top of page
 第1話〜第50話

1■ それではこの場で怪談の続きを・・・


■チェリー :2000年10月1日<日>

私の子供達が通っていた小学校は元は寺小屋、百数十年の歴史の古い学校です。

元々はお寺の敷地で墓地だったため、時々人骨が出てきたという過去があり、子供の在学中も、しゃれこうべがでてきた事件がありました。

(ここまでがある掲示板に書きました粗筋です。さて、続き・・・)

そんな学校で私が出会った怪現象を、お話いたします。

その年、私はクラスのPTA役員をやっておりました。

ある時、クラスの親睦を目的にミニ親子運動会を開催する事になりました。

土曜の午後に体育館を借り切り、担任の先生にも協力していただいて、和気藹々とした雰囲気の中、楽しく会は終わりました。

3人のクラス役員は、会の後も片付けや今後の相談などがあり、すっかり帰りが遅くなってしまいました。

暗くなってきたし、もうお開きにしましょうという頃、そそっかしい私は体育館の下駄箱に履いてきた靴を忘れてきたことに気がつきました。

他の2人は忙しい中きちんと靴を持って校舎の教室に帰っていたようです。

「 体育館、施錠されていないといいな」 私は1人体育館に走りました。

幸い鍵はかかっていません。

「良かった」 ・・・・人気がなく、薄暗い体育館の入り口で下駄箱の靴に手を伸ばした時です。

「ボーン」 閉めきった体育館の中から、ボールが床に当たって跳ね返る音が響いてきました。

「えっ??」 ・・・・・と、また、ボーンというボールの音、

「まだ、遊んでいる子が残っている?」 一瞬そう思いましたが、閉まった重い扉の隙間から明かりが漏れることはなく、真っ暗で、とうてい中に人がいるとは思えません。 恐怖で凍りついたように固まったまま、

いっそ扉を開けて中を見て、正体を確かめたい。」 という、気持ちが沸き起こってきました。

躊躇している時間はほんの一瞬だったのだと思います。 けれど、とても長い時間のように色々なことが頭をかけめぐりました。

「子供が残っているとしたら、役員だから確認しなければ・・・・でも足音はしていないから子供じゃ無い?」

「何かが風に吹かれてぶつかりあって、ボールのような音をたてているだけかもしれない。」

「でも、もし誰もいない体育館にボールだけが弾んでいたら??」

「もっと違う物まで見えてしまったら??」

「・・・開けてみようなんて思うこと自体霊に呼ばれているのでは?」

と、そこまで考えたとたん、凍りついていたのが溶けた様に、靴を掴んで脱兎のごとくその場から逃げ出しました。

教室に駆け戻って、他の2人にその事を話したのですが、

「残ってる子はいないでしょ、やっぱ花子さんじゃん?」 というような調子で軽く受け流されてしまいました。

けれど、私は今だに暗くなってから学校のそばを通らなければならない時は、怖いのでなるべく急いで通り過ぎるようにしています。

あの、冷水を浴びせられたような感じは本物だったと確信している次第です。 

2■ 怖い話


■森川 :2000年10月5日<木>

チェリーさん こんにちは~♪

ところで、怖い話!!!

学校ネタだと一つありました。

森川の高校で、森川達のクラスだけ北館にあったんですが、放課後友達とデッサンをしていて、 ふいに

「あれ?兵隊さんだ……」って言葉が口を付いて出てきたんです。

それから半年程して、先輩から

「うちの高校、戦争中は病院だったんだよ。 北館は手術室(今のデッサン室)と霊安室があって、兵隊さんが沢山運び込まれたんだって」って話を聞きました。

あんまり怖い話じゃないけど、後から先輩の話を聞いたので、しばらく沈黙が……(笑)。

怖すぎる話だと夜中にトイレに行けなくなるので(笑)、森川にはこのレベルの怪談がちょうど良いです(^^)。

あ、でもこれは実話ですよ~。

3■ こんばんにゃ〜〜


■ちづる :2000年10月3日<火>

 怖いお話しが続々と。わたしも一つ

実は、私の出た学校も、国立の結核療養所の付属だったので、

その手の話には、事欠きませんでした。

くだんの結核療養所で、二年間だけ、(3年生から、自宅より通学しました)
寮にはいっておりました。4人部屋でした。
同室の、ひとから聞いた話、
寝ていると、夜中に、小さい女の子が現れるのだそうです。
ベッドで寝ている状態でも、手を伸ばせば届く所を、円を描く様に、くるくる飛んで
いるのだそうです、顔は、しっかりこちらを、向いて・・・
しかし、手を伸ばしても絶対届かない、
決まってその少女が、口にする言葉が『お人形 ちょうだい…お人形 ちょうだい…』
と言って、悲しい顔をして、くるくる回りつづけるのだそうです。
この話しを聞いた時、悲しくて泣いてしまいました。
まるで、星飛馬のように、だーーーっと、涙出てしまったのを憶えています。
なぜでしょうか、今も泣きながら書いています。
わたしは、直接見えたりはしませんが、気配や、音を感じる事が多いです。
不幸中の幸いです。

4■ 調子に乗って(エヘ)


■ちづる :2000年10月6日<金>

 幽霊病棟がありました。

昔は、平屋か、二階建ての病院でしたが、鉄筋の建物になり、 結核患者の方も減少してきたため、敷地内に、某高専が 同じ国立と言う事で、たっています 。

霧雨で、霧がある夜は、ボウ~~っとその高専がたっている所に 昔の病棟が、姿をあらわすのです。

5■ あれは何だったのか・・・


■MP :2000年10月6日<金>

  中学生の頃、柴犬を飼っておりました。父親が大の犬好きだったのです。

祖父の法事があり、お坊さんが来られた時、入れかわりにその犬(マリー)が 家の外に飛び出してしまいました。

法事のあと、父親と弟と三人でマリーを探しに出ました。

夕闇がせまってあきらめかけたとき、電車の線路に沿った直線道路の 100メートル程先にある踏み切りのなかから、一匹の犬がスッと出てきて、 道路の真中で、こちらに向いてチョコンと座るのです。

「あ、マリーだ」弟が叫んだとき、その犬はまたスッと線路のほうに入っていきます。

「電車が来たら危ない!」三人はマリーの名を呼びながら踏み切りに向かって、駆け出しました。

そして、そこで見たものは、踏み切りから5メートル程さきの線路の間に横たわるマリーの 変わり果てた姿だったのでした。

幸いきれいな姿でした。

父親が泣いたのを見たのは初めてでした。

私達兄弟は、今でも、あれはマリーの霊が呼んだんだと信じています。

6■ こんばんは チェリーさま


■NORMA:2000年10月7日<土>

 ところで…気がつくと…こちらでは怪談話に花が咲いて…(^^;

私も・・・見る人じゃないんですが、そういう話とか少しだけあります。

(でも幽霊がらみは某心霊漫画家さんの作品の中のネタで発表されてますが(^^;)

見る人もいるし見なくても感じる人もいるそうですね(^^;

私は感じる人だと…言われました…本人が一番わかってないです(笑)

ペットの話で思い出しましたが…こわい話じゃないですが…

我が家で16年いた猫がガンで瀕死の状態になるときに友人が我が家の猫の夢を 見たそうです。

我が家の猫は黒猫だったんですが彼女の夢の中では真っ白な猫で でも彼女は

「あ!クロちゃん!なんで白いの~?」なんて思ってたそうです…。

…という話をクロが死んだ直後に彼女に聞きました。

そんな話も忘れてた…49日を過ぎた50日目…偶然今の白猫に出会いました。

白猫は多分クロが死んですぐ生まれたくらいの子猫でした。

その時は彼女の話なんて全く忘れてたんですが…後になって思い出し… なんだか不思議なご縁だなぁと思ってます。

クロが息を引き取る間際(私はずっと付き添ってたんですが)階下に寝ていた母が クロが鈴を鳴らしながら階段を下りてくる音に目が覚めたそうです…。

だから家族中がクロの死に立ち会えました。

いい子だったんですね。クロって(^-^)

7■ 何かが来る


チェリー :2000年10月8日<日>

今年76歳の私の母は、若い頃から霊感が強いと言われ、手相などを見るのが好きでした。

しかも気味が悪いほど当てる人で、 その手の話には事欠かない人です。

これは、6~7年前の一番新しい話です。

我が家の東側は空き地で、道路をはさんで、アパートが建っています。

管理人さんは住んでおらず、離れた所に住んでいるここいらの土地一帯の地主さんが大家さんで、 駐車場など、不動産の多い地主さんの管理は鷹揚、というか、適当というか。

家賃の取り立てなどもうるさくなかったようです。

母の寝室は2階の東側、道路と空き地をはさんでアパートと向き合う部屋です。

夏の暑い頃、クーラーが苦手な母は寝苦しくて仕方ないと毎日のように愚痴をこぼしていました。

母の部屋に行くと南側の窓は網戸にしていましたが、東側の窓は閉めきっています。

せめて両側を開ければ風の通りもいいのに、と言ったのですが、母は断固として、東の窓を開ける事を拒否しました。

怖いというのです。前は開けていたのに、・・・・

「夜寝ていると、向こうのアパートの方から何かが来る」 と、言うのです。

「だって、ここは2階だし、階下には私達が寝ているんだし、何かが来たら庭の犬だって吼えるし、怖いことなどないでしょう?」

と、言っても、

「泥棒とかそういうのなら、あんたの言う通りで、怖くはないけれど、そういうのじゃないから、」

「もう、いい、話してると余計怖くなるからその話はもう止め」

と、一方的に話を打ち切り、とうとう母は譲りませんでした。

少し老人性の変化が始まっていた母でしたので、また、被害妄想が強くなってしまったのだろうと私達は考えていました。

夏も過ぎ、すっかり秋らしく涼しくなったある日のことです。

アパートの前にはパトカーが停まり、人がせわしなく出入りして、非日常的な何事かが起きたと教えていました。

強いお線香の臭いが漂ってきて、亡くなった方がある事も知りました。

後に人づてで聞いた所によると、アパートの2階の部屋の1人暮しのおじいさんが亡くなっていたということでした。

おじいさんは糖尿や心臓などの持病があり、1人で亡くなってから、身寄りもないので3ヶ月も誰にも知られずにいたそうです。

それを聞いて母は

「あら、お気の毒に、お元気そうなおじいさんだったのにねえ。」 と、言いました。

そんなおじいさんが住んでいた事も知らなかった私は驚いて

「知っているの?」 と聞くと、母は、

「だって、ここから見えるもの。・・・職人さんみたいな感じの人で、ときどき、自転車でお出かけしていたわよ。」

「それから、」 と、東側の窓からおじいさんの部屋を見やりながら続けました。

「あの、おじいさんの部屋の外の消火器ね、前に消防署の方から来たって言う詐欺の押し売りがうちにも来たじゃない」

「その時に、おじいさんが騙されて買わされていたのよ。」

「高かったでしょうに、気の毒で、インチキだって教えてあげたかったんだけどねえ」 と、言いました。

意外な事に母は、おじいさんの事を良く知っていて、時々目があったりして、互いの顔も判っていたようです。

母は、「夜にアパートの方から来た何か」の事は忘れて、おじいさんの死と結びつけて考えていないようだったので、私も黙っていました。

被害妄想だと考えたりして悪かったなあ、と思いながら・・・。

アパートの部屋はその後、畳などを全て入れ替えて綺麗にしていました。

あれから、何も知らずに沢山の人がその部屋に住みました。

遺体を見つけてもらったおじいさんは安心したのか、母もそれきり「何かが来る」とは言わなくなりました。

今となっては、その部屋のドアの脇におじいさんの消火器がポツンと残っているばかりです。

 

母の部屋からの眺め。

(追記  このアパートは2015年春に取り壊されましたが、

最後までおじいさんの消火器は同じ場所に残されていました。)

8■ 怪談?(^^;


■NORMA:2000年10月8日<日>

随分以前ですが同業のYさんとイタリア旅行をしました。

彼女は霊感が強いとは思っていましたが、 特に問題もなく旅行は楽しくすぎていきました。

(時々古い町とかでうん?いうようなこともないではなかったけど気になるようなことはありませんでした。)

旅の最後のローマでした。

そのホテルは目抜き通りに面しとても古く立派な建物でした。

内装も豪華で…でもそういうホテルはイタリアでは珍しくはないです。

多分数百年前は誰かお金持ちの持ち物だったのだろうな…と言う感じでした。

あと二泊で帰国するという夜…。

外でお茶をしてホテルの部屋に戻りました。

その部屋は建物のはし部屋でした。

チェックインしたときは荷物を置いてさっさと外出してしまったので何も思わなかったのですが…

戻って来た時は、扉をあけて入るなり…私はなんだかいきなり異様に悲しくなってきたんです(^^; それが自分でもなぜだかわからないんです。

こわいというより泣き出しそうな感覚…。 で…誰かこの部屋にいる… って感じなんです。

でも…霊感の強いはずのYさんはなんにも感じないらしく普通に振舞っています。

私の思い過ごしだ~と思おうとするのですが…私は深みに入るばかり

(^^; 彼女はもしかして知ってて、でも私が怖がっちゃいけないから何も言わないのじゃないかと…

そう思い私も彼女に何もいいませんでした。

寝る時間になって、彼女は天真爛漫に 「おやすみ~!」 と部屋の電気を消しました。

そして飲んだワインが効いたのか彼女はすっかり寝入ってしまったようでした。

でも私はどうしても落ちつかなくてこわいので彼女に何もいわず部屋の電気をつけました。

そして…私も寝ようとするのですが…どうしても眠れません。

その時…いきなり彼女がうなされはじめたのです(^^; 私は 「うわぁ!どうしよう!」と、

「起こしたほうがいいのだろうか!」 と頭の中はパニックでした(^^;

でも…彼女に声をかけようと思ってたところ…彼女は静かになりました。

そして…そのまま気がついたら私も眠っていたようで…朝になっていました。

(もちろん熟睡はしてなかったです(^^;)

朝…起き抜けに彼女のほうが「このホテルこわい」と言い出しました。

私 「あ…やっぱり?(^^;」

彼女いわく… 「5歳くらいの小さな女の子が大階段の方からやってきて部屋の中にバンと入ってきた!」 と言うのです(^^;

それがちょうど彼女がうなされた時のことでした。

彼女は私がまだ起きてる事、電気がついてることもわかっていたそうです。

朝食をとるためにふたりは部屋をでました。

それまでエレベーターしか使ってなかったので気がつかなかったのですがエレベーターの 逆方向に大階段があって彼女はそれを見て

「この階段だ~!」 と言いました(^^; その夜もう一泊しなきゃいけなかったんでふたりとも

「またあそこで寝るのいやだなぁ…」 とか言って一日が過ぎました。

でも最後の夜はふたりとももう覚悟が出来てたのか…何もおこりませんでしたし、 私ももうその部屋をそんなにこわいとは思いませんでした。

いったいなんだったんだろう…とわからないまま帰国しましたが… 帰国してから彼女は親友で霊能者のTさんにその話をして霊視をしてもらったそうです。

Tさんいわく…その女の子はかなり邪悪だと…脅かしてやろう!と言う感じだったそうです。

で…そのホテルの建物にはやはりいっぱいそういうのがいたそうで(^^;…。

でも私が最初から感じてたのはその女の子ではなく…おじさんだったそうです。

でもこちらは悪い感じはしないということだったです。たまたま波長があってしまったらしい… ということでした。

もちろんそれを聞いて驚きましたし彼女と私が全く違うものを感じてたというのにも驚きました。

そして…「どうもおじさんと私は波長があうのかな?」と変な納得をした次第でした (^^;

(やっぱおやじ趣味?(笑)) 以来私は「もう感じない、知らない」と思うようにしています。

するとそれ以来全く以前のようにパニックになることはなくなりました。

数年後YさんとTさんはそのホテルの近くの同じようなホテルに泊まったそうです。

やっぱりそこには「お貴族さん」が今も住んでらしたそうですよ(^^;

 

9■ 10■子供に関する話


■MP:2000年10月9日<月>

今回は子供に関する話をふたつ。 ひとつは、有名な都市伝説となっているもの。

もうひとつは私の弟の話。

<第一話>

昭和36年頃の話。

信州の山村に暮らしていた、仲の悪い夫婦。

ある夜、夫婦喧嘩の末に、夫は妻を絞め殺してしまった。

夫は裏庭に妻を埋めると、翌日、何食わぬ顔で駐在所に出向き、妻が家出したので捜してくれと失踪届を出した。

一週間が過ぎた。 夫は再び駐在所を訪れると、青い顔をして自首した。

警官が、なぜ自首したのか尋ねると、夫は脂汗を流しながらこんな話をした。

……私達夫婦の間には五つになる息子がいる。

この子は、母親っ子で、母親の姿が見えないだけですぐ泣き出すような子だった。

ところが、私が妻を殺した後、何日たってもその子は平気な顔をして、涙ひとつ見せずに遊んでいる。

不思議に思った私は、とうとう息子に尋ねた。

「おまえ、お母ちゃんいなくなったのに寂しくないのか?」

「うん……だってお父ちゃんいつもお母ちゃんを背中におんぶしてるもん」

<第二話>

怪談話をしているとき、弟が突然、思い出したように自分の体験を語りだした。

彼が五歳か六歳頃、自宅のダイニングで母親に服の着替えを手伝ってもらっていた。

母親はテーブルと椅子を背にして、膝まづいて弟のシャツのボタンを掛けていた。

弟は、母親の肩越しに椅子に掛けてあるセーターを何気なく見ていた。

そのセーターは、シャツを着せ終わったあと、弟に着せようと母親が掛けておいたものらしい。

弟が見ていると、そのセーターの右袖が、肩を中心にして、ゆっくりと上へあがり出したという。

やがて水平となり、そのまま止まらずにあがり続け、最後はピタリと天井を指して止まったかと思うと、 今度はゆっくりと下がりだし、元の位置で止った。

それは、一回きりの動きだった。 そして、それは決して、風に吹かれたなどという動きではなかった。

彼は、子供心にもこれはおかしいと感じて、母親に、今見た現象の不思議さを訴えた。

しかし、母親はそれを一笑に付した。 弟は幼児期のこの出来事を鮮明に記憶しているが、それ以後そういう現象は見ないという。

子供にしか見えないという二つの話でしたが、あなたは子供の頃どうだったでしょう? そしてあなたのお子さんは?

11■あんまり恐くないお話なんですけどね


■TOMO-P :2000年10月10日<火>

あまり恐いお話じゃないんですけど、私が体験したお話です。

高校を卒業するまで名古屋の店舗兼住宅を借りて住んでいました。

部屋には小さい頃からずっと集めた、あるいは作ったぬいぐるみたちが いっぱい飾ってありましたが、卒業後引っ越す際にその部屋においたままになっていました。

食品を扱う長屋だったためかねずみがよく出ましたし、ダニもすごかったんです。

新しい家にダニを持ちこまないためにと両親に説得されて。

 借家はそのままで商売もそのまま続けていましたし、私も手伝いで しょっちゅう行ってましたから彼らにもいつでも会えるので納得の上で置いていったのですが…。

自分の本業が忙しくなり、なかなか店にもいけないまま半年ほど経った頃夢を見ました。

父が汚れたうさぎのぬいぐるみを拾ってくるのです。

「どうしたの?」 と訊くと 「捨てられていた。汚れているけど洗えばきれいになる」 と。

ただそれだけの夢だったのですが、起きた時も鮮明に覚えていて、 なんとなく母に話しました。

すると 「えっ!?」 と、振り返った母の顔が真っ青です。

そして起きて来た父に 「あんた。この子ぬいぐるみの夢見たんだって!」

普段大抵のことには動じない父も何やら慌てています。

というか、すごく気味が悪そうに私を見ています。

「どうしたの?」 と訊くと、 実はぬいぐるみたちは私に内緒で捨てようと思っていたのだそうです。

母は反対したそうですが、父が話せばダメだと言うに決まっているから とにかく捨ててしまった後なら諦めるだろうからと押し切って、昨夜ゴミ袋に 全部入れて今朝のゴミ捨て場に持って行こうと思っていたのだとか。

偶然なのかもしれませんが、夢の中では父が拾って来たというのがまた彼にはショックだったようです。

ぬいぐるみたちはもちろん全部ごみ袋から出されて新しい家に連れて来られました。

あんまり恐くないですね。

まぁ、ちょっと不思議なお話ということで。

ではでは、失礼します。

12■トイレの花子さん


チェリー  :2000年10月11日<水>

学校にはつきもののトイレの花子さんの怪談。

でも、本当に花子さんに会ったという話はあまり聞かないですね、

そこが、都市伝説の伝説たる由縁なんでしょうが。

・・・これは、うちの娘の中学時代の体験です。

「ねえ、今日変な事があったの、」・・・と学校から帰ってくるなり娘が話してくれました。

学校のトイレの個室に入っていると、誰かがトイレに入ってきた気配がして 個室のドアーの下の隙間から、チラリと上履きも見えたと言います。

当然、誰かいると思いながら、個室から出たのだそうです。

と、誰もいない。 今の今まで気配がして、足先さえ見えたのに、・・・・。

出て行くほどの間も、物音もなく、誰もいなかったというのです。 ただ、それだけの話なのですが。

13■不思議話


■TOMO-P :2000年10月11日<水>

また私が体験したちょっと不思議な話です。

うちの祖父は若い頃放蕩の限りを尽くした人で、 妹弟たちを養うために上の学校に行けなかっ父はずーっと祖父のことを嫌っていました。

何度か病気で入院した時も、一度も病室を訪れない始末。

母と私が何を言っても聞きませんでした。

その祖父が亡くなって何年も経ち、私も結婚して家を出てからの話です。

ある夜夢を見ました。祖父が何かを探している夢です。

「おじいちゃん、何探してるの?」 と、聞くと 「何にも見えん。眼鏡を探してる」 言います。

「おじいちゃん、眼鏡しとるやん」 と、言っても 「何にも見えん」 と、手探りであちこち探っているという、そういう夢です。

起きてからすごく気になって、実家へ行って母に話すと、深い深いため息をつき、 「だからダメだって言ったのに…」 と、仏間へ。

ついて行くと、祖父の写真が伏せてありました。

「何これ?」 と、聞くと、

「お父さんがおじいちゃんに見られてるみたいで嫌だって。ダメだって言ったのに聞きゃしない。」

「お父さんの所に出て行っても無駄だから、あんたのところに行ったんだわ」 と。

偶然と言えば偶然なんですけどね。

 14■足音


チェリー  :2000年10月13日<金>

私が高校生の頃、初めて遭遇した不思議な出来事です。

よく、20歳までに幽霊を見なければ、一生そういう体験はないなどと言われます。

一番多感な時期だから、という事なのでしょう。

その頃私は、昔話に母から色々な不思議な体験を聞かされる度に、私には一生そういう体験はないかもしれないと思い始めていました。

私と妹の部屋は共用で、寝る時は二段ベットを使っており、下段は妹、上段は私が眠っていました。

夏の暑い頃で網戸にした子供部屋の窓は開け放たれています。

夜明け近いまだ薄暗い時間に、私はひたひたという足音で目が覚めました。

草履のような履物で足音を忍ばせて歩いているらしいのですが、シーンと静まりかえった中をひたひたというひそやかな足音に混じって、小石を踏みしめるようなジャリッという音や、小枝のようなものを踏みしだくパシッという小さな音が聞こえて来ます。

足音は家の周りをぐるぐる歩き回り、しかもだんだんと近づいて来るのです。

変質者、・・・と私は考えました。 年頃の娘が2人いるのに、窓を開け放したまま眠るのはいかにも無用心でした。

足音はどんどん近づいて来ます。

私は恐怖で身がすくむような思いでじっと息を殺していました。

すると、足音は枕元の窓辺まで来て、ぴたりと立ち止まりました。

そのままこちらを覗きこんでいる気配です。

私は勇気を振絞って頭を上げて網戸ごしの南の庭に目を向けました。

その時は大声をあげようと、覗き魔と対峙する覚悟でした。

にわかには信じられない事でした。 薄ぼんやりと明るくなりかけてきた庭を隅々まで見回してみましたが、 誰も何処にもいません。

足音もそれっきり聞こえなくなってしまいました。

まだ、誰かが潜んでいそうな気がして明るくなっていく庭に目を凝らして、私はそのまま長い事、窓の外を睨んでいました。

すっかり、明るくなった窓辺に水色の朝顔の花が咲いていた事が妙に印象に残っています。

後になって、西側の道路と庭はブロック塀が隔てており、木戸を開けたてしなければ庭に入る事が出来ない事に気が付きました。

まるで塀が無いかのようにあんな風に家の周りを歩き回る事など、人間に出来るはずはないということに、思い到ったのです。

家族は、 「猫でも歩いていたんじゃない?」 と、誰も本気で怖がってはいませんでしたが、あれは、断じて猫なんかじゃありません。

そして、夢でもありません。

・・・私にとっては忘れられない初めての不可思議な体験でした。

 15■青い炎


■MP :2000年10月13日<金>

学生時代、ある下宿が火事になり、ひとりの女子大生が焼死しました。

その娘は、わたしの友人の恋人でした。

友人は、田舎の彼女の両親を訪ねました。

その時、彼女の母親がこんな話を友人にしたそうです。

その夜、夢の中で、玄関に置いてある娘の靴から青いガスのような炎が メラメラと燃え上がっているのが見えた。

ハッとして目が覚めると電話が鳴っている。

それは娘が焼け死んだ事を知らせる電話だったそうです。

  16■17■不思議話


■きずら:2000年10月14日<土>

不思議な予知夢が2つばかり。

その1:

阪神大震災の前日。

まだ結婚前で加古川の実家にいたのですが、2階で夕寝してたとき 夢現で電車が急ブレーキをかける音で目を覚ましました。

その直後に揺れを感じて 階下の家族に「今、地震あったよね?」と聞いたのですが、返事は無し。

その翌朝、大地震です。 幸い家も父、弟、私も無事でしたが 毎朝始発か2番列車で神戸の会社へ行ってる母だけが心配でした。

電車が止まり半日かけて歩いて、無事帰ってきましたが。

後日「あれくらいの大震災なら予知できるんだんなー」とのんきに思うきずらでした。

しかし「死ぬかも知れない」と思いながら寝続けてたから、役にたたないかも。

その2:

子供ネタ

主人とお見合いして間も無い頃、遊園地の様なところに私と主人と男の子がいる夢を見たのです。

見たのは私が男の子のズボンを履かせ、お尻をぽんと押し「さあ、お父さんの所に 行っておいで」 という短いワンシーンでした。

見た当時は「ああ、ちゃんと「家族」してるなー」という想いと

「何で外で子供のズボン履かせ直してたんだろう?」

という疑問を感じたのですが 現在、2才の男の子を持つ母になり、ウンチやおしっこの確認のため、外でもズボンの中を 確認するのは日常茶飯事(自然)なことだと分かりました。^^; ハイ、夢の通り「家族」してます。

18■私もまたひとつ


■NORMA:2000年10月14日<土>

つい最近の出来事なんですが… 近所で乗用車とバイクの事故がありバイクの人が亡くなりました。

次の日、母がそこを通りかかったらちょうど現場検証のために警察が バイクとかを積んで来ているところだったそうです。

たまたまその歩道には母しかいなくて警察に「

車入れるまでちょっと待ってくださいね」 と言われて、歩道の横の広場に車を入れる間ぼ~と見てたそうです。

母いわく「バイクは全然壊れてなかったよ。 そのバイクの横に男の人がうずくまってたわ。」

私「ふうう~ん。」 …と聞き流したのですが…あれ?ちょっと待って

(^^;私、自動車側の運転手と 思い込んでいたけど普通事故バイクの横にそんな人うずくまるか???

(^^; …こわいので母にその後詳細を聞いていません

(^^; ちなみにその場所は私の仕事場のまん前です…。

今も花があります…。合掌…。

19■小鬼


チェリー :2000年10月17日<火>

私は小学校2年のときから25年間、今住んでいる場所に隣接する町に住んでいました。

そして、その土地で、学校に通い、結婚して2人の子供を産みました。

なんとはなしに、そのままずっと住んでいるだろうと思っていました。

・・・引っ越さなければならなくなったのは、私が見た「あれ」のせいだと、今でも思っています。

前の家のあったK市は武蔵野の面影の残る東京郊外で、家の東隣にも広い雑木林がありました。

親の住む家の東側、雑木林に面した方に廊下で繋がった別棟があり、私たちはそこに住んでいました。

私、主人、来春には幼稚園に入る息子と、やっとお兄ちゃんについて歩けるようになった娘の4人家族です。

そして、子供達はそのままその家で育ち、私が通った小学校に入学するはずでした。

季節は晩夏でした。何の前触れもなく隣の雑木林にブルドーザーが入り、木々をなぎ倒しはじめました。

ひどい地響きと土埃と騒音、なにより、子供の時から慣れ親しんだ木々が悲鳴のような軋みと共に無残に倒されていくのを見るのは辛いことでした。

世の趨勢、しかも、他人の土地の事。何をされようと、どうする事もできません。

「仕方ないね、これも時の流れだね、」 と、私達はあきらめるしかありませんでした。

林はあっという間に姿を消して、荒れた風景に様変わりしていきました。

その夜の事です。日が落ちるとともにゴキブリの大群が我が家に押し寄せて来ました。

次々にびっしりと網戸にはりつき、わずかな隙間から入り込んでこようとします。

もう、パニック寸前です。必死で殺虫剤を片手にそれを防ぎました。

林を追われたゴキブリ達が一番手直な我が家に逃げ込んできたのです。

しかし、林を追われたのはゴキブリばかりではなかったのです。

林に住んでいた小鳥や、小動物などの生き物達・・・・そして、生きていない物さえも。

秋になる頃には残っていた数本の大きな木も倒されました。

我が家の隣の大きな栗の木も根こそぎ抜かれてしまいました。

そんなおり、朝食をとっている時に、ふとある映像が心に浮かびました。

2、3日前に見て忘れていた夢の映像です。

それは、林のあった方の東の窓に子鬼とでも言うしかないような不気味なものが、ぴたりとはりついてこちらを見ている姿でした。

赤ら顔のぎらぎらした顔、毛のない頭、小さな離れた目には邪悪な意志だけがみなぎっているように見えました。

その映像だけが妙にはっきりとした不気味な夢を、私はなにげなく一緒に食事をしていた主人に話しました。

すると、驚いた事に 「僕も見た!」 と、主人が言うのです。

「あの林の方の窓だろう?」 「あの隅にハゲ頭の小さな小人みたいなのがはりついてて・・・」

細かい点まで全く同じ、そしてその映像以外はなにもない夢を、自分も忘れていたけれど、2、3日前に見たというのです。

ぞっと悪寒がしました。

夢と思えないほど、頭に焼きついた映像は鮮明で、現実の記憶の様です。

そして、2人揃って同じ頃に同じ物を見ていたのです。

「朝方だったけど。」 「そうそう、僕も目の覚める直前だった。」

「ひどく、悪意に満ちているように見えたけど、・・」 「うん。」

「何か、恨んでいるような、そして、羨んでいるような、」「気味悪いね、」

「宇宙人みたいな・・」 「禿頭の中年みたいな」 「子鬼みたいな」

話し合ううちに、それが何に似ているかに思い至りました。

赤ん坊なのです。

生まれて間もない赤ん坊や、胎児をうんと醜くしたような顔なのです。

死んでしまった赤ん坊が、邪悪な妖精になる事があるという西洋のお話を聞いた事があります。

何に似ているかといえば、その、西洋の邪悪な妖精に一番似ている気がします。

「水子の霊?」 思ってもいなかった言葉が私の口をついて出てきました。

そういったものをあまり信じていなかったのです。

それと同時に忘れていた昔の母とのやりとりが甦ってきました。

妙に霊感の強い母が昔、林を見ていてポツリと独り言のように、

「ここには、赤ん坊が埋められていたりするんだろうね、」 と、言うのです。

あまりに意外な言葉に耳を疑って 「えっ?」 と、聞き返しました。

「なんで、そんな変な事を言うのよ。」 と言う私に母は、

「昔はそういう事がいろいろあったのよ。」

「近所の貧乏で子沢山の家のおかみさんが、また大きなお腹をしているなぁ、・・・と思っているとね、・・・」

「・・・いつの間にかお腹が小さく戻っていて、家に赤ん坊がいる様子もない・・・とか、」

「私の同級生の女の子は女学校に通っているときに赤ちゃんを生んじゃったのよ、・・・」

「・・・大柄な人だったんで、妊娠しているのは親も友達も誰も気が付かなくて、・・・本人も必死で隠していたんでしょうね、・・・」

「それが、偶然、私が遊びに行ってその家に泊まった晩に、急に苦しみだして、ねぇ・・・・」

「急病かと思って大慌てしているうちに赤ちゃんが生まれちゃったのよ。」

「あれには、本当にびっくりしたけど、あのあと赤ちゃんはどうしたのやら・・・私しか知らない話よ。」

と、陰惨な昔話をはじめました。

「だからって、ここに赤ん坊が埋められているなんて、変な事言わないでよ。」 と、話をさえぎると、

「でもね、前に野良猫が路地で死んでいた事があって、近所の人と相談してその林の栗の木の下あたりに皆で埋めた事があるのよ。」

「その時、こうやって何が埋められているか、わからないなぁって思ってねぇ、」

「あんな風に、誰にも知られないで埋められた赤ん坊がいるかもしれないと思うとなんだか、この林も怖いわね。」

と、言って口をつぐみました。

すっかり記憶から消えていた母の言葉が、まざまざと甦ってきます。

墓標代わりに霊を鎮めていた木が倒され、死んだ赤ん坊の霊が行き場を失って迷い出てきた。

私にはそんな風に思えて、なりませんでした。

折角のこの世に生を受けながら、親の勝手な都合で闇から闇へと消しさられた小さな命。

哀れな赤ん坊は、憎しみのこもった目を光らせてあの窓にはりついていたのです。

「何か、悪い事が起きないといいけれど・・・」 ささやかな幸せが脅かされる予感に私は怯えました。

「何がなんでも子供達は守る!」 と、対処の仕様もないまま、がむしゃらな決意を固めながら。

しかし、何事もなく過ぎるうちに、所詮は夢の事と不安も薄らぎ、あの悪意に満ちた目つきの事も忘れかけていました。

年が改まり、春を間近に控えた頃です。 雑木林は、すっかり広大な駐車場になっていました。

私には幼稚園に通う事になる長男の為の幼稚園選びが主な関心事という毎日でした。

「やはり、お友達と一緒の園にしましょう。」 などと、話していましたが、結局そうする事はできなくなりました。

父の事業の失敗から、25年間住みなれた家を手放さざるをえなくなったのです。

築25年の隙間風の入る木造の古家でしたが、愛着のある我が家でした。

家の買い替えに資金が足りず、まだ若く貧乏だった私達が重いローンを背負う事になりました。

そして、別棟に住んでいた親世帯と同居しない訳にもいかなくなりました。

小さな家とはいえ、2軒に別れて住んでいたものが2世帯住宅でもない1軒の家に一緒に暮らすのは、荷物の整理だけでもなかなか大変なものがありました。

かなり思い切って捨ててきたつもりでも入りきらないのです。 かくして、荷物だらけでひしめき合った現在の我が家があります。

場所も、中央線沿線から私鉄に入って二つめで、少し不便になりました。

母は友人達とも遠くなり、家も狭くなり、都落ちのような寂しい気分になったようです。

悪い予感は本当になってしまいましたが、子供達の身には何事もなく、元気に育ってくれました。

あの、私達が見た(今となっては、夢とは思えず、本当に見た気がするのです。)子鬼のようなものの障りはそれくらいですんで本当に良かったと、思います。

私は、今住んでいる家の周りの環境も気に入っていますし、いろいろ大変な時期もありましたが、元来、楽天家なもので、これはこれで良かったような気がします。

・・・なんだか過ぎてしまうと楽しい事ばかりだった気がするのです。

ただ、いまだに懐かしい昔の家の夢を見たりします。

不思議な事に家は昔よりもっと古びて、私はその朽ちかけた、あるはずのない林の傍の家に夢の中で暮らしていたりするのです。

20■白い顔


■MP:2000年10月20日<金>

私が学生だったころの話です。

季節は初秋。

時刻は午後7時を廻って、あたりはすっかり暗くなっていました。

同じクラブの友人達(私を含め男3人、女1人という内訳)と学校から、K神社のバス停まで一緒に帰ろうとしていました。

学校は郊外にあるためスクールバスがあるのですが、私たちは神社前の市営バスのバス停まで歩く事にしたのです。

途中、近道をするため、本道から外れて、民家の間をしばらく行くと200メートルほどまっすぐに伸びた一本道に出ます。

道幅は5メートルと広いのですが、舗装されておらず、左側はゴルフ場のフェンスが延々と続き、右側には人の踏み込めそうにない同じように続いているのです。その1本道を抜けるとK神社の境内に出ることができるのです。

私たち4人はいつしか寡黙になり、月明かりと、遠くにみえる境内の灯を頼りに、その一本道を足早に歩いていました。

そして、それは私たちが、もうすぐ境内に着こうとする時でした。

女の子が小さい声でポツリとこう言ったのです。

「今すれ違ったら女の子、真っ白な顔色だったわね」

男3人は立ち止まって思わず顔を見合わせました。

だって、3人ともそんな女の子みていないんですから・・・。

「ウソぉ〜!たった今すれ違ったじゃない!着物を着た17、8才のの女の子よ!」・・・

・・・涙声です。

4人は一斉に後ろを振り返りました。

s化し、そこにはまっすぐに伸びた道が、夕闇にとけ込んでいく様が目に入るだけで、人影を角煮することは出来ませんでした。

女の子はギャッと叫ぶと、神社の明かり目指して駆け出しました。

男3人も、顔を引きつらせながら彼女のあとを追ったのでした・・・。

​それからは、陽が落ちてからその道を歩くことは、二度とありませんでした。

21■迎えに来る子供達


■ちづる:2000年10月21日<土>

私の実家は、とても山奥で、標高も高めの所にあり、一族一同が住んでいます。

山の神の信仰があるところなんですが、私は、特に何の疑いもなく、そのなかで育ちました。

夫はいわゆる街の人、繁華街で育ちました。

結婚の話が出て挨拶に来た時から、結婚して三年目くらいまで、里帰りするたび夫は、怪我が絶えませんでした。

それはもう生傷だらけになるんです。 奇妙な怪我ばかりでした。

夜になると夫は、

「子供がね、遊ぼうと言って迎えに来るんだ」 と、言って街灯もない、闇夜の外へ出ていって何分も帰らないんです。

親戚一同、夜は夫を外へ出さない様に見張ると言う取り決めができるほど変でした。

ある、月が出ていて少し明るい夜に、また夫が、そとへ出ていってしまいました。

「こっちへ、おいでよ!一緒に遊ぼうよ」 と、道の向こうに広がる闇に向かって呼びかける夫、

「何をしているの」 と、慌てて走り寄る私。

「ほら、そこに子供達が、いるじゃない見えないの~~?」 と、のんきに答える夫。

目を凝らしても、特に何も見えないし、恐怖感も感じない私。

「皆が、心配しているから帰ろう、」 と、いって、渋る夫を引きずって帰りました。

夫が見た子供の姿格好を母に話すと、戦後間もなく良く似た子供達がいたとのこと…

夫も,私も、不思議と恐怖感は、感じませんでした。

その後夫が、

「やっと山の神様に、認めてもらったようだ」 と、言いました。

確かに、怪我をしなくなりました。

22■さんぽみち


■飛飛(FAYFAY):2000年10月21日<土>

読むばかりでなく、怖いお話のひとつも提供せねばと思うのですが、

飛ってば霊感とか霊障とか、そういうものにとんと無縁な、たいくつなしあわせものなのですわん。

身近にも霊体質なひとは殆どいなくて、今までソレっぽい話と言えば、おしごとの休憩室で、別々の日に泊まり込んだ2人の助手さんたちが

「寝てたら誰かにまたがれた」 と言ってたくらいでしょうか。

飛もその休憩室で寝ていて、誰もいないのになにかに脇腹を踏んづけられたことがありますけど、

腹が立っただけでぜんぜん怖い体験談じゃありませんですわね。

うーんぽりぽり。

23■お招きありがとうございます


■和尚:2000年10月21日<土>

お招きにより参上仕りました!和尚です!
お初にお目に掛かる皆様初めまして和尚です。
某宗派のお坊さんでございます。

怪談話をとの事ですのでお話しさせていただきます。

私が高校1年生の時、
当時私は、山梨県にある某宗派総本山の付属高校の寮に入ってました。
寮と言っても寺の中にあり、学生は小坊主として寺の作務に従事しつつ、学校に通うという日々を過ごす、そんな寮です。

ある夜、を含めた4人ほどの新入生が、夜間見回りの当番に当たりました。
見回りといっても、お堂は担当の僧侶により夕方定時に全ての窓、扉、裏戸まで鍵を掛けられ一切人が入れぬようになっているので、
深夜、4つあるお堂の各廊下をぐるっと一回りして帰ってくるだけの、簡単な仕事なのです。
夜12時頃、当番の全員で懐中電灯を持って、見回りをしていると、何処からとも無くかすかに
「カ~ン」という聞き慣れた、お経の合間に鳴らす『鐘』の音が聞こえてきました。
『かね』と言っても境内に釣ってある『釣り鐘』ではなく、堂内に置いてある『ばちで叩く(お椀型の)「鐘』の音です。
全員何処から聞こえてくるのか耳を澄ませました。
すると、その年出来たばかりの大本堂の中より聞こえて来るではありませんか、
そのお堂(大本堂)は、出来たばかりで、中に宝物庫も有しているので他のお堂に比べ、防犯設備が張り巡らされており、
鍵も頑丈なので、間違って中に人が取り残されても、動き回れば警報が鳴り響くはず。
しかし鐘の音は1度聞こえただけ、何かの弾みで鳴ったのかもしれません。

気を取り直し見回りを続けようとすると、また「カ~ン」。
気味が悪かったのですが、全員で大本堂の扉に耳を当てて息を飲んでいると、何か聞こえてきます………………
お経でした、低い声で誰かがお経を唱えているのです。
先に書いた通りのセキュリティー状態なので、人がいるわけありません、
慌てて当直の詰め所に帰って全員固まったまま、朝まで震えてました。
翌朝、先輩と事務所の僧にこの話をすると「あり得ない」と、笑われましたが、確かに私達は聞きました。
あの声は誰だったんだろう?
その後、その寮を出て違う寺から学校に通うようになったので未だ謎のままです。

24■怖い話好き〜


■きずら:2000年10月23日< 月>

開かずの間にどんどん話が増えて、嬉しいきずらでございます。

 

子供の頃、あなたの知らない世界や怖い写真を見ては夜恐怖に怯えてた頃に 比べると、ずいぶん神経が太くなったモンです。

^^; 子鬼は怖かったです。 めちゃくちゃ有りそうな話で…。 (死んでるモノも怖いけどゴキブリも怖いデス。)

 

我が家の近くにも「神陵台」という地名の所に団地やマンションがいっぱいたってるのですが (昔からある地名なのか知らないのですが)「神陵」って神さんのお墓やんかーー!って いつも思うのですが…。

古墳時代くらいになると現代では影響力ないのかな?

 

さて、私の大好きな「超怖い話」という文庫本のシリーズに人ごとでは無いような話がありました。

ラジオ番組を録音するためタイマー録音をセットしていたところ、外部(?)録音に なってて部屋の中の様子が録音されてたようで、

留守にしてたにも関わらず 女の子の声で小さく

「最近かまってくれなくて…」「いつも同じ服ばかり…」 「汚れちゃって…」という会話が録音されてたそうです。

 

おかしいなーと、ふと見渡すとホコリをかぶってお人形が2体、向き合って座ってたのを 見つけ、まさか…と、思ったそうな。

(と、云うような話が載ってありました。^^) 実体験じゃないけど人ごとでは無いので…。

25■26■うちの旦那ネタ(怖くないです)


チェリー :2000年10月25日< 水>

うちの主人は霊感などないと自分で言っているのですが、はたから見ると、 すぐ霊の影響を受けてしまいがちなのに、本人に全く自覚がなく行動する、 いわゆる「呼ばれてしまう」タイプなんじゃないかと思えます。

その1

私達が結婚したのは、二人共バイトの身で全く経済力のない頃でした。

似たもの夫婦というか後先をあまり考えない私達は、何とかなるだろうと 深く将来に対する不安や展望を抱くでもありませんでしたが、さすがに経済的には窮しており、 かといって親の援助で豪勢な結婚式や新婚旅行などに行くのは、よしとしなかったので、 自分達で年末年始のお休みにささやかな新婚旅行に出かける事にしました。

竹芝桟橋から船に乗って伊豆諸島の三宅島に3泊の旅です。 真冬というのに、三宅島は日溜りにスミレが咲くほど暖かく、 島の人達はどなたもとても人情があって親切で、思い出深い旅でした。

ですから、今回の噴火での島の方々のご苦労には本当に、胸が痛みます。

私達が訪れたのは前回の噴火の前でしたので、溶岩流が流れているのをテレビで見た阿古地区も無事で、 温泉を楽しんで一泊しました。

翌日は坪田地区の民宿に一泊、その夜は大晦日の年越しの晩でした。

そろそろ寝ようとしていた12時過ぎ、民宿のご主人が各部屋を回って、

「雑煮と、お汁粉ができたから食堂に早く来て」 と、お客を叩き起こしはじめました。

私達以外は釣り客で、早朝の暗い頃から釣りに行く人ばかりだったので、皆眠そうでしたが、ご主人の善意には逆らえません。

皆眠い目をこすって、渋々ながら食堂に集まりました。

「新年のお祝いだから、どんどんお代わりしてよ」 とご主人は、はしゃいでいます。 厳しい就寝時間の決まりなどの張り紙があったので、

「今日は何時まで起きていて良いんですか?」 と、聞くと

「今日は特別だ、朝まで起きていたってかまわん。」 と、宿のご主人が言います。

すっかり、眠りそこねたので、散歩でもしようかと思い

「初詣に行ってもいいですか?」 と、聞いてみました。

「おお、いいよ、今日は門限もないし、いってらっしゃい。」 と、ご主人は上機嫌で、神社への道順を教えてくれました。

「細道を抜けたら、少し広い一本道があるから、そこを真っ直ぐ行くと、右手に神社の石段がある」

との事でしたので、間違う事もあるまいと、私達は安心して出かけました。 しかし、民宿の明かりが見えなくなると、すぐに出てきた事を後悔する事になりました。 真の闇というのを、体験した事がありますか?

「鼻をつままれても分からない」というのは「例え」じゃなく、正真正銘本当の事なのだと知りました。

眼前に手をかざしても、自分の手が全く見えないのです。 都会の夜では想像もつかない事でした。

目が慣れてきたら見えるというのは、僅かでも明かりがあるときにだけ当てはまる事なのです。

主人と手を繋いで足で探りながら、何とか真っ暗な細道を抜けると広い道に出ました。

陰の濃い細道に比べ、ひらけた一本道はいくぶん明るく、目を凝らせばおぼろにお互いの姿も見る事が出来ます。

少しほっとして歩いていくとほどなく右手に石段が見えてきました。

「多分ここだね、」 「でも、真っ暗よ」 「登ってみよう、」 迷う事なく主人が言います。

石段の先は真の闇に飲みこまれています。

「やめましょう。」 「どうして?せっかく来たのに。一本道だし、間違いないと思うよ。」

「ここが神社なら初詣はしなくていいから、行くのはよそうよ。」

もう少し先に行って神社がなければ帰ることにして歩きはじめると、すぐに明るい灯明の燈った神社の石段が右手に見えてきました。

ここには人の姿もあり、お正月らしい新たまった雰囲気があります。

「やっぱり、さっきのは神社じゃなかったんだ。」 「そうみたいだね、」

と、話あいながら、無事初詣をすませ民宿に帰り着きました。

翌日、明るくなってから同じ道を辿ってみました。 あの石段の先は・・・と、見てみれば、何と、墓石や卒塔婆の立ち並ぶ墓地。

あぁ、行かなくて良かった。・・・というお話です。

 

その2

家族でドライブをしていて道に迷った事があります。

日が落ちて暗くなってくると風景は見知らぬ場所のように一変します。

焦りもあるのか、地理勘のある場所で、方向感覚の良い主人が迷いました。 狐につままれたような気分らしく、

「この細道にはいったら広い街道に抜けられそうだ」 と、入るほどに迷い、方向感覚まで麻痺しているようです。

やがて、左側は深い雑木林、右側は畑の真っ暗な、道とも思えない細道を見つけました。

「お父さん、そこはだめだよ!」 私ばかりか子供達まで、声を揃えました。

「いや、大丈夫だよ。ほら前の車のテールランプが見える。抜けられる道だよ。」

主人はどうしても、その道に入ろうとします。

「やめて!あの車は動いてないよ。駐車してあるだけじゃない!!」 私も子供達も何故かぞっとして、声を揃えました。

「いや、抜け道だろう、行ってみよう」

どういう訳かその道に執着する理解不能な主人に、その場は何とか思いとどまってもらいました。

その後何かの機会でまたそこを通りかかった時に 

「あっ、こないだの場所だ。」 と、見てみると、林と畑の間の農道の脇に林に突っ込むように、めちゃめちゃに壊れた事故車が捨ててありました。 あぁ、行かなくて良かった。・・・というお話です。

以上、二つの話の陰には、無数の同じような「行かなくて良かった話]と、 行ってしまったばかりに、真冬の古戦場で日も落ちて途方にくれたり、山間の人気ない墓地に行き着いたりの 「行かなきゃ良かった話」があるのでございます。

完璧な方向音痴の私が道案内すべきか、方向感覚はあるけれど何かに引っ張られやすい主人が道案内すべきか、

・・・究極の選択のような我が家の日常なのでございました。

 

27■叔母が体験した猫の話


■ちづる:2000年10月27日< 金>

 叔母は、天草の西海岸の、町に住んでいます。

 

家を出て、急な坂道を下ると、その後は、海まで一本道のなだらかな坂道になります。

海へ向かって歩くと、左手には。急斜面いっぱいに墓場があり、右手には、小さな家並みが広がっています。

 

ある夏の日夕方、その町並みにある、一軒の友人の家から魚が沢山手に入ったから、取りにおいでと連絡があったそうです。

もちろん狭い町ですし、皆親戚のような物なので貰いに行ったそうです。

 

貰い受ける時に、一匹の猫がじっと叔母を見ていたのだそうです。

その時、その猫の目が赤くギラッと光ったと伯母は言いました。

天草の夏は、pm8時頃まで明るいのですが、その友人の所を出たときには妙に薄暗くなっていたそうです。

「まだ6時台で、そんなに暗くはないはず、曇ってもいないのに」

と、不思議に思いながら、歩いても5分しかかからない家へ向かって歩き出したそうです。

 

しかし、行けども行けども、家にはたどり着かず、どうも、同じ所をぐるぐる回っているような気がしたそうです。

こっちに、自宅へ続く道があるはずと思っても、ど~~んと真っ暗な壁のような物があって、そちらへは、進めない。

道にしたがって、足を急がせた叔母が、もう家についたと思った場所は、墓場でした。

 

そして目の前には、さっきの猫が…叔母のほうを、伺っていたそうです。

 

なんせ、わたしの叔母は、烈女、その猫に向かって 「”こんつきしょ、持って行きはたせ” 」

=(”こんちくしょう、持っていけ~”の意味)

といって、魚を一匹放り投げました、

するとあんなに暗かった景色がパ~~っと、嘘の様に、明るくなったそうです。

 

「猫にとっては、大願成就だったんだろうね~~」 と伯母は言っていました。

魚がよほど欲しかったんでしょう。 わたしも天草への帰省の時、同じ所をぐるぐる回った事があります。

いつも通る道を、間違えるなんて考えられないのですが、その時もあるんです。

真っ暗な壁が…真っ暗と言うより、闇夜みたいな壁です。

そんな時は、何かある前触れと思って、絶対休憩を取ります。

28■父の話


■ちづる:2000年10月27日< 金>

狐に化されたのは、私の父もありました。

出かけて帰らない父を探しに行って見つけたんですが、 広い田んぼの真中で、寝てるんですよ~。

父が言うには、大きな素晴らしい家があって、

「寄っていかれませんか」 と声を掛けられたので、家へ上がらせてもらい、沢山ご馳走になったのだそうです。

お腹がいっぱいになったので、

「休んでおいでなさい」

との、お言葉に甘えて一眠りした所に、私達が現れたのだと父は言ってました。

なんだか、怪談一族になってきたような・・・少しも怖い一族ではないですよ~。 爆笑一族です。

 

29■狐に化かされた先生


チェリー :2000年10月30日< 月>

母は田舎の写真館の娘でした。

 

母の実家の写真館は明治、大正時代から、昭和初期当時としては、存在自体がモダンだった洋館で、田舎町の目抜き通りにありました。

撮影に使う洒落た 外国製の猫足の椅子とか、大きな帆船模型、フランス人形、ドイツ製の柱時計、蓄音機、揺り椅子等々、 田舎町としては憧れのものが揃っていました。祖父の趣味でもあり、営業用でもあったでしょう。

(これらの名残は、私が幼い頃田舎に遊びに行った時にも残っていました。古びた椅子を素敵だと思った覚えがあります。)

そして、店を手伝っていた母も、看板娘として、大変な人気者だったと言います。

 

年寄りの自慢話なので、多少割り引いて聞かないといけないのですが、 それでも、町で1軒しかないお医者様の所から縁談が来るような家だったのは確かなようです。

 

そのお医者様の家の、母の縁談の相手だったという若先生が狐に化かされた話は町内で有名でした。

なんでも、お医者のいない隣町に往診に行った若先生が夜になっても帰って来なかった事があったのだそうです。

「途中で何かあったのかもしれない、これは大変だ」と、皆で大騒ぎで探しに行くと、山中で件の若先生を発見しました。

「針が折れてうまく打てない」 と、ブツブツ独り言を言いながら、若先生は 何本も注射針を駄目にして、

一生懸命、樹に注射をしていたそうです。

本人は何処かの大きなお屋敷で、急病人が出たので診察をと請われて、病人を診ていたつもりだったようです。

 

「私はこんな田舎町は嫌いだし、あんな間抜けな先生の嫁にはならない」

と、言って東京に出てきた母ですが、 ときどき、帰省してお医者様の奥さんに会うと、

「あの時結婚を承諾していれば、私は今ごろ・・・」 と、奥さんに自分を重ねたりして、何かしらの感慨があったようです。

 

口うるさい田舎町の医院の奥様では窮屈で我慢出来そうもない母でしたが、結局結婚したのは私の父、

・・・やはり田舎出身の、家を継がずに東京で出版業など始めた医者の息子でした。

不似合いな二人だと思ってきましたが、案外似たもの同士なのだろうと、最近は思います。

波瀾万丈、浮き沈みの激しい生活の父と居て、母は幸せだったかしら、・・・・

父も母も我が侭な人だから、気ままな暮らしぶりに見えても、きっと母は寂しかったのだろうと思います。

 

そんな思いも相まって、母は、自分の人生を確かめるように、狐に化かされた先生の話をしてくれたのでした。

「・・・あんな人と結婚しなくて良かった!」と、言う台詞を付け加える事を忘れずに、

 

30■テレビに映るもの


■MP:2000年10月30日< 月>

私の後輩にRさんという女の子がいます。

ちょっと霊感のある子でした。

その子から、直接聞いた話です。

ある夜、彼女と家族が一緒にテレビの心霊番組を観ていたところ 画面に、自殺の名所ともいわれる、ある有名な滝が映し出されたそうです。 「あっ、あそこ!」 彼女はブラウン管を指差して叫びました。

「着物を着た若い男の人が……滝壷のところに立ってる!」 とうてい人の立てそうも無い場所に、立っていたそうです。

しかし、他の家族には、そんな男の姿など見えません。

どこだ、どこだと言ってる内に、画面には女性の霊能力者が 現れ、レポーターと話し出したそうです。

やがて、その霊能力者はおもむろに滝壷を指差し、こう言ったそうです。

「あそこに書生姿の若い男の地縛霊が見えます」

その番組は決して再放送のものではなかった、と彼女は付け加えました。

31■ 霧の中


チェリー :2000年11月1日< 水>


母方の実家の写真館を継いだ私の伯父は、口髭を蓄えた芸術家風の風貌でした。

母の他に4人の妹がいましたが、一時写真館を手伝って一緒に仕事をしていた母とは特に仲が良かったようです。

私が物心つくかつかないかの幼い頃には、母は良く子供連れで里帰りしており、伯父は私をとても可愛がってくれました。

伯父の膝の上に抱かれ口髭が珍しくて髭を触っていた事をおぼろげに覚えています。

何故か今でも、口髭を蓄えた男性が素敵に見えるのは、可愛がってくれた叔父の影響があるのかもしれません。

その伯父が第二次世界大戦に出征したときの話です。

伯父は船で南方に行きましたが負傷して軍の病院に入りました。

長い入院生活を余儀なくされた大変な怪我でした。

けれど、南方の激戦区で大勢の方が亡くなられた事を思うと、その後、85年の天寿をまっとうすることの出来た伯父は、怪我をして幸運だったのかもしれません。

怪我のいきさつは、船で夜間見張りに立った伯父が真っ暗な中で、高いマストの上の見張り場所から足を踏み外し、転落して甲板に叩きつけられ、内臓破裂で意識不明のまま朝まで誰にも発見されずに、生死の境をさ迷ったというものです。

ちょうど、その頃、遠い日本にいる伯父の母親(私の祖母)が不吉な夢を見ました。

それは、一人息子の叔父が深い山中の神社のような所を歩いている夢でした。伯父は濃い霧の中をどんどん先に先にと登っていってしまいます。 行かせてはいけないと必死で伯父の名を呼び続けて、見失うまいと追いかけ続けて朝になり目が覚めたのだそうです。

その呼び声のおかげで伯父が命をとりとめたのかどうかはわかりませんが、母親ならではの夢の知らせというものだったのだろうと思います。 ・・・しかし、戦争で負傷といっても戦闘でではなく、そこはかとなくドジっぽさの漂うあたり、つくづく身内だなぁと思うのでした。

 

32■ 学校の怪談


■THE-O:2000年11月3日< 金>

おはようございます、会社にお泊まりして今ようやく帰ってきたTHE-Oです。

早速ですが、吾輩の体験した怖い話の一部をば・・・。

吾輩の通っていた中学校にはいわゆる「学校の怪談」が存在しておりました。

そのうちのいくつかを実際に体験しました。 まずはその一つ目をば・・・。

吾輩の通っていた学校の敷地には長い間使われていない寮があります。

平屋建てで当時は草ぼうぼうで見ただけで何かしらいるのではないかと思わせるくらい不気味なものでした。

当時の吾輩は中学二年生で、上の学年に従兄弟がおりまして、彼から聞いた話はこんな内容でした。

「寮の外、向かって左から三番目の部屋の中を窓から覗いてみろ。首のない女子中学生が床掃除してるらしいぞ」と。

他にも使われていない寮にまつわる怖い話はいくつかあるのですが、吾輩が実際に体験したのは寮の裏山での話です。

怪談の真偽を確かめるべく友人たちと5人で寮へ向かいました。

寮のある裏山から忍び込めば先生に見つからないだろうということで汚れてもいいように体操服に着替え侵入開始。

山の中に入った途端、友人が何かに躓いて倒れました。

「どしたん?」 と吾輩。

「こっ、これなんや、なんやろ?」 と友人。

友人が躓いたのは緑色のコケの生えた丸い石だったんですが、よくみるとそれは・・・。

お地蔵さまの頭部だったんです。

首の部分は何を使ったのかわかりませんが砕かれたようになっており、まわりには胴体は見あたりません。

無論、吾輩たちは驚き叫び、その場から逃走したのは言うのでもありません。

今考えると、これが吾輩たちの恐怖体験の始まりだったのかも・・・。

33■ 怪談


■森川:2000年11月4日< 土>

怪談と言えば、森川がまだ小学1年生だった頃、5つ年上のお姉ちゃんが、 御盆の頃だったかな?

その頃に、す~~~っと森川の部屋に来て、

(その頃は両親と同じ部屋でしたが、両親は外で仕事をしてました)

 

「十樹ちゃん、大きくなったね」って言うんです。

「へ?お姉ちゃん、何言ってるの?」

「私は、昔ここで働かせて頂いてたおばさんです。今日はみんなに会いに来たの」って、お姉ちゃんが!

 

 それからちょっとの間会話をしたら、お姉ちゃんは急に立ち上がって、

「みんなの所へごあいさつに行きたいから」と言って、部屋を出て行きました。

 

 唖然とする森川。あとでお姉ちゃんに聞いても

「そんなの知らないよ」って言うだけ。

 

 お姉ちゃんは当時小学校5年生だったので、演技していたかどうかは微妙です(笑)。

 でも、昔からお手伝いに来てくれるおばさんが、何人もいる事も事実。

 う~~~~ん。

 

 お姉ちゃんに最近になってその事を聞いたら、

「そんな事あったの!?」って驚いてました。

34■ ☆怪談☆


■☆ルイちゃん☆:2000年11月4日< 土>

 あれは結婚して数ヶ月たった頃のことです。

とある昼下がり、二階の自分の部屋でうたた寝をしていると、階段を誰かが上がってくる気配。 家には私一人しかいないはず。

その頃の主人の仕事は外回りが多く、たまに定時より早く帰ってくることも、あったので、 主人かな?と思ったのですが、

一向にドアのところに顔を出さないのです。 ドアは開きっぱなしになってました。

おかしいな???と思ってると、突然、何か重たいものがお腹の上に! あっ!と思ったときには金縛りになっていました。

その何かが・・・・ 実は、それより数日前に、縁が無く流産をしてしまいました。

一週間ほど泣きあかし、元気を取り戻して、何日かたった時のできごとだったのです。

そう・・・その何かが私のおっぱいを吸っているのです。 といっても、そうしてる・・・と思ったのですが。

何故か不思議と怖くなかったのです。 おっぱいを吸いに逢いに来てくれたんだね。 いっぱい飲んだらお帰り、って思いました。

少しして金縛りも解け、ふっと身体が軽くなりました。 寝起き間際に見た夢か、本当にあったことか分かりませんが、 寂しがってた私を慰めにきてくれたのかな、

35■ 私が見た不思議な物


■ちづる:2000年11月5日< 日>

お邪魔致します。私が見たふしぎな物書きに来ました。

UFOと、スプーン曲げ

・・・ UFOは、中学生の時、今は神戸に住んでる友人と学校帰りに見ました。

低い山の端を、かなり低空飛行で飛んでました。

とても近いのに、音もしないし上半分に、クリスマスのような電飾があってぐるぐる回ってるんです。

怖いと言うより、あれ、なに~~~と二人で見入っていました。

田舎町ですし、飛行機が飛んでいる時間でもない、あんなに低く飛ぶはずもないと二人で、見えなくなるまで呆然と見送りました。

家に帰って母に話すといつにない剣幕で怒るんです。

母も見たらしいのですが、あんまりかんかんになって必要以上に、打ち消す様に怒るので、子供心に、やっぱり母も変な物、見たな~~と 思いました。

スプーン曲げ

・・・これは、いつも飲みに行っていた、お店で、後から来た、ある女性が見せてくれました。

明日から、東京で住むことにしたから、お別れに良いもの見せてあげると言われ、その女性の指示どうり、マスターが、バースプーンを渡し 少し店内の照明を落とした中で、行われました。

女性が、軽くスプーンをこすったかと思うと、あっ来たよ…と言って、あの頑丈なバースプーンを、グニャっと曲げました。

一同驚愕のため息、しかし、疑り深い人はどこにもいるもので、何か仕掛けがあるに違いないと、言い出しました。

すると彼女、静かな口調で、じゃ~~これでは?と、あの長くて堅いバースプーンを、ぐるぐると、まるで、細い針金をまく様に、見事に巻貝の殻の様にしてしまいました。

力自慢の、男性が元に戻そうとしても、ぐるぐるになった、バースプーンは元に戻るどころか、びくともしませんでした。

私は、横で見てましたが、その女性は、ようこさんと言って、不思議な雰囲気をかもし出した人でした。

まるで、タロット占いの、占い師のような人でした

36■ 呪いの人形


■和尚:2000年11月6日< 月>

平成11年の夏、うちの近くの某お堂の庭樹に打ち付けられた【呪いの人形】のお祓いを引き受けました。

( 【呪いの人形】りかちゃん?使用、心臓部に錆びた5寸釘 けしからん! )

その夜、妹にその話をすると、笑いながら茶化すので、たしなめたのですが……。

翌日妹が、マリンジェットの事故で入院、生死を彷徨うことに、

(幸い命に別状はありませんでしたが約3ヶ月間入院してました)

事故の事後処理もあり、 仕事も忙しく、先送り

(1週間ほど 樹に刺さりっぱなし)にしていたら、今度は私が倒れて救急車で運ばれ10日間ほど緊急入院いたしました。

(急性腎不全との告知、治療がほんの少し遅れていれば死、もしくは一生透析を続けなければならなかったそうです)

退院後、お祓いの当日の朝AM6時頃、家の鬼子母神堂でお勤めしてたら庭の方から子供の笑い声が聞こえて、何気なく後ろを振り向くと、 空いてなかったはずの窓が5センチほど開いていました。

気味が悪かったので、急いで呪いの人形を始末しようと思いお勤め後すぐに人形が刺さってた樹に行ったら

……………人形が無くなっていました………………………。

お堂の向かい家の方(たまたまゴミ捨てに出てきた)に聞いたら 前日の夕方には人形は有ったそうです

…… 後日談、 平成12年初頭、人形があった樹の同じ場所に今度は木製の呪符が打ち付けられてました。

たまたま所用でそこを通りかかったときに見つけてしまい、腹が立ったので、怒りにまかせて呪符を剥ぎ取りお祓いしました。

(祈祷道具不使用、着衣は作務衣、数珠も無し)

ひたすら、近所の方に分けてもらった塩を撒きながら、大声で読経しつつ呪符に火を付けました。

「人を呪わば穴二つ」 呪わず怒らず、感謝して生きましょう♪

37■ぺたぺた


■和尚:2000年11月6日< 月>


先に書いた我が母校の寮には、面白い怪談がいくつか有ります。

その一つを書かせていただきます。

深夜廊下を「ぺたぺた」と裸足で走る音が聞こえる。

誰だろうと思い、部屋を出てみると、 誰も居ないのに足音だけは聞こえている。

ふと、下を見ると、 足首から下だけの人の足が、ぺたぺたと音を立て走り去っていく。

実害がない上に(チョット五月蠅いけど)なんか話だけ聞くと笑える?お話でした。

38■スプーン曲げ


■かき:2000年11月7日< 火>


私の親しい知人が、まげてみせてくれました。

スプーンをつかんだ手に向かって、頭から なにか暖かいものが流れていくそうです。

それが手にたどりついたときに、スプーンは ふにゃ~っと、まがってしまいました。

別に、力を加えてるようなそぶりでもなく・・・・。

その知人いわく、スプーンは曲がるものと感じるのだそうです。

私もこつを教えてもらって、何度か挑戦したのですが、だめでした。

曲がったスプーンはその後手を離れてからも、ゆっくりと曲がりつづけました。

39■おはようございます


■TOMO-P:2000年11月7日< 火>

どうも私の周りは怖い話というのは少ないのですが、これは不思議になるのかな?怪談になるのかな?

和尚さまが足音の話しをされていたので。。。

 

私が高校を卒業してすぐ就職した会社は3階建てで、1階が事務所。2階が倉庫。3階は更衣室、会議室、寮になっていました。

寮と言ってもベッドは2つあるだけ。 いつも誰かが入っているわけでなく、余所の営業所の若い男の子が研修に来た時に使ったり、飲んでて電車がなくなった人が泊まったりしてました。

入社3年目に、前日残していった入力の仕事を片付けるため朝の7時ごろに出勤して事務所で一人で仕事をしていたら、すぐ後ろで

「おはよう」 という女性の声がしました。

てっきり先輩かと思って 「おはようございます」 と振り返ると事務所には誰も居ませんでした。

その日から早朝に一人で会社にいるとその声が「おはよう」と挨拶をしてくれます。

明るい声なのでちっとも怖くなかったのですが、大阪から半年間研修に来ている男の子とご飯を食べに行った時そんな話をしたら、

「僕も前から思っとって言えんかったことがあるんやけど…」 と、話してくれました。

夜寮で寝ていると時々1階から上がってくる足音があるそうです。

飲みに行った先輩が電車がなくなって隣のベッドに寝に来たのかと思っていると、部屋のドアの前で足音は止まり、それきりなのだそうです。 「ともぴーに挨拶する人と同じなんかな。それやったら怖い人と違うみたいやで大丈夫かな」 と言ってましたが…。

 

やっぱり怖くないですね。ともぴーが怖いと思って書いてないので仕方ないんですが。

40■ホテルマン夜話


■MP:2000年11月7日< 火>


友人のホテルマンから聞いた実話です。

夜中にお客様に電話で呼ばれて、客室まで出向いていった彼。

「この部屋、なんかあったのか」 中年サラリーマンの客はドアを開けたあと、またベッドのうえに 座り込んだ。

「どうされました?」と彼は部屋の中に足を踏み入れた。

“白いブラウスにチェック柄のスカートをはいた髪の長い女”が ベッドの横に立つという。

「電気を消しても見えるんだ」

「今も見えるんですか?」

「ああ…あんたの後ろに立ってるよ」

彼の勤めるホテルは“出る”ホテルとして有名らしい。

41■旅先で


チェリー :2000年11月9日< 木>


大学時代、同じクラブだったI君が話してくれた体験です。

 

夏休み、I君は友人と二人で旅行に出かけました。

旅館に泊まって眠りにつきましたが、何故か夜中に目が覚めたのだそうです。

ふと、隣に寝ている友人の布団を見れば、空っぽ、・・・

何故か友人は、部屋の隅で背中を向けて膝を抱えていたのだそうです。

「何しとるん?」と声をかけましたが、友人は無言。

・・・おかしな奴、と思いながらも、寝ぼけ眼でそのままトイレに行きました。

トイレに入ろうとすると、中から出てきた人と鉢合わせました。

何とそれは、今部屋にいた筈の友人だったのです。

「おまえ、今部屋の隅で膝抱えとったやん?!」

「何?部屋の隅でうずくまっていたのはおまえじゃなかったのか?!」

友人も部屋の隅で背中を向けていた人影を、I君と思っていたのです。

それでは、今のは誰だ?!!

二人で部屋に駆け戻りましたが、 もう、誰もいなかったという事です。

42■怪談など(笑)


■森川:2000年11月10日< 金>


森川が昨日、お友達とドライブしていた時の事です。

横に乗っていたRさん(仮名)が、 「何か、左目が重くて開きにくい……」 と、言うのです。

Rさんの左目は私から見ると、ちゃんと開いていましたし、腫れたような感じでもありませんでした。

「なんか、変な感じ。森川、交通事故とかしそう。気を付けて……」

物騒な!と、森川は思いながら、運転しておりましたが、何事もなくドライブを終えました。

しかし……。 そのあと、Rさんのお友達が車で事故にあったと言うのです。

そして、車の前方の左側の車輪は完全に外れていました。

幸い、そのお友達には怪我は全くなかったので、本当に良かったです。

これって、虫の知らせだったのでしょうか?

それにしても、曖昧過ぎて何が起こるのか予測出来ないのが、辛いですね。

皆様も事故には本当に、本当に気を付けましょうね。 車はなおるけど、人間はなかなか治らないのです。(T.T)

43■夜勤


■ちづる:2000年11月11日< 土>


今夜は、私が体験した事を書きますね!

 

6年ほど前に、看護婦として勤めたんです。

30代のうちに、もう一度、現役に復帰しないと後から、ついて行けなくなるのではないかと、強迫観念に、とらわれての事でした。

夜勤もあったのですが、夜勤のたびに、AM1:00過ぎに職員通用口を開けるカギの音とヒタヒタと、ナースシューズで、廊下を歩いていく足音が、交代時間でもないのにするんです。

ある夜勤の日、夜勤の相方に、 「また今日も、カギの音がしてるけど今の時間は、交替の時間でもないのに誰が来てるんでしょうね?」

と、問いました 私としては、夜勤の度だったし、何の疑問もなかったのですが、・・・

「え~~何も聞こえませんよ~~、何、寝とぼけてるんですか? 」

と、相方が言う、 「だって、今も、足音してるよ、」

という私 一体誰が、あんな時間に、出勤してきていたのでしょうか? 月に、10回の夜勤をこなしていましたが、毎回、聞こえていたので皆に聞こえていると思っていたのに、聞こえているのは、私だけでした 。

一人の、男性職員の人から、聞いた話ですが、夜中の1:00~2:00にかけて何かが出る、という話は、密かにあったとのことでした。

44■45■ラップ音


■ルイちゃん:2000年11月11日< 土>

☆ラップ音☆

まだ独身時代のこと。

いつものように寝ようとしたら、どこかでパチッって音が・・・・

あれ?っと思い音のしたあたりを見てみるが・・・何も無い。

・・・・・と思ってるうちにまたパチッと。

えっ?まさか?ラップ音? それから何度も何度も音がするんです。

音の出所は、布団の足元から少し左に置いてあったごみ箱のあたり。

結局、朝方まで鳴り止まず、ほとんど寝られなかったです。

 

☆もう一つ、おまけ☆

今から十数年前、新婚旅行に沖縄へ行きました。

その頃、出来たてほやほやの、とあるホテルにどうしても泊りたくて、 キャンセル待ちをしてました。

行く直前に取れたので、とっても楽しみにして行きました。 着いてみると、部屋は一番上の階の一番端っこ。

その時、何か嫌~な気持ちがしました・・・が。 さあ、寝ましょう、とベッドに入ったら・・・ 私のベッドの隣に置いてあった、背の高いスタンドのあたりから、パチッ、パチッと 音が。

すでに旦那は寝てしまっているし・・・ やっぱり一晩中聞いてるはめになりました

☆ そういえば・・・今気づいたんですが、このホテルで撮った一本分のネガが・・・ 何も写ってなかったんです。まぁ偶然でしょうけど・・・

46■ホテルマン夜話2


■MP:2000年11月13日< 月>


40話に登場した、私の友人のホテルマンから聞いた話です。

またしても、夜中に電話で客室に呼び出された彼。

そのツインルームをノックすると、顔を出したのはふたりのうら若き女性。

ふたりとも顔を引きつらせている。

「どうされました?」と彼は部屋の中に足を踏み入れた。

見ると、壁側のベッドが、壁から離すように動かされている。

「壁を…誰かが引っ掻いてるんです」 そのベッドで寝ていただろう女の子が涙声で訴えた。

足元のほうから耳元まで、シューッと、壁クロスを爪で引っ掻く音が 幾度となく続いたそうだ。

あまりの気味悪さに、ベッドを壁から引き離したらしい。

彼はいつものように笑顔で説明した。

この壁の裏にはダクトが通っており、その音が漏れ聞こえてしまうことを。

申し訳ございません、別のお部屋をご用意いたします、と謝罪し、すぐに ルームチェンジの手続きをとった。

もちろん、その壁の裏には、ダクトなど通ってはいない。

47■さようなら


チェリー :2000年11月15日< 水>


主人がまだ私と出会う前の、独身時代の話です。

 

主人は都内のある会社で警備員のアルバイトをしていました。

警備員と言っても特別な事はせず、時々見回りながら電話番も兼ねて管理人室で一晩過ごすだけの仕事です。

 

そんな夜警のバイトで、1人でいて怖い体験は無かったかと聞くと、そういえば、怖いというのじゃないけれど、

・・・と、語ってくれたのが、次のお話です。

バイトは交代制でした。

昼間の担当警備員はA君、夜間担当は主人で、夕方会社の人が帰る頃、二人は挨拶と雑談をかわしながら交代するのが常にでした。

 

ある日のことです。

定年を間直に控えた顔なじみのBさんが、急に亡くなられたという知らせが入りました。

そういえば数日、体調が悪いと会社を休んではいたのです。

けれど、あまりに急なことだったので、皆一様に驚きを隠せませんでした。

「だって、Bさん、昨日会社に来たんじゃないの?」

「いつものように、管理人室にさようならって声をかけて帰って行ったよ。」

と、昼間の警備員のA君が言い出しました。

「確かに俺も見かけたんだよな、Bさんが帰って行くの・・・。」

「特徴のある猫背の後ろ姿を見送った記憶があるんだ」

と、その頃出社した主人も言うのです。

昨日亡くなられたので、会社に来ていた筈はないのに・・・。

48■ドッペルゲンガー


■森川:2000年11月16日< 木>


高校生の頃、夏休みの部活動(美術部)で、これまでの作品制作が遅れている生徒達は、学校に来て作品制作に励んでおりました。

森川は部長で、普段は毎日遅くまで残って作品制作をしていたので、その日は学校に行っていませんでした。

その日、森川が家に居た事を、両親も知っています。

それなのに、その次の日に学校に言った森川に、みんなが言うのです。

「昨日、学校に来てたよね」と……。 森川の家から高校までは、とても遠く、電車で片道1時間以上かかっておりました。

そんな距離ですから、なかなかフラッと立ち寄ったりは出来ません。

その日、森川が家に居た事を、翌日に話をした両親達も知っています。

なのに、その日学校に来ていた10人前後の友達は、森川の姿を見た、と言うのです。

その中には、普段冗談すら言わないような人や、親友のマキちゃんもおりましたので、からかっているワケではなかったのです。

……これって、ドッペルゲンガーですよね?(笑)

高校生の頃、高校や部活動に対して、ものすごい思い入れがあったので、そのせいかもしれません。

ちなみに、森川が高校に入学する前に、森川と同じ名前で、外見がそっくりな生徒さんがいたそうです。

それから、大学にもそっくりな男子生徒さんがいて、その人の写真を見た時、森川本人ですら 「おお!なんでこんなところに、森川が写ってるんだ!?」って思いました(笑)。

狭い大学の中なのに、不思議な事に、その男子生徒さんと森川は、 一度も顔を合わせた事がありません。

やっぱりそっくりさんに会うと、なにか起こってたのかしら(笑)。

みなさんも、自分にそっくりな人、3人はいると思いますよ。

森川は、もうすでに3人確認してしまいました~(笑)

49■オルガン


チェリー :2000年11月19日< 日>


またまた、母の若い頃の話です。

 

東京に憧れて田舎から出てきた母は、当初は東京に嫁いだ姉の元に身を寄せていましたが、いつまでも頼ってはいられないので、母を追って上京してきた妹と二人で アパート暮らしを始めました。

 

職業学校を経て和文タイピストとして増上寺の社務所に努めたり、渋谷の東横デパートに勤務したり、色々な職業に就いたようです。

 

母達の住む同じアパートに音楽好きの大学生がおり、彼の部屋にはオルガンが置いてあったそうです。

当時としては贅沢な事だったのでしょう。よく、彼がオルガンを弾いている音が聞こえてきたと言います。

 

顔馴染みのその学生が、海水浴に行くからしばらく留守にすると言って出かけて行ったのは夏休みのある日の事でした。

 

「慣れたオルガンの音が聞こえないのも何だか寂しいものだね、」と言っているうち、学生は戻ってきたらしく、 その夜、オルガンの音が聞こえてきました。その音を聞きながら、

「あぁ、学生さんが戻ってきたんだ、」と、妹と話したのだそうです。

 

けれど、学生は帰って来ておらず、そして、二度アパートの部屋と彼のオルガンの元に戻る事は無かったのです。

 

後日、旅行先でその大学生が溺れて亡くなっ事を知ったそうです。

50■これで終わりました


■MP:2000年11月20日< 月>


30話の「テレビに映るもの」に登場したRさんから聞いた話です。

 

Rさんには、長い間病床に臥せっているおばあさんがいました。

ある夜、Rさんがおばあさんの食事の世話をしている時でした。

食事の後、おばあさんが湯呑みに口をつけてお茶を啜るのを 何気なく見ていると、なんと、おばあさんの口の中から墨汁の ような液体が流れ出て、湯呑みのお茶の中に広がっていくのが 見えました。

〝えっ!〟と思って、もう一度見直すと、湯呑みの中は普通の お茶です。

おばあさんはそのお茶を飲み干すと、湯呑みを傍らに置き、 手を合わせてこう言いました。

「私の食い扶持は、これで終わりました」

「おばあちゃん…、何言ってるのよ!」

Rさんは、さっき見た黒い液体のことが頭の片隅に残っていましたが、 おばあさんのそんな一言を冗談として受け流しました。

 

翌朝、おばあさんは寝床の中で亡くなっていたそうです。

bottom of page