2000年6月1日開設 海のアトリエはチェリーのお人形と絵のサイトです
水墨画 GALLERY
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水墨 F10 2001年4月 2001年4月に松井凉先生の教室に入門致しました。近所の地域センターで、月2回のお稽古、先ず1回目に用意する墨や筆や紙の説明と濃墨、中墨、薄墨、を作るやり方をに習い、次の2回目に好きにお描きなさいと言われて何もわからないまま3枚描いた内の1枚目です。
水墨画 F10 2001年4月 全くの水墨画初心者の絵と言うのは、面白いものです。墨のにじみ方も麻紙の性質も全く分からないまま、偶然出来てしまったような絵ですが、水墨画には、周到な計算性と、偶然の持つ意外性が絶妙な均衡を保って両立しています。また、それでこそ素晴らしい作品と言えると思うのです。 意外な水墨の効果で何となく絵に見える初めて描いた水墨画が丸めて屑篭行きの反古にならず、裏打ちされて作品として残ったのは先生の御陰です。
水墨 F10 2001年4月 ざっと描いて、乾いた後もう一度、濃墨で強い部分を入れると習いやってみていますが、明らかに変な所に入っている感じです。濃墨が乾いた時どんな感じになるのか、想像出来ていないのです。 この初めて描いた記念の3枚は、5月の教室の展覧会に出品されました。先生は作品も大胆でしたが、教え方も大胆でした。
水墨 F10 2001年10月 教室中で市民展に出品するために10月に2度あった教室で描きました。 市民展で奨励賞をいただいています。
水墨 F10 2002年2月 2月の小平市民文化美術展受賞者展のために教室で描きました。 受賞者なのにあまり変な絵を出してはいけないと思うと堅くなってしまいました。
水墨 F10 2002年秋 小平市民展に出品 スケッチを元に描いています。
水墨 F10 2002年秋 先の勝浦漁港の連作として描いています。 2003年3月の第8回国画水墨院展に一般の部より入選しました。
水墨 F10 小平市民祭(2003年、秋)の市民展に出品した作品です。 左に養老渓谷に向かう夷隅(いすみ)鉄道、中央に海沿いに走る外房線、 この位置から海は見えませんが、遠くに丘陵のように見えるのは岬で、私の大好きな風景です。
水墨 F10 2004年春の第9回国画水墨院に出品、奨励賞受賞 公募の締め切り時期の2003年秋に描きました。 外房、大原町の八幡岬から見た雄大なパノラマ風景です。
初めて描いた作品から、国画水墨院で受賞した作品まで、初期のF10号の水墨画作品です。
折角少し水墨画が分かって来たような気がし始めていたのですが、先生がお亡くなりになると、結局洋画に戻ってしまいました。
一人では前に進むのが難しいのですが、私には先生をおいて他に師と仰ぐ水墨画家はいなかったのです。
会員にまでさせていただいた国画水墨院は辞めてしまいましたが、水墨を学んだ事で得たものは大きく、何と言っても、大胆に、勇敢に描く事が出来るようになりました。
昨今は水墨画も変わって来て、色々なものがあります。共通するのは画材に墨を使うというだけで、イラストレーションのようなもの、水彩画のようにカラフルなものと一見して水墨画とは思えないものも多く、それが現代水墨というものなのかもしれません。
けれど、私が教えを受けたのは内山雨海先生の最後の弟子、松井凉先生です。その先には私が尊敬する雨海先生の師だった下村為山先生の精神があります。1本の線に魂を込める、一つの点に命を込める、そんな水墨画が描きたかったのですが、
「いつまでたっても、あなたの絵はスケッチね。」とおっしゃる先生の声が聞こえて来そうです。
結局スケッチから抜けられなかったので、再びスケッチに戻ったのでしょうね。
水墨 F10 2004年秋 教室の展覧会の為に2点作成した内の1点
水墨 水墨 F10 2004年秋 教室の展覧会の為に2点作成した内の1点 こちらを翌2005年3月の第10回国画水墨院展に出品一般の部で入選
水墨 F15 この年先生のご推薦で会員推挙を受け、会員になった国が水墨院に、出品、会員の部で入選。 第11回国画水墨院展2006年春
墨彩 F15 もう1枚と同じ絵に顔彩絵の具を使い色を加えたもの。
水墨 F15 2006年の国画水墨院出品を目指して描いた「春」と同じ時期の1枚。結局先生に選んでいただいた水墨の「春」を出品しました。実は今だから、お話致しますが、作品が描けなくて、苦し紛れで、未発表なのを良い事に2011年の第16回国画水墨院展に出品し、それまでで一番良い賞「特賞」を戴いてしまいました。振り返って見ると、賞を戴いたのは「スケッチ風」の作品ばかり。水墨画としての昇華を目指した作品はどれも認められませんでした。自分には水墨画は向いていないのかもしれない、自分の水墨画の進む方向が分からない・・・会を辞めるきっかけになりました。
水墨 F15 2007年第12回国画水墨院展出品奨励賞受賞 2006年10月、敬愛する松井凉先生が亡くなられました。末期がんで余命宣告を受けながら、その余命を超えて何年も絵を描き人生を楽しみ、私達を導いて下さいました。一人暮らしの枕元には最後まで筆を入れようと絶筆の絵が置かれていました。先生は私にとって水墨だけで無く、人生の師です。 先生亡き後、ただ好きなものを好きに描くだけと、絵になりにくい構図と光を描いてみました。
水墨 F15 2008年第13回国画水墨院入選 自分では意欲作と思っていたのですが、先生がおられないので、駄目なのか良く出来たのか分からないのです。展覧会の評価は先生の評価とは元々違いますし、私は入選する絵より先生に良いと言っていただける絵が描きたい。
水墨 F 15 2009年第14回国画水墨院展優秀賞受賞 ただのスケッチにならないように、濃淡が出るように、筆の勢いがあって面白い線であるように、先生の教えを思い出しながら描きましたが、成功しているかどうかは謎です。 実は2007年10月より地元の水彩サークルに所属するようになり、自分の中でウェイトが水彩画に移ってきていました。元々、水墨画をやりながらも趣味はスケッチで、ずっと描き続けていたので、水彩画を始めたという訳では無いのですが。2009年5月、日本水彩展に初入選したので、本格的な作品を描き出した頃です。
水墨画 F15 2010年 第15回国画水墨院入選 自分ではちょっと面白くなったかなあと思ったのですが、・・・ 翌年5年前の作品が良い賞を戴いてしまい、やる気が失せてしまいました。先生亡き後の5年間は何だったんだろうと・・・ 作品が出来なかった次点で、もう終わっていたのかもしれません。 実質、この絵が最後に描いた水墨画作品です。 後は遊びで楽しく小品を描いています。