ夕刻が近づいていました。 そのまま歩き続けると、工場のような塀が増えてきました。
「関係者以外立ち入り禁止」「危険」等の看板が貼りつけられ、資材置き場のように 何かが積まれているのが見えます。
住居地域ではなく、工業地域なので住宅がなかったのかと、納得しました。 工場のようなものはどんどん増え、産業廃棄物の山が築かれ、野焼きの異臭が漂いはじめました。
とんでもないところに来てしまったと気がついたものの戻るには遅すぎました。
信じられない光景でした。回り中が産業廃棄物の山、また山。
その頃はまだ世間に知られていなかったのですが、後にテレビのニュース番組の ほうれん草等のダイオキシン汚染報道で有名になったT市の産廃銀座に行ってしまったのです。
住宅街からそう遠くないところに、こんなものが公然とある、・・・・恐ろしいと思いました。 人類の終末を見た思いで暗澹たる気分になりました。
けれど、とにかく一刻も早くそこから抜け出したい一心で足を速めるしかありません。 後悔にかられながらもやっと、産廃の山から抜けて辺りはまた何もない景色に戻っていました。
道はどこまでも真っ直ぐ続いています。 すっかり無口になって歩いていると、急に息子が、
「今通った二台の白い車が消えちゃった」 と言って、騒ぎはじめました。
道は起伏のない広い真っ直ぐの道です。通り過ぎた車がすぐに見えなくなるはずもないのに 振り返ると影も形も無かったと言うのです。
「ねえ、見たでしょ、白い車」 ・・・・そう言われても私も娘も見た覚えがありません。
だいたい、早く人家のあるところに行きたい、と、ばかり考えていて行き過ぎる車などに 注意を払っていなかったのです。
「でも、全く同じような白い車が続けて二台通り過ぎて、とても、目立ったじゃない」
「それで、なんとなく変な感じがして振り返ったら消えていたんだもん。」 と、息子は言い張ります。
「狐にでもつままれたんじゃない、気持ち悪いと思って歩いていたから」 私は答えました。
・・・・たしかに、その道程は人家が無くなったあたりから、妙に暗い、気味の悪い感じが つきまとっていたのです。
「もう嫌だ!!」 息子は本当に怖がっていました。
「ここ、何だか、おかしいよ。さっき、通り過ぎていった戦車みたいな車だって変だったし・・・」
戦車みたいな車??・・・・私も娘もそんなものを見た覚えがありませんでした。
「映画のあとで怖がっているからよ。」 と息子に言うと
「あんな映画一つも怖くなかったじゃないか、」 と言返されました。 そうこうするうちに、左手に神社が見えてきました。
由緒ありげな古い神社で、そこも鬱蒼と茂った木々のせいか妙に暗い感じがしましたが、 神社があるという事は人家が近いということでもあると思うと、安堵の気持ちが湧いて来ました。
それから、ほどなく人家や、酒屋、コンビニなどがある普通の町並みに戻り、歩いて来た 新T駅行きではありませんが最寄のT駅行きのバス停も見つける事ができました。
バスでの帰り道はあっけないものでした。先ほど通った産廃銀座は通らず、 住宅街だけをぬうように走っているので、この当たり前の住宅と畑のすぐそばに あんなものがあるのが信じられない程です。 ミステリーツアーはどうやら終わったと、軽い疲れの中でぼんやりと考えていました。 バスから電車に乗り継ぎ家路についた頃にはだいぶ暗くなっていましたが、 駅から家までは10分とかからない距離です。
玉川上水沿いの通い慣れた道をゆっくりと歩いていると、車が通り、私たちは道の端によけました。
「あれ、何!!!」 突然息子が声をあげました。 私も娘も何の事かわかりません。息子は車のヘッドライトが照らす塀の辺りを見て、 「何?!」 と驚いている風なのです。
「ライトの反射じゃない。」 と答えると、「
違う、塀の前の・・・・」と言うのです
「何もないじゃない」 「何かが見えた・・・」
「何が?」
「人みたいな・・・」 息子にだけはライトに照らされた辺りに人のようなものが浮かび上がって見えたらしいのです。
「どんな人?」
「駅員さんみたいな・・・こんな風にして 」と、息子は言って敬礼して見せました。
「駅員さん?」
「うん、帽子をかぶって制服みたいな茶色っぽい服で・・・・」
「駅員さんの服は茶色くないんじゃない」 と言うと息子は
「兵隊さんかも・・・・・いやだぁぁ~~~!!」 と、すっかり、怯えています。
私にも娘にも何も見えなかったのですが、ぞっとしました。
「なんだか、変な一日だったね。」家に着いて灯りの下に座ると、皆ほっとしていました。
気分を変えようとテレビのスイッチを入れました。 ニュースが流れています。
「終戦記念日の今日・・・・」 夏休みボケですっかり忘れていたのですが、その日は終戦記念日だったのです。
アッと思いました。息子の見た戦車・・・兵隊さん・・・。
やはり、気の迷いではなく何かがあったのでしょうか。
私にも娘にも気味が悪いという感じだけで、何も見えなかったのですが・・・・。
84■忘れ物
■テテ:2001年4月30日< 火>
今回は、怖くないんですが、迷惑だったお話です。
私の店は一元さんお断りの「超強気の店」を自負しておるのですが (この強気で泣きを見ているのも事実・・)
お客様のたってのお願いで、お客様の叔母様とそのお友達という方のお手入れをさせていただいたことがあります。
そう・・かれこれ5年ほど前です。 叔母様といわれる方は、60歳、お友達は55歳くらいだったと思います。
お手入れ前には、必ずカウンセリングというのをやります。 その方の日常や、体調をお聞きして施術の参考にするためです。
叔母様の方は静かな方で、小さい声ながらもはっきりと答えてくださっていました が、お友達の方はあまりはっきりとはお答えにならないのです。 このお友達の方が曲者で、最初店に入ってこられた時・・お顔を見たとたん
「やば!この人なんだか良くない・・」 正直言って、何が良くないのか、その時は判らなかったのですが・・。
お友達の方は、顔色がとにかく悪かったので
「お体の方はなんともありませんか?」 とお聞きしたんです。すると
「いろいろと病気をしているんですが、最近肝臓が少し悪いようで」 とおっしゃいました。
その方のお顔を見ながら、お話を聞いていると・・。 頭の中に「白いジャンパーを着て頭を角刈りにした、50代の男の人」が浮かぶのです。 見えるわけではなく、頭に浮かんでくる・・という表現しか出来何のですが、浮かぶのです。
でもその人は死んでるふうではないのです。 死んでいない・・と思いました。
では・・生きている人間の残像のようなもの・・つまり生霊なんだろうと思いました。
手には負えないが、とりあえずお手入れをさせてもらい、お二人とも 気持ち良くお帰りになりました。
なんだかとっても疲れた私でしたが、次ぎのお客様が6時からお見えになるので、片 付けと準備をしておこうと流し台に立って、スポンジを洗っていると・・突然左肩から 後頭部にかけて「ガーーンン」という痛みがはしりました。
「ツー・・イッター・ ・」くも膜下出血ってこんな症状らしいが、まさか・・と思うほどの痛みです。
しばらく立ちすくんでいると・・また浮かぶのです。先ほどの男の人が。
「アー・・置いて行かれたか」とっさにそう思いました。 生きてるんだったらまずいよね―・・とも思いました。
痛み止めを飲んでも痛みは止まらず、6時からのお客様をしながらも吐き気を催し、2度も戻してしまいました。
それでもお客様には、こんな状態を悟られまいと、なんとかがんばってみたのです が、そのお客様をお見送りした時にはもう限界にきていました。
一人店に残ってベットに倒れこみ、子機から自宅に電話しました。
「ちょっと、斯く斯く云々なので、もう少し店で休んで帰るから・・」と。 すると母が・・
「あんた!そんなとこで寝てても良くなる訳ないよ!!さっさと帰ってきなさい!パパに迎えに行ってもらうから!」 という剣幕。
なんとか主人に迎えにきてもらって、這うようにして帰宅しました。 帰ってみると・・母が玄関に立っていて、
「こっちきなさい!」と、私を仏壇の前に連れていって座らせました。
蝋燭に火をつけると・・見事なまでに蝋燭の火が針のように立ち上りました。 シューッとまっすぐに天井に突き刺すように立ち上るのです。 「あーあ・・連れてきたね」と、母。
「やっぱり?」と私。 祈祷らしいこととか出来ないので、
「お父さんとご先祖様に追い払ってもらおう」と言うことになりました。 手を合わせてしばらくすると、随分気持ちも良くなりました。
蝋燭も片方だけは元に戻りました・・。でも、その日はそれまでで 後はゆっくり休むことにしました。
翌日はもう何ともなくて、元気良く仕事に出たのですが・・ 後日、お客様にお電話で私が経験したことをお話すると、
「じつは・・多分その男の人は、叔母のお友達が最近までお付き合いされていた人だと思います。頭を角刈りにして、白いジャンパーが好きで良く着るみたいです。」 と・・。
「その方とは今はもうお付き合いはされていないんですね?」 と伺うと
「はい、随分もめたそうですが・・。その男の人は彼女を随分恨んでいたとか・・聞きました」
・・・・あーあ・・・です。 多分・・生きていながら人を恨むと、その本人も相当な気力を使っていることでしょう・・。
お互いにいいことはないのに・・と・・少し気の毒になりました。迷惑だったけど・・ その後の彼女のことは時々思い出します。
多分今はもう生きておられないはずです・・。
そういうお顔でした。
85〜91■OCCの日記より7話
■あいびい:2001年4月30日< 月>
85■病院その1
これはあいびいが末っ子産んだ病院でのこと・・・ やっとの思いで生んだこの子が男の子!! ははは・・・しょうがないけど・・・(註:あいびい様は3人の男の子のお母様です) で、普通産んだあとって夜中もよく寝なくちゃいけないよね? ・・・なのに、寝れない・・・何かを感じるの~ 3日目・・・さすがに3日目ともなると、眠れそうになってきて~~~( ̄□ ̄;)!! 来たのよ~~~全身真っ裸の真っ白い男・・・ まゆも髪の毛も何にも毛がない真っ白な男!! あいびいの上にまたがってこっちをじっと見てる(-_-;) あ~~~もういやだ~~!!! 思わず心の中で「どうでもいいけど早く通るんなら通れば!!!」 すごすごと、去っていったわ~~(^-^*)ゞ でも気の毒なのは隣りのおかあさん・・・うなされてた・・・M(__)M 次の朝すぐ主人にお数珠持ってきてもらうように頼んだ・・・ ははは慌てて出産に来たから、持ってくるの忘れてた~~~ 旦那「何で持って来とかんかったんか?出たか?」 ハハハ・・・出たわよ~~~ ホント大事なところは見えなかったけど、きっと毛がなくなる病気・・ 白血病とか?そんな病気でなくなった方でしょうね~
86■病院その2
その病院ではもうひとつ・・・甥っ子が肺炎で入院したのね・・・ お見舞いに行ったあいびい・・・上の子1歳を抱っこして行ったんだけど~~ 病室に入る前・・・・いきなり金縛り・・・・ あ~~~~~このままじゃ子供落としてしまう。 付近にいた看護婦さんあいびいが呼吸困難になって、固まってるの身て近寄ってくる・・ 遠くで「大丈夫ですか」の声・・・返事も出来なくて・・・・・・・・・ 数分後・・・金縛り解けて・・・・・・・ほっ・・(゜.゜)。 ホント病院って嫌だ~~~ もっともいろんな人が亡くなってるもんね・・・ 頼られても・・・・困る・・・がははは・・・
87■天国への道
あれは、数年前・・・主人のいとこが子宮ガンにかかりました・・・ わずか20歳・・・ 女の子だからホントは今から幸せな結婚して子供産んでって 一番楽しい時期が来るんだよね~ でも、残念ながら・・・・。 あいびいは割とまめに病院にも行ってたのよね・・・ だから、亡くなったときも形見分けで、あいびいはパジャマもらった。 義理の妹はまだ使ってなかった下着・・(パンツ)・・・でね。 ぼちぼち納骨って時期にあいびいのところに夜来るわけよ・・・その子 「自分だけ天国への道がないの」って・・・ 確かに他に人の道は繋がって見えるのにその子は繋がってないの・・・ 親に言ってくれって・・・・早く納骨して欲しいって・・・ それがパジャマ着て寝るときに来るのね・・・ おかしいなって思って義母に相談したわ~~ そしたら、親が離したくないって、納骨拒んでるって・・・ 後でわかったんだけど義妹も子宮が痛くなってたそうです。 でも、やっぱり、親は納骨しないのよ~~気持ちわかるけど~ ・・・で、今度はだんなの所に ・・・うなされてるから、起こしたの・・・ そしたら、その子が何も言わず、かなしそうな顔で立ってるって・・・ あいびいもういちど義母に言ったわ・・・。 義母も言ってくれたみたいで、やっと、おじさんおばさん納骨してくれました。 その晩・・・ニコニコ微笑んでうれしそうに天国への道が出来たと、見せてくれました。 あれが、ほんとに天国の道かどうかは、わからないけど 真っ暗闇に、数本の光のすじ! あいだ、あいだに隙間があるのはいけない人でしょうね!きっと・・
88■訪問者
えっと~~あれは・・・5月だったかな~~??(忘れた) 夜中2時・・・・NETしてました・・・面白くってNET漬けの日々! みんなのHP回りながらふと、何かを感じる・・(゜.゜) 後ろから女の方が「う~~~~~~~~~~~」ってうなるんです・・・ アッ来たなって思ってあいびいは外とか懐中電灯もって見回り・・・ 人間ならこんな時間は泥ぼーOR変質者・・・ その日は運がいいことに!旦那は出張、子供は3人とも実家・・・ いるのはあいびいと、犬・・・その声の時にワンこと、目が・・・・あったんです・・・ それまで寝てたのに・・・びくっとしてこっちを見てる。 丁度NET中だったから、カキコして2人の友達は 巻き込んだんだけど大騒ぎさせてしまいました~~;(_ _) ひとりの人は今から来るとも言ってくれて~。 あいびいがひとりじゃなかったら恐くなかったんだけど・・ 声聞いたのも久しぶりだったし~~(;^_^A そして次の日・・・・旦那が出張から帰りました・・・ その日は、前日の事があるから2時前には寝ました。 さすがに2時の時報は聞きたくなかったよV(^0^)V すると・・・・旦那・・・うなされはじめてます・・・( ̄□ ̄;)!! 起こしましたが・・・だめ・・・起きないのよ~~ 次の日「昨日、髪の長い女に首締められた」・・・・ どこからか連れて来てしまっていたようです・・・ どこから連れて来たんだろ?? 旦那には「変なのつれてくるな」と言われました~~~ヾ(≧∇≦)ゞ その日には、帰られたようですが~~~ もうここにはいません~~~でへへへ。 でもサ~~ほんとに恐いって思ったのは20歳の頃の真昼間の金縛り! でへへへ・・・ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
89■真昼の金縛り
♪あれは、あいびいが20歳の頃・・今の旦那と交際してたんだけど、 大喧嘩して別れる別れないのやってたのね。 ・・・で、その喧嘩の真っ最中、旦那のおばあちゃん他界しちゃったんだ~ あいびいの事とても可愛がってくれてたから、 通夜に行きたいと言ったんだけど喧嘩の真っ最中!! 「来なくていい!!」といわれ・・・プツーン切れちゃった~~ もう別れる~~~って、葬式の日・・・男友達と遊びに出かけたんだよ~~ そしたらあ~~~( ̄□ ̄;) 丁度時間も葬儀の時間・・・ 真昼間だと言うのに、男友達の部屋での金縛り!(-_-;) 頭の中は真っ白になっていき、呼吸も苦しい・・ かすかに男友達の声だけが聞こえる・・・ 目が開かない状態の中で葬儀の様子が頭に鮮明に・・・ 斎場での様子・・あ~~これはまずいなぁ~~ そう思ったあいびいは心の中で「おばあちゃんごめんね」をつぶやいた。 すると金縛りは解けて行ったんだ~~ 金縛りから解けると男友達 「おまえ何見たんか?」彼も霊感あったのね・・・ 「おばあちゃんの葬儀でね・・・・」と詳しく話すと・・ 「さっき来とったで~~しろいものが・・そこに」 男友達曰く・・・ 「今の彼の事信じてついていくしかない」 そうだね・・・・ おばあちゃん、あいびいに怒りに来たのかな? 他の男と遊んだらだめって~~、でもね~~ほんとこわかったよ~~ と言うわけで、今の旦那とはもう19年の付き合いになりました
90■心霊写真
あいびいの中の子・・・ いとこの結婚式に行って子供だけで撮った写真・・・ 足が写ってません・・それ見ても恐くなかったんだ・・・ ご先祖様が足に気をつけなさいって言ってるみたいで・・・ふふふ。 あっ!いまも持ってます・・スキャナーないのが残念
91■ひげダンス
あいびい上の子…感受性強いって言うか・・・ 夜中に突然叫んで必ず言うの!ひげ生やしたおじさん・・・ あ~よくみるカトチャンのひげダンス・・・ あのおじさん、見えたらしいんだけど~~ 「あ~~~~~~~~~~!!!!ひげダンスのおじさんがいる!!!」 これ、ある1点宙を見つめて泣き叫ぶの・・ 6歳ごろから・・・10歳位で無くなって来たけど・・・ 塩盛ったり・・・数珠持たせたり・・・ いろいろやってみたけどこれだけは長かった・・・ しまいには旦那と間に挟んで寝たり・・・ 結局いつのまにかでした・・・・未だにこれはなんだったか??? まあ何か居たんですね・・・・これは見えなかった・・・・・ははは
92■夢
■はるよ:2001年5月10日< 木>
このお話は、中学生のころ見た夢です。このころは何故かよくお寺の夢を見ていました。
古いお堂の中に入ると、大きな仏像が3体そびえたっている・・・ たまに人がいると、かならず白装束を着ていました。
仏像も観音像だったり 不動明王だったりいろいろでしたが・・・・ こんな妙に、宗教めいた夢を見ていたのですが・・・
ある日の夢の始まりは、日本のお城の一室に私が座っているところからです。 私の後ろには数名の武士と女性たち。みんな泣いていました。
私は自分の目の前にある祭壇の観音像に一生懸命祈っています。
しばらく手をあわせて祈っていると、突然像の脇の2本のロウソクの火が高く明るく 燃え上がりました。
びっくりして観音像のお顔を見上げると、そのお顔が とってもいや~な顔に見えたんです。
そのとき私は「ああ・・・負けるんだ」と 思いました。
どうやら、城の周りでは戦が起こっていって私は今にも落ちそうな城の お姫様のようでした。
老人の武士が「どうぞ、あなただけでもお逃げ下さい」と 言うので、
「いやだ」と返事をすると、他の武士達も私を逃げるように 説得し始めました。
とうとう逃げることにした私は2人の女性と夜になって 山の中へ走りました。
足元のたくさんの死体を踏まないよう気を付け、 怖さのあまり必死に走りました。
私は一体どこを目指して逃げているのか よくわかりませんでしたが、一緒の女性は行き先がわかっている様子でした。
この情景を見て「で、この後どうなるんだろう?」と、もう一人の私が考えているん ですよね。
すると、夜の山がす~っと明るくなって、場所が竹林になっていました。
奥には、小さな庵がありました。そこには尼さんがいて白と紫の着物を着ています。
「あ~あれが私か・・・うまく逃げ切って尼さんになったんだな~」と 納得しているもう一人の私。
ここでお話も終りです・・・ ただの夢なのか、前世なのかよくわかりませんが、見た当時はかなりインパクトが ありました。
(笑)もっと長い夢でしたが、細かいとこは忘れちゃいました。
93■お客様
■チェリー :2001年5月13日< 日>
喉元過ぎれば熱さも何とやらで、去年の11月頃、我が家に滞在して悪戯をしていた霊の事をお話しましょう。
あの時は恐くて、この<開かずの間>の更新を一時中止していたのですが、
もうそろそろ良いでしょう。 ・・・ネタも尽きてきた事ですし。
その朝、高校三年の息子は選択授業の関係で遅い登校でした。
私は前日、ネット三昧で夜更かしした為、六時半起きでは眠くてどうしようもありません。
朝御飯の用意をして、家人を送り出した後は、まだ学校に行かない息子を放ったらかして、再び夢の中へ・・・・。
だらしなく朝寝を決めこんでいました。
と、息子が玄関に来て学校に行く様子です。 息子の後を追って、下の高校一年の娘の足音がついて来て甘えたような声で
「いってらっしゃい」 と、送るのが聞こえます・・・喧嘩ばかりしてても可愛い所もあるものだと思いながら、息子に
「もう、行くの?」 と、声をかけました。
「うん」 と、いう返事。 起き出して、玄関に見送りに出ると、ついて来ていた筈の下の娘がいません。
「あれ、M子(娘の名)は?」
「お母さん、何、寝呆けてるの、M子なんか、先に学校に行ったじゃない。」 と、息子。
・・・・そうでした。朝送り出したのを忘れていました。 確かにM子の声と足音を聞いたと思ったのですが、寝呆けていたようです。
自分で、少し可笑くなりました。 息子が出ていった後、ズボラな主婦は再び朝寝・・・・。
こういう事をすると、睡眠のリズムが狂って、ろくな事はありません。
今度は寝ている布団の端を踏んで誰かが私をまたぎ通り過ぎて行きます。 寝室を横切って娘の部屋に入って行く気配・・・。
どうも、娘のM子のような気がしますが、そんな筈はありません。 妙な夢ばかり見るようなので、もうきちんと起きる事にしました。
何事もなく一日が過ぎ、変な夢の事など全く忘れて夜になりました。
夜は相変わらず遅くまで<開かずの間>に思い出話を書いて、起きていました。
あまり夜更かしをしてもまた明日が辛いと、昨日よりは早く床に就き、うとうとしていると、とっくに就寝した筈の息子が二階の寝室から降りてきて台所でごそごそしています。
一度眠ってしまうとふんずけても起きないような息子が起き出して来るのは珍しいので、具合でも悪いのかと思い、
「どうしたの?」 と、台所に顔を出しました。 息子は、
「金縛りに会った」「恐かった~~~。」と言って水を飲んでいました。
私に体質が似たのか、息子は時々金縛りにあいます。 霊的なものというより睡眠のリズムの乱れが原因のようで、決まって昼寝をすると、夜の睡眠がおかしくなるのです。
そのため息子は、なるべく昼寝をしないようにしていました。
「昼寝もしてないのにおかしいんだよ。・・・・それに凄く恐かった・・・・」
「何だか部屋に帰るのが恐い」 と、息子は、ぼやいていましたが、仕方なく部屋に戻っていきました。
翌朝も息子は 「昨夜は恐かった~~~。」 と言っていました。
枕元に誰かが来て、初めは気配でM子だと思ったと言います。
M子だと思い込んでいた、枕元の何者かは、クスクス笑いながら息子の耳を掴むと、ぐいぐい引っ張ってきたのだそうです。
そこで、これはM子とは違うと気がつき、抵抗しようとしたのですが、金縛りで全く身動きが取れない。
耳はぎゅうぎゅう引っ張られて痛いし、クスクス笑いながら執拗に耳を引っ張る得体の知れない相手にぞっとして、やっと金縛りが解けたあとも恐くて仕方なかったと言います。
金縛りは何度もあるけど、こんなのは初めてだと、息子は余程リアルで、恐かった様子です。
私も朝、M子がいるのと間違えましたが、息子の耳を引っ張ったのもM子のような感じの誰かです。
どうも、M子位の年頃の女の子が家の中をうろついている様に感じられて仕方ありません。
やはり、<開かずの間>を読んだり書いたりしていると呼んでしまうのでしょうか、
「ごめん、お母さんのせいかも・・・。暫く、<開かずの間>は休むわ。」
「やだな、昨日もそんな事してたの、やめてよね」
「ごめん~、でも昨日はあの後、金縛りにならなかったんでしょう?」 と、聞くと、
でも何かいる感じがして、今夜あの部屋で寝るのは嫌だと言います。
こんな時は気の持ちようだろうと、何か魔よけとか、お守りをと思ったのですが、あいにく何もありません。
息子にあの部屋で寝ないとごねられても面倒なので、何か無いかな・・・・そうだ、お数珠!!と、思いつきました。
日本人なら真っ先に思い出しても良さそうなんですが、そこは普段の不信心。
「こういう時は、ほら、昔から効果があると言われてるものが効くんじゃない」
「いわしの頭も信心からって言うけど、これ傍に置いておいたら?] と、訳の分からない罰あたりな事を言って、お葬式セットの黒バックに入れっぱなしだった お数珠を息子の枕元に持っていきました。
あんまり、霊験あらたかでもなさそうな近所の雑貨屋で間に合わせに買った安物のお数珠ですが、そこはもったいぶって持っていくと、息子はどうでもいいやという感じで特にいらないともいるとも言わずに置かせてくれました。
翌朝、息子に聞くと金縛りになる事もなくあの後は平穏に寝られたというので、これにて一件落着という事にしました。
そして何事もなく、そのまま日が過ぎていきました。 ただ、昼間一人でPCに向かっていると部屋のあちこちからパシッ、パシッ、という音がします。
温度による膨張や収縮による軋み、所謂家鳴りというものなのでしょうか、ラップ音という事もないだろうと思って過ごしていました。
どうも時々、いない筈の人の気配がしたりするのですが、それも気のせいだろうとあまり気にしない事にしました。
息子の部屋に置きっぱなしのお数珠・・・そろそろ、葬式バッグに戻そうかと思い片付けようとすると、
「置いといて」 と息子。 恐がりの息子もまだ何か気配を感じているようです。
(なんだ、お数珠なんてどうでも良いような顔して、ぷぷぷ。見栄をはっていたのか、)
日曜日になりました。 子供達も主人もてんでばらばらに本屋に友達の家にゴルフの練習にと出掛けて行き昼過ぎ、先ず主人が、そして娘、続いて息子が帰って来ました。
やれやれ、お昼時にはちゃんと御飯を食べに戻ってきます。
昼御飯をあわてて作り、 「御飯よ~~っ」 と広くもない家で大声をあげればみんなそれぞれの部屋から食卓に集まってきます。
でも、何をしているのか、なかなか娘が来ません。 「ちょっと、M子を呼んで来て」 と息子に命令すると
「M子は帰ってないよ」 という返事。
「嘘~、お父さんが帰って来たすぐあとに玄関があく音がしてM子が帰ってきたじゃない?・・・また出掛けたの?」
「だから、帰ってきてないって。」
「ええ~~~~っ!!声がしたのに・・・」 どうやら、M子の偽物はまだこの家から出て行ってない様子。
でも、あれ以来別に悪さはしないようだし、放っておいても良いかな・・・・。
このようなお客様が居ついてしまった場合の対処法というのはどんなものなのでしょう。 あまり、悪いものでもなければ、共存という事も考えられます。
ま、主人と娘は何も感じてない訳ですし・・・。 気にしながらも、日が過ぎていきました。
私以外誰もいない昼間の家で、階段を降りてくる音がしたり、息子の部屋で足音がしたり パシッ、という音も続いていました。
夕方、転んで自転車が変になったと言って娘が学校から帰ってきました。 あちこち打撲してアザだらけで、
「いてて、」なんて言っています。
「気をつけなさいよ。危ないわね。」 と言うと、
「それが、変なの。走っていたら、急にハンドルが曲がって道の脇の生垣に突っ込んじゃった。」 と言うのです。
「転んで倒れた拍子にハンドルが曲がったんじゃないの?」 と聞いても、
「違う、ハンドルが曲がったから転んだの。」 と言う娘。
ハンドルを調べてみたのですが、固くて、とても勝手に回ったりしそうにありません。
「ここ、3日くらい転びかけてばかりいて、おかしいの。」 と聞き捨てならない事を言う娘。
「何、じゃ、自転車の調子がおかしいんじゃないの、」 と言うと、娘は、今日のようにハンドルが勝手に曲がってしまう事はなかったけれど、 何かを踏んだような感じがしてハンドルをとられたと言うのです。
「何も見当たらなかったけど・・・」と。
息子に悪さをしていないようなので、滞在のお客さんを放っておいたけれどまさか、娘にこんな悪さをするとは・・・。
ハンドルをとられて突っ込んだのがもし車道側だったら・・・・そう思うとぞっとしました。
もう、放ってはおけません。なんとか出て行っていただかなくてはなりません。
娘は 「もったいないよ~。」 と言うし、乗ってみても何も調子の悪いところはないのですが気持ちが悪いので、まだ1年使っていない自転車はその日のうちに買い換えました。
娘もその実、急にハンドルが曲がった自転車が気味悪かったらしく、新しい自転車を買ってもらうと、安堵しているようでした。
そして、息子にも効いたお数珠作戦という事で、次の朝、学校に行く娘に大切な亡き伯母の形見の珊瑚と水晶のお数珠を無理矢理に持たせました。
私をとても可愛がってくれた母方の大好きな伯母の思い出の品です。
息子の時とは随分な違いですが、女の子の霊は、軽い悪戯はするけれど息子には好意を寄せているように思えます 。
けれど娘に対しては、お兄ちゃんと仲良くしている事への嫉妬なのか、少々悪意が感じられます。
53話の不穏(?)になったら のNORMA様に教えて頂いたやり方に倣う事にしました。
「私は知りません。私はあなたを助けられません。ごめんね。だから構わないでね」 とひとりごとを言うという方法です。
「悪さをしたら承知しないよ~~~!!」 というような高飛車な圧力を無意識にかけていた気もするのですが、無駄でしたので、心を入れ替えて、 口には出さなかったのですが、真剣に謙虚にお願いしてみる事にしました。
十日以上家にいた霊です。
そんなにすぐに言う事を聞いてくれないかもしれないと思っていたのですが、効果は劇的でした。
その日を境に家にあった気配も足音もピタリと途絶え、ラップ音もやみました。 やはり、気のせいではなかったのだと、驚くほどの変化でした。
私も息子も気配を感じる事は無くなり、娘も自転車で転びかけたりしなくなりました(自転車を替えてはいますが)。
話せば解る・・・というのは霊にも通じる事だったんですね。 素直な大人しい霊で助かりました。
娘の事にしたって、本当に悪意があったのなら、突っ込んだのは生垣ではすまなかった筈です。 もし、悪霊だったら、
・・・・と思うと背筋が寒くなりますが、そういう時はどう対処すれば良いのでしょう。
とりあえず、普通の霊にはこの方法が著効がある事がわかりました。
NORMA様、どうもありがとうございました。 あの時は本当に助かったのです。
94■姿なき訪問者
■チェリー :2001年5月16日< 水>
昨日、娘の学校で起きた話です。
娘の通っている高校では合唱祭が近く、各クラスがそれぞれ早朝練習や、放課後練習に励んでいます。
昨日も早朝練習があって、娘は朝早くから登校していきました。
視聴覚室に集まって練習をはじめようとしていると、クラスメートの女の子数人が
「公園を通ったら何かついて来ちゃったよ~~!」
「いやっ、何それ~~~、幽霊?」 「きゃー、いやだ~」 と、騒いでいました。
その時です、視聴覚室のドアの取っ手がガチャガチャいって誰かが来たような気配がしました。
誰も入ってこないでドアノブだけがガチャガチャ音をたてているので、ドアの傍に居た誰かがドアを開けてみると、
たたたたた・・・・と、廊下を走り去る音が聞こえ、そこには誰もいません。
おかしいなと思いながらも、ドアを閉めて暫くすると、また、ガチャガチャと音がします。
再びドアを開けてみましたが、やはり、また誰もおらず、 たたたたた・・・・・と足音だけが廊下を走り去っていったそうです。
早朝練習に参加したクラスメート全員の前でこんな不思議な事があったと、娘が話してくれました。
95■私が見た霊のお話
■Anne:2001年5月18日< 金>
1998年の5月の下旬、私と女友達の2人が日帰りの小旅行に行きました。
その日のお天気は曇りのち晴れという予報でした。
片道1時半程度だったので、朝の9時ごろ出発して、10時ごろ、運転を友人に代わり、 道路が山の中を通ってる山道ばかりにさしかかったところ、急に雨がポツポツ降りだして・・・。
その道路の途中に、トンネルがあって、そのトンネルはコンクリートが打ちっぱなしになってる古いトンネルです。
トンネルの中は小さい蛍光灯が所々点いているかなり暗いトンネルでした。 (ライトを点けないと車が通れないくらい暗かったです。トンネルの長さは200mくらいでしょうか・・・?)
トンネルに入る50m前くらいから、トンネルの中に(入り口から30m奥に)ワイシャツにネクタイ姿の男のヒトと作業服を着た男のヒトが 2人立っているのが見えて、
友人はその男の人たちに注意しながら、トンネルの中を20~30km/時ぐらいの速さで走り抜けました。
そしたら、トンネルを抜けると同時に、 『キュルルル~~、キュルルル~~と車の下の方から 音が鳴り出して、驚いて友人の方を見たら、運転席のパネルのブレーキランプが赤く点灯しているのです。
「ブレーキ、ブレーキ!」と私が言うと、友人は
「踏んでないよ~~!!」と言ったので、すぐサイドブレーキを見ると サイドブレーキが目一杯上がってて・・・。
(引っ張られていて・・・。) 私は慌ててサイドブレーキをおろしました。
その後、バックミラーで後ろを見たんですが、トンネルの中にひとはいなくて・・・。(^_^;)
じつはそのトンネルはかなり山の中にあって、トンネルの前後に一台も車が駐車してなかったのです。
運転していた友人はかなりスピードを出して運転するタイプなので、もし、気が付かなかったら、山の中でスピンして事故ったような気がします。
ただ、私は非物理的なことが通用しないタイプ(占いやジンクスなどが絶対当たらないタイプ)なので、大丈夫だったのかな~、
って思います・・・。(^_^;) (普通の人だったら、事故ってると思います。)
その日のお天気はその後雨が上がって、次第に良くなって、とても暑い初夏の一日だったです。
その後、もう2度とそのトンネルは通らないことにしました。
96■不思議なお話
■のえる:2001年6月2日< 金>
こんばんは。のえるです。 私の子供の頃、体験した、不思議なことをお話しします。 私は5歳年上の姉と2人姉妹です。 両親は、姉が生まれたとき、お雛さんを買ったそうです。子供が2人とも娘ということもあり、 毎年、お雛さんをおひな祭1ヶ月ほど前から飾り、菱餅やあられを並べて、お祝いしました。姉も私もひな祭をとても楽しみにしていました。 そして、母は、おひな祭が終わると、早々とお人形たちをしまっておりました。 それは、ごくごく普通のお雛様で、ただ7段飾りということもあり、母は、面倒だったのか、 姉が中学生の頃には、お内裏様とお雛様の2人しか飾らなくなりました。 さらにそれから2-3年たった頃でしょうか、おひな祭りが近づいたある日、母は突然 「もう、今年はお雛様、飾らないわよ。」 と言いました。私は、それを聞いた直後こそ、残念に思いましたが、すぐにそのことを忘れてしまいました。 ひな祭の前夜、いつものように1人、子供部屋で寝ていた私は夜、何かの気配を感じ、目が覚めました。 部屋はもちろん真っ暗でしたが(私は豆球がついていると眠れないのです。)、 枕もとに、ぼんやりと光る、丸くて白いものが、ふわふわといっぱい浮かんでいるのが見えました。 大きなシャボン玉くらいの大きさでした。 目を凝らして見ると、その白くて、ぼんやりと光る、玉の中にお雛様がいたのです。 そして、他の玉にも、それぞれ、家来や三人官女はもちろん、お内裏様もいるではないですか。 さすがに夢ではないかと思い、目をこすったり、つねってみたりしましたが、夢ではなく、意識もしっかりしていました。 恐怖心はまったく、なかったです。 翌朝、母にそのことを話しました。おひな祭のその日、私が学校から帰ってくると、お内裏様とお雛様が飾られてあったことは、言うまでもありません。
97■怖い話じゃないんですが
■のんたろ:2001年7月1日< 日>
チェリー様、私が見た霊は恐い霊じゃなかったんですよ・・・
1つは、 お盆に家の前で「足」がうろうろしていたんです。膝から下の足だけで胴体はなかったんです。
きっと御先祖様が帰って来たところだったのでしょう(^_^)
2つ目はちょっとゾーッとしたのですが、夜中の2時頃、空室になっていた カラオケルームの窓ガラスに写った女の人です。
ガラスに浮かび上がる様にして 写っていました・・・に~っと微笑んで・・・。
その室内は真っ暗だったし、「見えるはずのない位置」から見えて・・・これは さすがに恐かったです。
あと、金縛りも何度もありますよ。
ただ体が動かないだけじゃなくて、耳もとで囁かれたり、頭上に緑色の人が立っていたり ・・・きゃーっ! あの時はホントに恐かったです。
高校生の頃でした・・・ハイ・・・。
98■怖いはなし
■テテ:2001年7月7日< 土>
去年の7月頃のお話です。 私の店はテナントで、ビデオショップの2階にあります。
1階はビデオショップと、Gパン屋さんとゲームソフトのお店がありました。 私はここで、もう12年程営業しているのですが、1階のGパン屋さんは私よりもず~っと以前から小さな店舗で営業されていました。
3年程前にゲームソフトのお店が引っ越してから、Gパン屋さんは少し広めのソフト屋さんだった店舗に移りました。
お店の内容は、Gパンと安いお洋服をメインに置かれていて、お洋服のお直しなどもしてくれる、気安いお店でしたので、 私も他店で買ったズボンやブラウスなどの裾上げなんかもしてもらったりして・・人のいいご夫婦のお店でした。
去年の6月の末頃から、急にお店を休業するという張り紙が出され
「働き者のおじちゃんなのにどうしたんだろう?」 とは思いましたが 病気か、旅行か・・という程度のことで深くは考えていませんでした。 7月の11日の夜9時半近く、遅い仕事を終えて帰宅しようと店に鍵を閉め、駐車場に向っていると Gパン屋のおじさんがご自分のお店の前に立っていました。
お顔と姿は真っ黒で見えなかったのですが、街頭に浮かぶシルエットは長年知ってるおじさんでした。
「こんばんは~」 と声をかけたのですが、いつもなら
「今晩は~。お疲れ様です」 と言ってくれるおじさんが、そのときは何にも答えてくれず・・店の中にス~っと入って行ってしまわれました。
「??聞こえなかったのかな?」 と思いましたが、私も早く帰りたかったので その日はそのままボーっとして帰路につきました。
途中・・車を運転していて・・オヤッ?と気付いたことがありました・・。
いつもおじさんはお店を閉める時、店の奥の豆電球をつけてあるのです。 でないと、物にひっかっかって転んでしまうので必ず足元を明るくしているのです。
なのに、今日は真っ暗な店内にスーっと入ってしまいました。
「転ばなかったかしら?」 と、気になりました・・。 それから2日後の13日に、ビデオショップのオーナー(このビルの持ち主)にばったりお会いしました。
「下のGパン屋さん、長い事お店を閉められていますが、ご病気ですか?」 と、何気なくきいてみると・・
「じつは・・ご主人が亡くなってね~」 と、オーナーが苦渋の表情を浮かべる。
「え?昨日ですか?」 と聞くと 「いいや、6月の終わりよ」 という答え。
「ハ~??そんなわけないです(笑)。だってわたし!!一昨日おじちゃんに会いましたよ~。冗談でしょう?」 と、のん気に切り返すと 「・・・・いや・・亡くなったのは6月の終わりよ。自分もお葬式に出たんだから・・」 と、見る見る青ざめていく・・。
「・・・・・」 「いつ見たね? 」「おととい・・です」 「・・・・」
「本当に見たんです!店の前で!お店に入っていかれましたよ」
「・・店のシャッターは閉まっていたやろ?」
「ア!」 確かに・・店のシャッターが閉まっていました。
おじさんは、急な心筋梗塞でお亡くなりになっていました。
6月30日でした・・。
今年も7月11日はもうすぐです。 今ではお店も無くなって、ビデオショップになっています・・。
自分のお店が無くなって・・今年はどこに行くのでしょうか??
99■心霊写真
■nino:2001年7月7日< 土>
昔、古いアパートに1年程住んでいた時 入居した時点、長い事誰も住んでいなかったような感じがする部屋でした。
夏のある日、友人が遊びに来て、夜玄関の前で写真を撮ったら大きな真っ白の火の玉状のものが写っていたんです。
尾がとても長くて、くねっていて。光が入ったのだと思いますが、不気味だったので捨てました。
その写真の前後に、夜中ふと目が覚めたら主人の布団の隣に中年から初老の感じの男の人が少し宙に浮いて仰向けに横たわっていたんです。 ランニングシャツにステテコ姿の、よく年を取った方が家の中でしているアレです。
(チェリー様のお父様はそんな格好はされないかもしれませんが・・・うちだけかな?(^^ゞ)
頭ははげかかっていて、太っていておなかが異常なほど膨らんでいました。 暗い中で、下着の白さがくっきりと浮かび上がっていました。
寝ぼけていた私は「お父さん!?」と一瞬思ったのですが・・・・
そんなはずもなく しばらくして、すーっと薄くなって消えていきました。 私は近眼なので、顔立ちが見えなくて良かったです。
目が悪くて良かったと思ったのはその時だけでしたけど。
もし見えて、怖い顔をしていたり、上を向いているのに目だけこっちを向いていたら・・・ と思うとぞっとしました。
主人はそのま隣で何も知らず、安らかな眠りについていましたが(^^;)
100■叔母の話
■チェリー :2001年7月8日< 日>
今までさんざん母の事を話してまいりましたが、母の妹の叔母の事はあまりお話していませんでしたね。
一男五女の兄弟姉妹の末っ子の叔母は自分では否定したがるのですが母に負けず劣らず、うっかりすると母以上の強力な霊感の持ち主のように思えます。
五女の叔母と四女の母は七歳違いと年が開いていますが、実は二人の間に三歳で腸閉塞で早世した女の子がいました。
叔母は年の離れた姉、兄にあまりかまってもらえず、小さい時はよく仏間で一人遊びをしていたそうです。
一人きりでお人形遊びなどをしていると、いつも目には見えない何かが寄って来るのだそうです。
家の壁には叔母のすぐ上の姉(私の母)が描いたおかっぱの女の子の落書きがあったのだそうですが、心の中に浮かぶ映像は、その落書きのようなおかっぱの女の子でした。
落書きの女の子が自分と遊びたがって寄ってくるのだと、小さい頃は思っていたのだそうです。
今、考えてみれば顔も知らない、亡くなったお姉さんだったのかもしれないね、・・・と叔母は言います。
また、叔母が小学生の頃の事ですが、叔母を可愛がってくれていた親戚のおじさんが、急死しました。
何も知らず、叔母は友達と下校途中でした。
道に出来た小さな水溜りをまたぐ時ふと下を見ると、その水溜りに親戚のおじさんが映って見えたのだそうです。
「あれ~、○○のおじさんだ~、何で映っているんだろう。」 不思議に思い、友達にそう話しながら水溜りを通り過ぎたと言います。
家に帰って、はじめてそのおじさんが亡くなった事を知ったと言う事です。