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 第201話〜

201■ 病院のカーテン


■MP:2022年1月27日<木>

長期間病院に入院していると不思議なものを見ることがある。
幻覚と一言で片づけてもいいのだが、私の場合は意識がはっきりしていて、夢ではないことは確かだった。

夜、消灯後も薄明かりでベッドの周りを囲んでいる白いカーテンが見える。
3台並んだベッドの真ん中だったので、三方向に大きなカーテンが仕切りとして吊ってあるのだが、気が付くと、その全部のカーテンの表面に、お経のような漢文が一面にびっしりと書き込んであるのだ。
一文字が10cm四方で、漢字は読めるのだが、意味は分からない。
黒々とした文字はまさにそこに存在していて、心の中で「これは夢でも幻覚でもない!」と思わず布団をかぶってしまった。
しばらくして布団から顔を出すと、カーテンの文字は消えていた。

退院後しばらくして、心霊系のテレビ番組を観ていると、私と同じく、ベッドのカーテンにびっしりお経が書き込まれているのを見た、と証言する人がいた。
全く同じ幻覚を見る人がいるのだろうか?

その後も入退院を繰り返したが、そういう体験は一度だけだった。

 

202■ ゼロ戦墓地


■MP:2022年4月12日<火>

 宝●昇天」は閑静な住宅街の中にある寺院で、「大光明殿」には特攻隊員の遺書や遺品などの展示物があり、その屋上には1/1スケールのゼロ戦が祀られていることで有名だ。グーグルアースの衛星写真でも確認できる。

私の母親の実家が宝●昇天の参道沿いにあり、まだ小さい頃、弟と近所の子たちはココの戦没者墓地でよく遊んでいた。お寺の墓地というのは子供にとっては良い遊び場だったのだ。
ひとしきり騒いでいた弟は、目の前に若い男性が立っているのに気が付いた。
それは航空兵姿の兵隊だった。
「ここで遊んじゃいけないよ」と彼は優しく言った。

今も弟は、その兵隊の顔がはっきりと思い出せない……いや彼に顔があったのかどうかも。

 

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写真はNetからの借用です

203■ デジカメ


■チェリー:2022年6月6日<月>

 そう言えば、私の母が亡くなった時もう一つ不思議な現象がありました。

 母のお葬式を撮影した後、お葬式の帰り道でデジカメが壊れてしまったのです。不思議な壊れ方でデジカメをONにしても画面が虹色の砂嵐のようになってしまいレンズを向けた画面が全く見られません。液晶が完全に駄目になっている以外はカメラには問題がなくシャッターを押せばレンズを向けたものが写ります。ただ、どのような画面を切り取っているのか分からないので実際に使う事は出来ませんでした。

 それだけではありません、何故かパソコンの画像データーがごっそり消えました。MacにTime Machineをつけていたのでデータを復旧させようとしたのですが不思議とそちらも消えていて、Macのスペシャリストの方に相談しましたが原因不明で、通常そういう事は考えられないと言われました。

 色々消えましたが母のお葬式の写真はちゃんと残りました。それもちょっと不思議です。

 壊れたデジカメは何となく捨てずに置いていました。電池を入れる古いタイプなので、旅先などに充電器を持って行かなくて済むのが気に入っていました。そそっかしい私としては、別荘の部屋に充電器を忘れて帰宅して困ったりする事が無いのが便利だったのです。

 まだ写真を撮るだけは出来る液晶の壊れたカメラは直せないと言われ、新しいものを買いました。たまに壊れた古いカメラをONにしてみたりして、

「何だか、おばあちゃんのせいのような気がするの」と、家族に見せたりしていました。

 強力な磁気でも浴びたような壊れ方で、霊現象は磁気的な性質があると感じていたからです。

 数年経って部屋の掃除をした時、やはり捨てようかと壊れたデジカメを手にして何気なくONにすると替えたばかりだった電池はまだ生きていて、しかも何と液晶が普通に表示されたのです。数年で帯びていた磁力が消えたのかもしれません。

 母は霊力の強い人でしたから、電子機器に影響を及ぼす程の力があったのだろうと思っています。

  

 そのデジカメはいまでも電池さえ入れれば普通に使えます。最近はスマホのカメラばかり使っていますし、画素数が少ないので買い換えたデジカメの方が綺麗に写るので、出番はなくなっていますが。

 

 

204■ 人形供養


■MP:2022年6月5日<日>

 5月に亡くなった母は多趣味な人で、人形作りもその趣味の一つだった。
残された人形は、貰い物も含めて16体。
故人の念がこもっているであろう手作り人形の引き取り手はなく(親戚にさえ断られた)どうしようかと迷っていると、近くの神社で人形供養をしてくれるところがあった。

人形を運び出す当日、写真にだけでも残しておこうと、使い慣れたデジカメで一体づつ写しておいた。
その夜、データを確認してみると、ほとんどの人形の画像がピントが合っていなかったり、画面にまともに写り込んでいないものばかり。
まるで自分たちの運命を知った人形たちに、撮影を拒否されているかのようだ。
一番マシだった一枚をご覧に入れよう。
やはりピントは合っていないし、頭は切れていて まともに写せてはいないのだ…。

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205■ 幽霊の日に


■MP:2022年7月26日<火 >

7月26日は「幽霊の日」です。幽霊について語りましょう。

会社からの帰り道。
途中の高台にある公園の端から、下界の住宅街をじっと見ている女がいた。
毎日同じ場所にいる。
地縛霊だと思った。
害もなさそうだったので放っておいたのだが、ある日気が付いた。

下界の方に向いていた彼女の視線が私の方に向いていたのである。

206■ 心霊写真


■MP:2022年8月20日<土 >

祖母が亡くなったときの話。
親族が集まって、墓じまいをしようかと話していた。
祖母が一人で管理していた墓だったのだ。
そのお墓の写真を見ていた叔母が「あっお母ちゃんや!」と叫びました。
見ると墓石の右下部分に、レリーフの様に老女の顔が浮かび上がっていたのです。
私には祖母の顔かどうか判断が付かなかったけれど、他の親族は「お婆ちゃんや」「お婆ちゃんの顔や」と口々に叫んでいました。。
しかし私のカミさんには、顔自体見えないようでした。

友人たちが遊びに来た時、その写真を見せて「ここに顔が」と指さして見せたが、誰にも分からなかった。
血の繋がったものにしか見えないのだろうか?
お墓は墓じまいせず、今も残っている。

何年か経って、もう一度その写真を見ると、レリーフ状の顔が消えてしまっていた。
今回その写真を載せようと思って探したのだが、どうしても見つからなかったのでした…。

207■ お墓の知らせ


■チェリー:2022年8月21日<日 >

 お墓って親族にしか解らない先祖からのメッセージを伝えたりしますね。


 昔、叔母がお盆でお墓参りに行った時、墓石がズレていて傾いて危ないと騒いだ事がありました。不思議なことに、一番霊感の強い叔母以外には誰も「ズレや傾き」は解らなかったそうです。

 その後、家を継いだ長男の息子(私から見ると従兄弟)が家の改築にかこつけて、借金をさせられ土地ごと取られそうになるという事件がありまして、それをしっかり者の末っ子の叔母が気が付いて基礎工事の段階で差し止めて、古い家は解体して無くなりましたが、ビルを建てるための基礎と土地は残りました。(田舎とはいえ、家は熊野大社の参道であるメインストリートに建っていた写真館でした)

 従兄弟は人口の減った田舎では写真館も繁盛せず、仕事も無いので、その後埼玉に引っ越してきて働きました。今は田舎の土地に残った基礎の上に完成させたこじんまりした建物が建っています。結果的に田舎から出てきたことが良かったようで、なんとか家を守れました。


「お墓が私に家の危機を知らせていたのだねえ、」と叔母は言っていました。
 後から見るともうお墓はズレも傾きも無くなっていたそうです。

208■ 手相


■チェリー:2022年8月21日<日 >

 母は霊感の強い人でした。

 手相を見ましたが、それがまた良く当たりました。無邪気な人だったので、お酒を飲んだりすると余興の様に人の手相を見ては、あれこれ助言したり相談に乗ったり、色々場を盛り上げる、とにかく楽しい人気者でした。

恋愛相談、人生相談、なんでもござれで言い当てられた人は「何でわかるの?当たってる」と半ば本気の相談になる事も多々ありました。

​ 子供心に何故手を見て色々な事がわかるのか不思議でした。母に尋ねると昔少し手相の勉強をしたと言っていました。縁あった易者の様な人に才能があると言われたのだそうです。

 勉強して母みたいに色々わかる様になるなら私も教えて欲しいと思ったのですが、母によると基本的な見方というのはあってそれは教えられるのだけれど、それ以外は線を見ているとそこに色々浮かんで来て、わかるのだそうで、教えてと言われても教えられないのだそうです。まあ、そこが才能だったという事なのでしょう。

 

 さて、母の手相占いがよく当たる事を書いて参りました。前置きが長くなりましたが、この話はそのエピソードの一つです。

  

 私が7歳、妹が5歳の時に家族でK市に引っ越して来ました。家はまとめて建てられた建売住宅。同じ様な新築の家が10軒並んで建っていました。

 隣の家にはMさんという家族が住んでいて、妹より一つ下のK子ちゃんという女の子がいました。Mさんは娘と年の近い妹が隣に引っ越してきた事をとても喜んで、お行儀が良く小さい子の面倒見の良い妹をとても気に入って、

「仲良くしてね」と毎日の様に歓待してくれました。

近所の小さい子供は男の子ばかりで、内気なK子ちゃんはそれまで遊ぶお友達がいなくて寂しかったのです。

 妹もK子ちゃんとは気があって、楽しかった様です。ところが、ある日突然

「もうK子ちゃんと遊んでは駄目」と母が妹に命令し、Mさんも妹に遊びにいらっしゃいと言ってくれなくなりました。

 引っ越してくる前の地では周りが男の子ばかりでいつも男の子達と遊んでいた活発な妹は、近所の小さい男の子達を引き連れて遊ぶ様になり、それはそれで生き生きと楽しそうにやっていました。

 けれどもK子ちゃんと遊べなくなった訳を母は話してくれなかったので、Mさんとトラブルがあったらしいという事は子供なりに薄々解りましたが、釈然としない思いは残りました。あまり付き合いもないまま日が過ぎ、やがてMさん一家は引っ越して行き、元から遊びに行くことも無かった私は思い出すことも無くなっていました。

 時が経ち、私が25歳の頃、妹が結婚し私はまだ結婚前で母と私の二人で遊びに行った時のことです。

私のスケッチがてら、中央線の下り電車に乗って自然の豊かな、風景の良いところを目指しました。目当てのH駅に降りて川に行くつもりでしたが、何かお弁当でも買おうと駅前のショッピングセンターに入りました。

 するとそこで懐かしそうに母に声をかけて来た店員さんがありました。あの仲違いした後、疎遠のまま引越して行ったMさんでした。

「あなたに謝りたかったの、お会いできて本当に嬉しいわ」

 Mさんは、嬉しそうに母と話し、この街は本当に良いところだから遊びに来てねと、和やかに別れました。そして、その後仲違いの真相を母から教えてもらったのです。

 原因は何と母の手相見でした。

 何気なく遊び半分で手相が見られるという母に手相を見てもらったMさんは、母に

「ご主人は今の仕事が合わない・・・と言うより、都会の生活自体合わないので、このままでは病気・・・多分精神的な病気になるだろう。どこか静かな自然のあるところに移った方が良い、でも心配要らない、病気はそんなに重いものでは無く、仕事を辞め、田舎に移りさえすればご主人はすぐに元気になって全て上手くいくから。」

と、とんでもない事を言われたのです。夫婦でやっと念願のマイホームを手に入れた矢先にこんな非常識な事を言われたら私だって切れて絶交するかもしれません。

「よくそんな事言ったね。」

「だって本当の事だもの、手相に出ていたから」

と、母は屈託がありませんが、普通に考えて手相を見て分かる範囲の内容をかなり逸脱している様に思えます。母は普段は人を見てその人の未来をあれこれ予言する事は決してありませんでしたが、手相を見るという行為を通して意識を集中すると、運命線を横切る小さな線や、生命線の色、感情線のもつれ等々の普通の手相を見る沢山の知識に上乗せして色々なものが意味を持って視えてくるらしいのです。母は、自分の直感に決して疑いを持たず素直に従って、それを手相に出ていると表現します。けれど、さすがに我が子の友達を無くしてしまって、しまったと思ったのでしょう。それで、喧嘩の原因をずっと黙っていたのです。

 Mさんによると、占った母さえ知らずにいた事なのですが、ご主人が病気になるに始まる母の手相占いは全てピタリと当たったのだそうです。

 あの時は怒ってしまったけれど、あなたの言う通り、合わない仕事を辞め自然の豊かなこの町に引っ越して来ると、すぐ夫も元気になって、皆幸せに暮らしている。あなたの助言を今は感謝している、と言う事だったそうです。

 確かに、母にそこまでの事を言われなければ、ご主人が心の病気になったとしても買ったばかりの家を売って、仕事を辞めて、少し引っ込んだ自然の豊かな場所に新しく居を構えるなど、なかなか決断できなかったかもしれません。

 他人の人生を左右する様な事も平気で言ってしまう、母は本当に天真爛漫で危な気なところのある人でした。

209■ 黒い物


■チェリー:2023年3月4日<土>

夫の知人の話です。

その人はとても多忙で、常に重要な仕事を幾つも抱えて、精力的にバリバリ働く方でした。

ある時、休みなく働き続ける生活が祟ってか、大病をして入院しなければならなくなりました。

とはいえ、仕事は待ってくれません。

のんびりと入院している暇などないのです。

数人が相部屋の病室で自分のベッドにパソコンを持ち込み、入院中も仕事を続けたと言います。

そんなある日、何故か部屋替えがあり、彼は一人部屋に移されました。

看護師さんたちの詰め所の真ん前の一人部屋です。

何か用があれば看護師さんはすぐ来てくれるし、一人部屋で静かなので、仕事も捗る。

これは良い待遇になったものだと満足しながら、仕事を続けていたそうです。

忙しくしていたので、それ程気になった訳ではないのですが、仕事をしていると​度々黒い物が視野をよぎります。

天井、床、壁、・・・はっきり見た訳では無いのですが、犬とか子供のような、何か黒い小さな物が現れてはススッと動いて消えて行きました

とはいえ、そんなものに構っていられる程暇ではなかったので、仕事に没頭するうちに、やがて退院の日を迎えました。

そこで初めて知ったのは彼の居た一人部屋が、「もう危ない人」が最後の時間を過ごす為の部屋であったという事です。

急変の時に看護士さんがすぐ駆けつけられるよう、詰め所の真ん前で、遺体の処置や、運び出しを他の患者さんに見せないように、一人部屋だったのだというのです。

「あの部屋から、退院した方は初めてですよ」と看護師さんに言われたそうです。

そして、その部屋では前から何か黒い物が出ると言われていたことも知ったそうです。

死神も逃げ出す仕事中毒、猛烈社員に敵は無いというところでしょうか、

​その方は、今もお元気で忙しくしておられます。

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