2000年6月1日開設 海のアトリエはチェリーのお人形と絵のサイトです
第101〜第147話
101■ 事故の顛末
■MP :2001年7月9日<月>
私のここに記するお話は10年程前にある同人誌に投稿した実話の抜粋です。
掲載時は全て実際の団体名・実名を出していましたが、インターネットという 環境を鑑みて全て仮名・伏字にさせていただきます。
なお、この事故は当時、新聞マスコミにも報道されましたので、年配の方は 記憶されておられるかもしれません。
私の母の友人で、実際その場に居合わせた方のお話も参考にしています。
ある地方都市で興業している劇団でのお話です。
そのときの公演は、時代物の「淀○」とメルヘンタッチの「○の中の○○たち」 というショーの2本立てだった。
三月二十六日に初演の幕が開き、一週間が経とうとしていた。
舞台は華やかな中にも順調に進行し、2部のショーの半ば、場面はひとりの 娘役が、セリを使って舞台に登場しようとするところだった。
セリとは舞台のギミックのひとつで「せりあがり」といい、舞台下の「奈落」から 俳優を乗せて持ち上げる仕掛けだ。
娘役の名は博美。
入団5年目。 そのとき彼女は足首まで隠れるふっくらしたスカートを身に付けていた。
当時、スカートを膨らませるためには、針金を輪にして同心円状に着物に 縫い付けていた。 丸い提灯の上半分を想像してもらえばいい。
提灯のてっぺんが腰の位置に くるわけだ。
この針金の一本が、セリを作動させるギアのひとつに引っ掛り、巻き込まれ だしたのだ。
博美は舞台に上がりかけていたが、スカートが引っ張られるのに気がつき、 なんとかして外そうとした。
しかし奈落の歯車はギリギリと針金を巻き取り 続け、セリは上昇を続けた………博美を乗せたまま。
……凄まじい悲鳴で、観客たちは総立ちになった。
一体何が起こったのか、すぐには理解できなかったという。
舞台に目を移すと、今まさにセリが上がって来ようとするところだ。 セリの上には一人の娘役が突っ伏してもがいている。
人間のものとは思えない凄絶な悲鳴は、その娘役の口から発せられている ものだという事に観客は気がついた。
セリを遠隔操作していた係員も、やっと異常に気付いたのか、装置を逆転させた。
もう一人の係員は、奈落まで駆け下りてセリの下で博美を待ち受けていた。
……徐々にセリが降りてくる……セリの上面が舞台下に現れた。
そのわずかな隙間から博美が両手を広げるようにして彼に抱きついてきた。
彼は一瞬“ああ、よかった、助かった!”と思ったという。
しかし彼が博美を抱きとめてセリから引き下ろそうとした時、彼が抱いているのは 博美の上半身だけであることに気が付いた…。
セリと舞台の隙間に巻き込まれていった針金の輪が徐々に絞られていき、 か細い博美の胴をゆっくりと切断していったのだ。
当時の観客の一人は三十年経った今も、あの博美の断末魔の悲鳴が耳に 残っているという。
悲劇性を強めたのは、彼女が本役ではなく、代役だったということだ。
病気で入院していた本役の団員は、事故の報を聞いて“本当は私が死ぬ はずだったのに…”と死んでいった友を思って半狂乱になったという。
十日後の四月十一日、博美の劇団葬が出身校である音楽学校で執り行われた。
博美の亡霊が奈落に出るという噂が流れ出したのはそれから間もなくの事 だった。
出番を待って奈落のセリの側に立っていると、前方の暗がりに彼女が現れて 笑いかけてくるというのだ。
この幽霊談は現在も劇団に語り継がれている。
ただし亡霊に笑いかけられた団員は必ずトップスターになれると言われて いるので、密かに会いたがっている団員もいるらしい。
しかし、この劇場ももうすぐ移転して、新しく建て直されるという。
博美の亡霊も、六十年の劇場の歴史の中に消え去っていくのだろうか。
102■ 教会になった家と因縁
■ちづる :2001年7月10日<火>
103■ 古い住人
■のえる :2001年7月10日<火>
ココに越してくる前、家を探していた時に、一軒家でかなり広くて 交通の便も良い、言う事ない物件が見つかったのですが その家に入った瞬間、何か煙ってるんです。 家の中に、もやがかかってる感じがしたんです、西日のあたった家の中は なぜかセピア色で、空気が重い、
不動産屋さんが、縁側からあげてくださってので 夫婦で、玄関を見に行きました、
すると、お地蔵様のような形の石がごろごろ 夫と2人で、ココは人間の住むところではないと話し合って、転居は諦めました。
後日談なんですが、夫の会社の方がなくなってお葬式がありました。
帰ってきた夫が、ビックリした顔で、 私たちが見に行ったあの家がそのまま教会になっていたそうです。
やっぱり人間が住む所ではなかったんだねって、2人で話しました。
土地って何かあったところには、やっぱり因縁てあるのかしら・・・
また変な話で、恐縮なんですが、私たちが前に住んでたマンションは 風評では、お墓のあった場所、
確かに町の中心地で横が小学校、 なんでこんな場所に全く手付かずの更地があるのかなって不思議ではあったんですが、 そこにマンションが建つ事になって、建ち上がる前に入居の申し込みをしました。
引っ越してとても快適で、管理人さんも24時間常駐。 住人用のレストランもあったので、その頃からだが弱かった私は そこのレストランで食事をしていました。
具合があまりにも悪い時は管理人さんがお食事を部屋まで届けてくださるという、 素晴らしく居心地の良い所でしたがうちの階下で、リビングの真下のお部屋で、 一家無理心中が・・・ その前後にも何か変な事ばかり起こっていたので、恐くなって引っ越しました。
殺人や心中のある場所が、引っ越すたびにどんどん近づいてくるんです。
あの頃は、次はうち・・・?って、根拠のない不安に駆られて、 何回も転居を繰り返しました。
・・・でも、いまは健康でぴんぴんしてますから思い過ごしですね。
お陰で引越し貧乏。
昔、少しの間、大阪のマンションに住んでいたことがあります。
夜、目が覚めると、私の隣に、髪が長い40-50代くらいの女性が寝ていました。 ただ、目を閉じて横になっていました。
その女性の横顔よりも、白地に地模様の入った着物と 白い帯と帯止めがなぜだかしっかりと目に焼きついて、怖かったです。
後で古くから住んでいる人に聞いたら、
「マンションからちょっと行ったところに寺があるでしょ、このあたり一帯は昔お墓だったのよ。」 と言われました。
お寺とマンションの間には、鉄道もあるし会社も点在しているし。 都会の移りゆく様相にとまどっているのは、お墓で眠っていた人なのかもしれないと思いました。
土地や建物には、何か思いが残るのでしょうか?
私のいとこは、遠足に行った先で電車にはねられて、亡くなりました。
まだ小学生でした。
でも、その場所は、よくそういった事故が起こるそうです。
線路のそばに、花が一面に咲いていて、あの世の花畑のようだ。 ついついそれに見とれるのか。
と鉄道の関係者は言っていたそうです。
104■仏壇の鐘
■Anne:2001年7月11日<水>
私が小学6年生の時、その頃、私たち家族は「借家」に 住んでいました。
その借家はかなり古い建物で、元の持ち主は亡くなって、 甥の方が相続されて管理していました。
借家の造りは普通の借家と少し異なり、一階には二つの玄関と (表通りに面した玄関と勝手口を改良して借りたヒト用に 作られた玄関) キッチン、洗面所、トイレ、バス、そして、亡くなった、元の持ち主と その家族の、大きな写真が仏壇の上に3枚(3人)飾ってある、 すごく日当たりの悪い仏間があり、2階には私たち家族が 使っている、6畳と8畳の二間の他に、亡くなった、元の持ち主と その家族の遺品をまとめて置いてある3畳間がありました。
ある日、私がお風呂に入っていると、母が何かのことで私に 叱責に来ました。
私もその頃は、思春期にさしかかっており、母と強い言い争いに ・・・。
お互い強い言葉の応酬をしている最中、『チ~~ン・・・・』と 誰もいないはずの仏間から鐘の音が・・・・。
私は思わず、心の中で「ヒェ~~~!!」と叫び、背筋が寒くなって、 母との言い争いどころではなく、慌ててお風呂を上がり、2階は 逃げ込みました。
その後、後日、母にあの時、鐘の音がしなかったか、尋ねましたが、 母には聞こえなかったそうです。
私の空耳かと思いましたが、じつはその後、もう一回、私がお風呂に 入っているときに鐘の音を聞きました。
(;~_~A 今はその借家は取り壊されて、もうありません。 ただ、なぜ、私にだけ聞こえたのか、不思議です。
105■ 出雲大社の雨
■Anne:2001年7月11日<火>
1998年の10月、私と女友達が出雲大社に行きました。
その年、友人は交通事故続きで、どこかでお祓いをしたいと いうことで、それなら、いっそのこと、大きな神社でお祓いを しようという話になり、日帰りで出雲大社に参拝に出かけました。
朝の8時ごろ出発して、出雲大社に到着したのはお昼の 12時を過ぎ、私と友人は参拝する前に近所の蕎麦屋で お昼を済ませ、ついでにお土産を購入して、それから 参拝に行きました。
その日は秋晴れのとてもよい天気で、私と友人は、 まず大鳥居からまっすぐ拝殿に行き、拝殿で拝礼してから、 うちの母が持たせてくれた何枚もの5円玉を拝殿の注連縄に 投げ込み、そのあと、本殿の正面にある八足門に行って、 再度拝礼しました。
そのあと、八足門のそばにある、御守所でおみくじを引いて、 お守りやお札を購入しました。
そして、御守所の真向かいにある社殿で、出雲大社の 茅葺屋根の葺き替えの寄付が一口千円の張り紙があったので、 そこでとりあえず、私は一口だけ寄付をして、さあ、帰ろうと、 そこから6~7歩、歩いた時、突然、土砂降りの雨が・・・・。
すばらしい秋晴れのお天気がウソのように、ものすごい勢いで 雨が降り出し、走って駐車場まで行けるような状態では無かったので、 (もし、そのとき、傘を持っていても使えないくらいの土砂降りでした。) 参拝に来ていたヒト達も私たちもすぐ近くの寄付を した社殿の脇の軒下に避難して、雨の勢いが和らぐのを待つしか ありませんでした。
その社殿の軒下に避難して、まもなく、若い宮司さんが軒下の近くに 来て、こちらの方を伺いながら、「○○原さ~ん、○○原○美さ~ん」と 私の名前を呼んでいるのです。
思わず、「え!??、なんだろう???」と心の中で思いながら、 「はい??」と返事をして、私は若い宮司さんの方に近づくと、
「お財布、忘れてますよ!」と若い宮司さんから言われて、 唖然としました。( ̄□ ̄;) 私はお財布を寄付の社殿に忘れていたことに全然気が付いて いなかったので、もし、すごい勢いの土砂降りの雨が降らないで、 あのまま車に乗って帰っていたら、・・・。(;~_~A その後、すごい勢いの土砂降りの雨は、数分で上がって しまい、また、すばらしい秋晴れの天気に戻りました。
後から何度繰り返し考えても、このときの偶然はすごく不思議な気が します。 あんなに都合よく、すごい勢いの土砂降りの雨が降るなんて・・・。
私はこの出来事で、人智では図り知れない存在を強く感じました。
106■ 押入れ、トイレ、お風呂の爺さん
■キララ:2001年7月15日<日>
学先日から、ちょっとだけ恐くなって数珠を身に付けようと思ったのに その数珠が何処かへ行ってしまって、見あたらなくて・・・ 近くの教会でロザリオをどっさり買い込んできて来ました。
別にカトリックの信者ではないんだけど・・・ 数珠を買いに行くと好きなデザインの物が無くて ロザリオの方が可愛くて好きだなぁ~って・・・ そんな問題じゃないって~・・・ちょっと不謹慎かも? でも、ブレスレット式のロザリオやピンクのハートやパールのもや とっても可愛いデザインであれこれ買い込んじゃいました!!!
そもそも、数珠を身に付けようと思ったのは... ある霊能者の方に家の中を霊視していただいたのですが お風呂場とトイレ、押入におじいさんの霊が居たんです~!!!
みんなそれぞれ別の霊でしたが、身内ではありませんでした...。
お風呂場の霊は結構居座るタイプの霊だったようですが トイレと押入は通りすがりのような、風通しを良くすれば自然に出ていく霊のようでした。
私は今まで恐いと感じたことがなかったので、 たいした悪さをする悪霊ではなかったのだろうと思います...。
トイレはお姑さんの部屋の隣にある家の中で2つ目のトイレなのですが 方角が鬼門にあるため悪い気が溜まりやすいのだろうと思います。
盛塩をするように勧められました。 押入もお姑さんのお部屋...、随分昔にお舅さんが亡くなっているので お姑さん目当てに他人のおじいさんが寄ってくるのかしら???(笑)
お風呂のおじいさんは、子供が好きでそこにやって来てしまったらしいのです。
勿論、霊能者の方の力をお借りして出て行って貰いました・・・。
そんなことがあって、ちょっぴり恐くなった今日この頃...。 お人形を飾っている部屋は、さすがに霊は寄りつけないらしいです~。
霊以上に強い魂を持っているらしい...うぅ~~ん...。
107■ お人形の気持ち
■キララ:2001年7月14日<土>
うちの子達はこの前までは、「どすこいちゃん」に「でっぷりちゃん」1号、2号....
ろくな名前をつけてなかったんですが・・・ 最近ちゃんと名前が決まったんです!!!
...と、言うよりお人形達から本人の名前を聞いたんですよ!!!
あぁ~~~~っ、とうとう頭が壊れたって思われるでしょうが...
あることがきっかけで、霊能者の方とお知り合いになったんです。
その方もお人形を愛する方で、私のお人形達に会って貰ったんです。
そしたら・・・なんと!!! お人形達と会話が出来るらしくて、ビックリです!!!
どすこいちゃんは「アレキサンドラ」というお名前でした。 これは失礼しましたぁ~~~~~って、感じです(笑)。
でっぷりちゃんは「アイネ」と言う可愛いお名前がありました。
他には、「アン」「エリー」「ソフィー」... 「カーヤ」というテディベアーもいましたよ!!!
ソフィーとカーヤは家に来てからお友達になったのだそうです♪
お人形にはそれぞれ名前があることがわかりました。
それは、最初のオーナーかそれ以降のオナーが名付けた名前なのか お人形自身の希望する名前なのかわかりませんが...。
私とお人形だけしか知らないことをズバリと言い当てられて これはもう~~信じるしかないって感じでしたね~~。
その方には、お人形の過去が見えているらしいのです!!!
* * * 「ソフィー」と名乗る子が、私のお友達はカーヤだと主張しました。
カーヤはどの子??? ...と、探していくとテディベアだということが判明。
そう言えば、数日前まではソフィーとカーヤは確かに仲良く並んで ソファーに座らせていたのです・・・。
きっと彼女たちは意思の疎通が出来、お友達になっていたのでしょうね。
「アレキサンドラ」と名乗る子は、毛のある動物は嫌いだと主張。 素敵なドレスが汚れるからだそうです・・・。
確かに彼女はオリジナルの素晴らしいドレスを着ています。 動物より綺麗な物が好きなんですって~!
レースのお洋服を着た小さい子が好きだと言うのです・・・。 確かにね...、
数日前までレースのベビードレスを着た小さなベビーを 彼女の近くに座らせていました。その子の事を言っていたのです・・・。
「アイネ」と名乗る子は、自分はドイツ人なのだと主張。 ボディはフランスだけれど、確かにヘッドはドイツ製・・・。
彼女の意識の中では自分はドイツ人なのですね~。 そして、右腕の付け根が痛かったことを教えてくれたのです。
そうですね...、ドレスで隠れて見えない右腕の付け根部分が修理してあること それはその時、彼女と私しか知らないことでした・・・。
作家さんから直接購入した現代のお人形はどうなのでしょう?
私は彼女に「リデル」と名付けていました。でも、一度も声に出して そう呼んでみたことはなかったのですが・・・
彼女は「キララ」と答えたそうです!(それって、私だよ・・・) 霊能者の方がキララという名前を知るはずもないのに・・・。
お人形の中で、指を指されたことに対して凄く機嫌を悪くした子がいました。
やっぱり人間と同じ、指さされるとあまりよい気持ちはしないですものね・・・。
前半はキララ様が、テテ様の「時のないホテル」のBBSに 書き込まれた文章から編集いたしました。
キララ様、テテ様ありがとうございました。 管理人
108■ 気になる事
■チェリー :2000年7月15日<日>
偶然が重なるというのは怖いですね、
私の家のある通りは袋小路の両側に家が14軒あります。 そのうち1軒は10年ほど前に空家になってしまい今は更地で、 13の所帯が1区画です。
ところが、この狭い範囲の中で、ここ数年間のお葬式が9回。 しかも、そのうち7回は2年位の間に集中しています。
ご近所はお年寄が多いのですが、それにしても多過ぎで、お葬式が、 3日と空けないで続いた事もあります。
通りの一番端、家の方からみて左が夫婦ともに亡くなられて空家、 向かい側の右側は、お葬式の回数に数えていないのですが、 私が越してくる前に40代の奥さんが亡くなられて、ご主人は再婚して 引っ越して行かれ、今は建替えられて新しい住人がいます。
その隣が更地、そのまた隣が一人暮しのおばあちゃんが亡くなられて空家、 その隣は90近いお母さんと60代の息子さんがあいついで亡くなられ 今は奥さんと猫が住む家、 その隣は娘夫婦が離婚して旦那さんは出て行ってしまい、 60代のおばあちゃんも急死されて、お母さんと息子さんとおじいさんが住んでいます。
そして道が1本横に走って、道を置いて我が家があります。 この道のせいか(?)今のところ我が家から先には何もありません。
我が家の向かい側の家並みの、夫婦ともに亡くなられた空家の隣には 大きな家があったのですが、借金の返済に困って3年程前に引っ越されて そのあとに新しく3軒の家が建ちました。
この新しい3軒にはお葬式などは出ていませんが、一番空家よりの家に引っ越して来た 中年過ぎの夫婦はすぐ離婚してしまって、現在、奥さんの1人住まいです。
家を飛び越して、その奥に並んだだ3軒の家では、おじいちゃんがそれぞれ亡くなられています。
60代のお二人を除けばみなさんご高齢で、亡くなられるのは不自然な事ではないのですが あまりに不幸が続くと、ちょっと、気になったりします。
人の世は変わり易く、人の命も、はかないということでしょうか。
追記 15年たってしまって2016年となりました。家の母を含め、残っていた6人の年寄りは、ただ1人を残して全員彼岸に渡ってしまいました。長い目で見れば特に住人の寿命が短いという事も葬式が多いという事もないのですが、やはり、文章を書いた頃は妙にお葬式が集中していたなあという印象です。
109■ 死神の歩く歩く街
■MP:2000年7月16日<月>
これはかなり有名な話なんですが、昭和49年3月から翌年5月までの1年程の間に、 東京都○区神○二丁目30番地から32番地にかけての、わずか50mほどの路地の 一角で、10軒のうち7軒が葬式を出した話があります。
チェリーさんのご近所の話も、この話に匹敵する凄さですね。 ちょっと詳しく書きますと、
①3月17日:路地の左側にある一軒で、おばあさん(83)が老衰で死亡。
②4月3日:その左隣の家のおじいさん(91)が老衰で死亡。
③7月4日:①の一軒おいた右隣の家の男性(32)が交通事故死。
④12月:さらに右隣の家の男性(30)が登山に行き転落死。 旅行の直前まで、近所の人に
「今度はお宅の番だから気をつけて」と忠告されて いたのに…
この家の右隣は…道路だった。
これで終わったと近所の人たちは思ったそうな。 ところが…年明け早々、死神は細い路地を挟んで向かい側へ飛んだ!
⑤1月1日:①の家の真向かいに住むおじいさん(76)が老衰で死亡。
⑥1月4日:その左隣の家のおじいさん(70)が老衰で死亡。
⑦5月22日:そのまた左隣の家の男性(22)が交通事故死。 まさに1年を通してこの路地は、線香の香りと読経が絶えなかったという…。
その後「次の順番」に当たっていた?おじいさん(71)は階段を踏み外して転落、 何箇所も骨折して歩けなくなったとか。 70歳代で老衰って、ちょっと早いと思いますけどね。ほかに死因があったのでは。 どうもこのあたりは戦時中の因縁話がある地区らしいんですが、
それを書き出すと 長くなりますので……。
110■ どこかへ行く船
■プチりえ:2001年7月20日<金>
こんにちは 皆さんの恐怖体験を読みながら
「う~ん 仲間に入りたいけど・・何も無いなあ・・」と思っていました。 が・・!!
そう言えばありました。
私の父が聞いたお話なんですが(祖母のお話です) 今の住んでいる家は 私が高校生の頃に引っ越してきたところです。
それまで 長年住み慣れた古い家と土地を離れて今のところに 越してきたばかりの時はよかったのですが、
車に乗れない祖母にとって 移動手段はバスだけ、 しかも1日に2~3本しか行き来をしないので 外出もめったにすることがなかったのです。
「女は家にいるもの」と言う古い考えの人だったのでなおさらでした。
昼間は当然 家族は学校と仕事、 孤独な祖母は 次第とボケていきました。
私たちのいない昼間は 祖父がずっと面倒をみていたのですが・・
ある日いつもより早く父が帰宅すると 外になど出るはずのない祖母が玄関に 立っていたそうです。
しかも 外出着をきて普段はしないお化粧をして指には取って置きの指輪 までして・・ 父が
「お母さん 何をしてるの?」とビックリしてきくと 祖母は空をみあげながら
「ああ・・あそこに船がきているから 待っているのよ ・・ほら みんな沢山乗っているでしょ・・」
父は また・・と思い、嫌がる祖母を家の中に入れたそうですが、 その後も 何度かその船を追って祖母が突然外に出たりすることがありました 。
祖母は「船」のことで頭がいっぱいだったみたいです。
この時期からあまり経たないで 祖母は旅立って行きました。
その頃は 私の家の周辺はすごく沢山お葬式がつづきました。
きっとあの頃の祖母には確かに船とその乗客が見えたのだと 思います。
父に言った「大きな船」に祖母ものったのでしょうね。
111■112■
■のんたろ :2000年7月31日<火>
私はかつて2度、幽霊なるモノを目撃した事があります。 今回はその体験談をお話したいと思います。
■歩き回る足
私がまだ高校生の頃、イヌの散歩から帰って来ると玄関先で白い足がウロウロして いました。
この日はちょうどお盆の入りで、時間は夜の9時頃でした。
その足はスラックスに革靴で、膝から下だけの足がウロウロ歩き回っていたのです。
だから最初見た時はセールスマンがウチに訪問アタックしようか、迷っているのかと 思いました(笑)。
でも近くまで来ると足は膝から下の部分だけ………。
イヌもボー然と見ていました(イヌは普通、霊に向かって吠えると言われているのに …(笑))。
そして目の前からスーッと消えたのです。
帰宅後、母にその事を話すと、当然のように
「そりゃ、じーちゃんが帰ってきたのよ。お盆の入りだもの」と言い放ちました。
まぁ…多分そうだったのでしょう。 お盆は本当にご先祖様が帰ってくるんだなぁ…と実感した出来事でした。
■微笑む美女
これは10年程前の事です。
友人3人と鹿児島へ遊びに行き、飲み会のあとカラオケに行きました。
歌い、遊んで時間は夜中の2時半…そう、草木も眠る丑三つ時……。
10室しかない小さなカラオケ屋には、既に客は私達だけでした。
熱唱する友人2人を部屋に残してトイレに立った私は、眠気もふっ飛ぶ、異形なもの を目にしました。
私達の3つ隣のカラオケルームのドアガラスにカチューシャをした髪の長い、若い女 の人が にぃ~っと微笑んで写っていたのです。
「えっ…」と思い、よ~く見るとその部屋は真っ暗。
なのに女の人の顔だけがボーッ と浮かび上がるように 写っていたのです。
しかも絶対に見えるはずがない、不自然な位置から見えました。
「見ちゃいけない!」と、とっさに思った私はトイレに立った事も忘れ、走って部屋 に戻りました。
その後、何度考えてもあれは霊だったとしか思えないのです。
写っていたドアガラスの位置から言って、女の人が中腰で、しかもまっすぐに胸をはっ て、立ったように ガラスに微笑むと言うのも変だし、第一、その部屋は真っ暗で、女の人の顔が写る事 も不可能。
そして実際、女の人の背景も真っ暗でした。 今でもその女の人の顔ははっきりと思い出せます。
それはそれは無気味な微笑みでした。
服は青と白のストライプ柄、ほっそりとした細面の顔、微笑んだ頬の肉が盛り上がっ て三日月型になった 両目、かすかに釣り上がった口の端……
あの女性は今でもあのカラオケルームで微笑んでいるのでしょうか…?
113■呪いのビデオ
■きずら :2001年8月3日<金>
さて日曜日から夏風邪で倒れていた私なのですが、
丁度その日、レンタルビデオ屋さんで 借りた「呪いのビデオ2」と「稲川淳二の恐怖劇場」の2本を見た後、ものすごく眠気に 襲われて部屋の片づけを諦めて寝てしまったんです。(怖い夢は見ませんでした^^;) で、夕方起きてからそれまで元気だったのに、身体の節々が痛くなり案の定夜には熱が 38度まで上がり、解熱剤で熱は下がったものの胃の方にきて翌日も起きていられませんでした。
「呪いのビデオ」というのは心霊写真のビデオ版というか 一般の人からの投稿を集めたシリーズもので、その巻の一押し投稿ビデオが撮影した人が失そう、 ビデオを見た人(撮影者の弟さんが高熱を出す、友人が事故にあう、 ダビングしたものをみた人の視力が低下する等)に災いがあったというくだりです。
ビデオの内容はビデオを撮影した男性とその彼女が旅行しているものなのですが 電車に乗った際の彼女を撮していて、窓の写り込みにいないはずの人(作業服姿の男性)が 写っていたというものなんです。
この問題の映像が流れる前、映像を見るも見ないもあなたの自由(判断にまかせます) というようなテロップが流れまして…。
(で、見ちゃッたんだなぁ~、ワタシ。)
稲川さんの方は幼い時荒れた洋館で恐怖体験した兄妹の話で、ドラマ仕立てだし そんなに怖くなかったです。
偶然かも知れないですけど、見た後すぐ熱がでて寝込んだので…。 ゲンが悪いので月曜日主人に返却してもらいました。
「もう呪いのビデオなんか、借りてくるな!」と怒られました。^^;
その時私も深く反省したのですが、喉元すぎればなんとやらで 「稲川淳二さんの生き人形のビデオ見たいなぁー」なんて。
(でも、木曜日のお昼のワイドショーで稲川さんがゲスト出演してる番組で 視聴者の投稿に「「生き人形」の本を読んだ後から不幸続きです」というのがあって…。 ああ、でも内容が知りたい~~。おバカな人間です。)
114■網走監獄博物館で撮れた写真
■チェリー :2000年8月8日<木>
7月31日から8月2日まで、北海道に旅行に行ってまいりました。 釧路空港に降り立ち、女満別空港から帰る、道東の旅は快適でした。
さて、旅行土産です。
8月1日に立ち寄った網走監獄博物館では、明治45年に作られ昭和59年9月まで実際に使用されてい獄舎を移築して公開しています。
古びた木造の獄舎は、鬼気迫るものがあり、写真はこれ1枚しか撮りませんでした。
この長い煉瓦の廊下にあるドアの一つ一つが獄房です。
獄房の中には入って見学できる部屋もありましたが、私はとても入る事ができませんでした。
刑期を終え、シャバに出る日を待ちながら、望み叶わず、この酷寒の地で無念の死を遂げた受刑者達の怨念が渦巻いている気がしたからです。
右側の壁をご覧下さい。窓の上に白い玉のようなものが写っています。 ドアの上から尾を引いて飛んで移動しているように見えます。
窓の左下さらに、床にも・・・
よく見るともっとあちこちに・・・
丸いものが写りこんでいます。
オーブと言って霊魂の姿だと、
さっき見たTVで解説をしていました。
TVにはこれと、とても良く似たものが
ビデオ画像に写っていました.
さてこれは一体・・・・。
(因みに廊下に立っている人影は見学者
右側の窓の奥にも人がいるような・・・
いや、気のせいでしょう・・・
娘の中学時代からの仲良しに、Sちゃんというお嬢さんがいます。
Sちゃんは、先日お葬式の帰りに 雨の中に浮かび上がるようにボーッと白く浮かび上がる女性の人影を見ました。
目が悪いので、薄暗い中で離れた人など見える筈がないのに、人でないものはなぜか、はっきり見えるのだそうです。
その、Sちゃんが 「どうも、うちはおかしい」 と前々から言っていました。
家の中に足音や気配があるというのです。
2階の部屋で夜中に一人起きて、落書きをしていたら(彼女はイラストが上手です)、 階段を、ダダダと駆け上がってくる足音がして、Sちゃんの部屋の前でとまったそうです。
お兄ちゃんが何か用があって登ってきたのかと思い、ドアをあけて見ても誰もおらず 彼女も眠かったので、そのまま机に戻らずベットに転がって眠ってしまったそうです。
翌朝目が覚めて、「ああ、全部、夢だったんだ」と思ったと言いますが、 机にはその時描いていた落書きが残っていて、
「夢じゃなかった」と知ったそうです。
そんな、彼女の家に、中学卒業の春休み(去年の春)に娘が泊まりに行く事になりました。
ご両親がご旅行なので淋しいからと、誘われたのです。
「(そんな怪奇な家に泊まって)大丈夫かな?」 と冗談を言いながら娘は出掛けて行きました。
「たいした事じゃないけど、・・・」 と、帰って来た娘はやはりあった奇妙な出来事を話してくれました。
前夜、遅くまでお喋りをして、一緒に寝たSちゃんはまだ眠っていました。
早朝、娘は階下の気配で目が覚めました。
階下で物音がして、話し声が聞こえたのだそうです。
それは中年の女性のような声で、当たり前に世間話をするような調子だったので、別段怖い感じはしなかったそうですが、
「足が動かせないのよ、全然動かせないの、」 と、しきりに言っていたそうです。
Sちゃんの家はご両親が仕事をしておられるので、お手伝いのおばちゃんが通いで来てくれていました。
娘は前夜夕食を作ってくれたその、おばちゃんの声と思い込み、その時は気にも留めていなかったそうです。
実は、おばちゃんが手伝いに来るのは夕方で、その時、階下には誰もいなかったのだそうです。
それにしても、「足が動かせない」って、どういう意味なのか・・・気になりますね。
(追記2022年1月19日)実は、Sちゃんが今はもう別の場所に引っ越してしまったからこそ言える事があります。
ご家族で引っ越されたのも、その家であんまり良い事が無かったのかもしれません。
何年も前に、立派な家に引っ越され、Sちゃんはご結婚されて、幸せに暮らしています。
引っ越されて良かったと思います。
Sちゃんの前の家は、近くにお寺があって、お寺の裏は墓地になっていました。
墓地の裏は元々は空き地になっていましたが、今は学校と住宅が出来、Sちゃんの家もその一角でした。
もしかしたら、その土地には元は墓地が広がっていたのでは?
今も人骨が残っていて、その足の骨の部分に乗って家の土台が建っていたのでは?
・・・そんな気がします。
115■おばちゃん
■管理人 :2001年9月5日<水>
116■声
■ちづる:2001年9月28日<金>
妹と言っても、弟のお嫁さんだから、私にとっては義理の妹になります
彼女は、霊がはっきり見え、声が聞こえるで、この十年ほど、昼夜逆転の 生活をずっとしていました(今は、普通の生活です)。
ある日彼女に聞こえた声
”と~~~ん・・・と~~~ん、煮しめ、と~~~ん・煮しめ”
と聞こえてきてその状態がずっと続いたそうです
私にこんな声が聞こえるんだって、話してくれたので 2人で何のことだろうね??と話していました
私の母に、また、○○チャンにこんな声が聞こえて 辛いらしいよって話をしましたら、、、
母の顔色が変わって 母の両親が、母のことを愛称で”とん"と呼んでいた事
そうして母の作る煮しめが何よりも好きで、いつも 実家帰りのときは、作っていっていたことを話してくれました
実は私は初耳でした。
祖父も祖母も、私が小さい時に 他界をしましたので、こんな話をする機会もなく、30うん年・・・
母は、早速、煮しめを作って墓参りに、それから声は聞こえなくなりました
煮しめもさることながら、墓参りに中々行けないでいたことを 母は反省していました
117■足音
■nino:2001年10月13日<土>
昔、主人の母が早世してまもなく、 子供部屋の前を行ったり来たりするサンダルの足音が聞こえてくるようになった そうです。
時間は早ければ夜9時ごろから遅い時は明け方までの間。
足音には「サッサッサッ」という普通の歩く音と 「ササッ・・・ササッ・・・ササッ」という歩き方の2種類があるそうです。
友達が一緒のときに確認のため何度か窓を開けてみると、ピタッと音は止まり、 人影もなく、ただ夜の闇が広がっているだけだったそうです。 でも、しばらくするとまた足音が聞こえてくるそうです。 どんなにひどい雨の日も、雪の日も、晴れた日と同じように足音が聞こえてくる のが 不思議だったと言っていました。
「怖くなかったの?」と聞いても
「最初は気になったけど慣れてなんとも感じなくなった」と言っていました。
私も主人の実家に行きその部屋に泊まった夜、 真夜中にふと眠りが浅くなった私の耳に ササッ・・・ササッ・・・という音が聞こえてきました。
夜のしじまを破るその音は大きく、はっきりと聞こえました。 怖くて、主人を揺り起こそうとしましたが、 寝ぼけた声で
「窓を開けると止まるから」と一言言って寝てしまい 全く起きる気配はありません。
仕方なく布団を頭から被って耳を抑えていましたが、 通常の歩き方ではない独特なリズムで歩いている音から、 力を入れて踏み込むようにして足音を出している様子が想像されてしまい、 また、そんな歩き方をする事自体も怖く感じられ、 夜が明けるまでの時間が非常に長く感じられました。 もしそれが亡くなった母親で、魂がこの世に残ることがあるならば・・・ まだまだ母親を必要とする年齢の子を残して、 困っている姿を見たとしても手を差し伸べられないというのはどんなに辛い事だ ろうと あの足音を思い出す度、思いめぐらせてしまいます。
実家を出た後も帰れば足音は聞こえていたそうですし、 今はもう誰もいない部屋の周りを今日も歩く足音が響いているのかもしれません。
118■不思議な出来事シリーズ その1
■ユリ:2001年10月20日<土>
私も7年前から3年間住んでいたマンションでちょっと変な経験をしたんですよ。
皆さんのような詳しい体験ではないのですが、部屋に飾っている鉢花はすぐに枯れてしまうし、
切り花は2日くらいでドライフラワーのようになるんです。はははは。
おまけにいつも部屋の天井のすみっこから誰かに見られているような気がして・・・
ダンナさんは全然感じなかったらしいのですが、私はどうも嫌~な感じ。
そこに住んでからなぜか仕事はトラブル続き、私達もすごいケンカばかりするようになり離婚寸前。
あまりにひどいのでその筋のある方にみてもらったんです。
我が家にやって来たその方は、
「これはひどい・・・」としばし絶句。
結局すぐに引っ越しなさいということであわただしく転居しました。 すると
「うっそーーー!!」というくらいケンカもしなければ、仕事もなんとか落ち着いて、 その3年後に今のマンションにまた引っ越して来たのです。
その方のおっしゃったことはまた今度お話ししたいと思います。 実はそのマンションのすぐ裏が「お墓」なんです。
そのお墓のむこうには大きな公園があるんですけど、 のちに聞いた話では、そこの公園のあたりが昔、凄まじい戦場だったそうです。
そう考えると、変なことも起こるべくして起こっていたのかも・・・
それにあのマンションでの不思議な出来事はまだあるんですよぉw(゚o゚)w おまけに我が家だけじゃないんですから・・・
ははははは(-_-;) ではまたその話も今度書きますね。 ではでは。
不思議なできごとシリーズ 119■お隣さんの場合
あのマンションでの3年間、ホントいろいろありました・・・
その1 そのマンションはワンフロアー2戸で上層階はワンフロアー1戸という結構いい新築マンションでした。
我が家が越してきてしばらくして、お隣さんに運送屋さんが家具を運び込みました。
どれもビニールがかけられていたので、どうやら新婚さんのようです。 ところが、いつまでたっても住人をみかけません。
うちはダンナと二人暮らしで、おまけに共働きなので昼間は留守だから 出会うときがないからかなあ・・
と思っていたのですが、全く気配もないんです。 数ヶ月たったそんなある日、お隣の玄関が開けっ放しになっているではありませんか。
ちょっと失礼して中をみたら、なんと運び入れた家具がいまだにビニールをかけられたままだったのです。
閑散とした室内。住んでる気配どころか誰も立ち入った気配すらありません。
私は「成田離婚やったりして~」などとのんきなことをいっておりました。
結局お隣には1年近く「婚礼家具」だけが住んでいたのでした。
賃貸マンションなのに、誰が家賃を払っていたのでしょうか?もったいない・・・
その後いつ家具を運び出したのかは不明ですが、不動産屋に案内された赤ちゃん連れの 若夫婦が見学に来たりしていましたが、 なぜか私達が出て行くまで誰も入居してくることはありませんでした。チャンチャン。
不思議なできごとシリーズ 120■階下の住人
■ユリ投稿日2001年10月21日<日>
あのマンションで私達の階下に住んでいたのは、夫婦と赤ちゃんが一人。
表通りから見えるベランダには、カラフルなブランコとベビーカーが置いてあり 赤ちゃんと遊ぶご夫婦のほほえましい姿。
幸せを絵に描いたような光景です。
でも入居して一年もたたないうちに、それらの姿はベランダから消え、 奥さんと赤ちゃんもブランコと共に見かけなくなりました。
かわりに真っ赤なドレスの若いお姉ちゃんを見かけるようになりました。
どうもあのマンションは幸せ嫌いのようです。
不思議なできごとシリーズ 121■不幸な偶然
あんなに不幸な偶然って信じられませんでした・・・ それはあのマンションで不気味な生活をはじめて2年が過ぎようとした頃、
いつものように仕事から帰って、夕食の片づけも終わり 朝は忙しくてできなかった洗濯物をお隣側のベランダに干して 部屋に入ったときでした。
誰かが大きな声で狂ったように叫んでいるのが聞こえました。
何ごとかとダンナさんとベランダに出てみると どうやらお隣のマンションのベランダから子供が落ちたらしく 父親が
「なんでやー!!○○!!」と息子の名前を呼びながら 「救急車!救急車を呼んでくれ!!」と辺り一帯に響くような大声で叫んでいました。
それが事故なのか自殺なのかは・・・・。 すぐにその声を聞きつけた住民達が
「お医者さんはいませんかー」「早く救急車をー!!」などと叫んで騒然としていました。
我が家には2ヶ所ベランダがあり、一方は「お墓」側、もう一方のベランダは お隣のベランダと向かい合わせにあり、双方のマンションの間にある 庭の植え込みに落ちたらしいのです。
つまり私はあと少し長く洗濯物を干していたら その子が落ちていく姿を「目撃」していたかもしれないのです。
そうこうしているうちにサイレンを鳴らしながら救急車がやってきました。
「さすが救急車、来るのが早いなぁー」と感心して部屋にもどろうとしたら
「どこ行くんや!!こっちこっち!!」と怒鳴り声。 「何だ?!」とまたまたベランダへ。 すると救急隊員が
「こちらで倒れた人がいて呼ばれたんです!!」と。 “こちら”というのが私の住んでいるマンションのことで、 どうやら上階に住んでいる婦人が突然倒れ、家族が救急車を呼んだらしいのです。 「どうしたんですか?」「子供が落ちたんや!」
「えっ?!ちょっと待って下さい!」「早くみてくれ!!」
なんという偶然でしょうか・・・。 いま救急隊員の前に「突然倒れて意識のない人」と「ベランダから落ちた子供」が 同時に助けを求めているのです。どちらも一刻を争う事態。
「いいからちょっとこっちもみてくれ!!」と必死出叫ぶ子供側。
「早く病院へ行って下さい!!と隊員に詰め寄る婦人側。
結局「すぐに他の救急車が来ますから!!」と隊員が叫び、 救急車はその婦人を乗せてまたサイレンを鳴らして行ってしまいました。
しはらくしてやってきた救急車が子供を乗せて病院へと消えていきました。
2日後、隣のマンションでお通夜がありました。 なんともいえない不幸な偶然でした。
不思議なできごとシリーズ122 ■幸せ嫌い
こうして振り返ると本当にあのマンションは私には「不気味」なマンションでした。
あのマンションの上層階、つまり広くて高額家賃の部屋に テレビでCMもしていたAという会社の社長の息子で その会社の重役をしている人が住んでいました。
「さすがお坊ちゃまはちがうねぇ~」などと 育ちの違いを妙にひがんでいた私。 お坊ちゃまは、奥さまとまだ小さいお子さまとの3人暮らし。 これまた絵に描いたような幸せな家庭だったことでしょう・・・。
「だった・・・」 そう、過去形なのに気づきました? 実は私達があわてて他に移り住んで穏やかな生活を取り戻していた頃、 まさに
「うそー!!」と思わず声をあげる記事が夕刊に載っていました。
それはなんと、お坊ちゃまの会社が「会社更生法申請」と 太字で書かれているではありませんか! その記事を目にしたとき私は
「やっぱりあのマンションは幸せ嫌いなんだ」と しんみりしてしまいました。
ところで、どうして私が一部の住民のことを詳しく知っていたかって? それはある日私が帰宅すると、エレベーターの前に一枚の紙が。
なんだろう・・・と拾い上げると 「入居人申請」とかなんとか(忘れました)で 要するに「この部屋には誰々が住みます」という契約の申請書。
だからその部屋の家族全員の名前や勤務先や年齢が書かれていたのです。
ではなぜその人がお坊ちゃまだとわかったのか? それは「名字」と「勤務先」です。へへへ。
どうやらエレベーター横の管理人室に届けに来たものがなんらかの不運で私の目にとまることとなったのでした。
お坊ちゃまの家族は、その後どうしているのでしょう・・・
たぶんあのマンションを出ることになったのでしょうが、 かえって「幸せ」になっているのかも・・・
なにせ「幸せ嫌い」から解放されたのですから。
不思議な出来事シリーズ123■催促する母
■ユリ:2001年10月24日<水>
私の母は今から13年前に「あの世」に旅立ちました。
13年前といえば平成元年。 今は亡き小渕さんの「平成」お披露目会見もなつかしい、 そう、昭和から平成に変わった年です。
昭和天皇が亡くなった日が私の父の誕生日で、 そのお葬式にあたる「大喪の礼」が母の誕生日。
これも妙な気分になるのですが、 もっと妙なのはその年の冬に亡くなったこの「母」なのです。
お葬式で疲れた晩、その母の夢を見ました。 それはとてもリアルに「母が生きている」と感じる夢でした。
あまりにリアルで、目覚めてからも変な感覚にとらわれた私は 兄に昨晩の妙な夢の話をしました。
すると、 「オレも見た、その夢」「ええっ?!」 なんと兄も同じ夢を見たというのです。
やはり子供としてあまりにも受け止めがたい事実にこんな夢を見たのでしょう。
今思えば、これが最初の「母の夢」だったのです。
一周忌が過ぎ、三回忌を終えた春、久しぶりに「母」の夢を見ました。
これが第二の母の夢です。
この時はまだ母を失った悲しみを克服できずにいたので むしろ夢とはいえ母に会えて嬉しかったほどです。
「きのうお母さんの夢を見たわ」と翌朝ダンナさんに話しました。
「お参りに来てほしいんとちゃうかぁ」「そうかなぁ・・・」 その後、しばらく母は私の夢に現れませんでした。
七回忌も過ぎた頃にはお盆とお正月にお参りするぐらいで 休日になるとゴルフに出かけていました。
ちょうどそんな頃、再び母が夢に出てきた。 思えばこれが母の「催促」のはじまりだったのです。
「きのうお母さんの夢をみたわ」とまたダンナさんに話した。 そういえばもう春のお彼岸。すっかり忘れていた。
「お参りにいこか」ということで母に会いに行きました。
「おかあさん、来たよ~」と遺影に声をかけました。 それからしばらくしてまた母が夢に現れました。
そういえば明日から秋のお彼岸。
また忘れてた・・・ あれ?そういうことなの?
「へえへえ、おかあちゃん来ましたで」と好物の和菓子をお供えしました。
そうなのです。母はお彼岸前になると現れるのです。
これっていったいどうなっているのでしょうか? 一刻も早い「夢の解明!」を待ちわびる今日この頃です。
来月には13回忌。
ちょっとじっくり「話し合い」をしてこなくては・・・。
不思議な出来事シリーズ124■人の縁の不思議
■ユリ:2001年10月25日<木>
不思議なできごとから救って下さった「その筋のある方」のお話です。
この方のお話は多分何回かにわけることとなると思いますが・・・
人との縁って何でしょう? 毎日挨拶をするだけの人、 一度の出会いで一生お付き合いする人。
何がそうさせるのでしょうか? 私はダンナさんと何で「結婚」までしたのかなぁ・・・と ふと思うことがありました。
第一印象も良くなかったし、年も一回り以上離れているし・・・。
でもそれはなにか目に見えない感じることもできない力で そうなるようになっていたのだと観念したのは する気のなかった「披露宴」でのこと。
ダンナさんの両親はすでに亡く、長男の方が両親代わり。
そんな長男の方と、私の田舎のおじが挨拶して雑談していると なんとお互いが同じお寺の檀家で、すでに電話で話もしていたことが判明。
お互い親の出身地が同じ県で、わりと近いところだとは知っていましたが まさか同じお寺の檀家だなんて・・・。
もうご先祖様からの「縁」だったのなら抵抗のしようがありません。
それから6年後にあのマンションのことでお世話になった その筋のあの方とはじめてお会いしたとき、
「ご主人のご先祖様は奥さんと結婚できてすごく喜んでおられますよ」 と言われたのです。
おまけに 「奥さんのご先祖様にも感謝されていますよ」とまで言われました。
こうなるともう逃げようがありません。
だってご先祖様に逆らうほど私は不信心ではありませんから。
でも何で私が相手で喜んでいるのか、そこが知りたい・・・。
125〜127■不思議な出来事シリーズ
■ユリ:2001年10月25日<木>
125■神様の声
よくテレビなどでは「霊能者」や「陰陽師」などが目にみえないものたちと交流し、 苦しんでいる人々を救っている様子が紹介されています。
私が体験したあのマンションの不気味さから救って下さった方は 「霊能者」と言っていいのかどうかわかりませんが その方曰く「神様」とお話が出来るそうなのです。
私達が初めてお会いしたとき、名前と生年月日、住所を書きなさいと言われました。
すると「裏にお墓があるでしょう、それが原因です」ときっぱり。
どうして裏にお墓があることなどわかるのかとお聞きすると 「今見てきました」とのこと。
なんでも神様はあっという間にその住所の所へ行き、 そしてそれをその方にお話しされるそうです。
「へぇー」と驚きと疑念の入り交じった声をあげました。
「全ての原因はこのお墓にありますよ」と言われ、 そのあとは私達夫婦の性格やら、ご先祖様の話やらをされました。
それから週に一度決まった曜日にお訪ねし、いろいろとお話を聞きました。 そしていつも「お言葉」をもらって帰りました。
その「お言葉」とは、神様がおっしゃられたことを聞きながら、 その方が筆でスラスラと書かれたものでした。
ありがたく頂戴するものの、なにせ神様のお言葉なので 判読するのが難しく、解釈するのに苦労することもしばしばでした。
そんなある日、仕事上のトラブルである会社の支払に困っていたところ その方が
「安心しなさい、もうそこに支払う必要はなくなりますから」と おっしゃられたのです。
その時はどういう意味かわかりませんでしたが 数ヶ月後なんとその会社は突然「倒産」してしまったのです。
しかも社内でいろいろあったらしく、結局こちらからの支払はなくなりました。
「神様ってすごい。」このときから私のなかの疑念は消えました。
126■強い人、弱い人
あのマンションにその方が見えられたのは9月の終わり頃でした。
私達の住まいがあまりにも気になるとのことで 遠路はるばるお越しになられたのです。
ドアをあけ、リビングに入るなり部屋中をキョロキョロ。
そしてお墓のあるベランダの方をじっとみつめ、 しばらくなにやら聞き入っていました。 そしてこうおっしゃられたのです。
「悪い霊を防ぐ方法はいろいろありますけど ここはそんなことではとても無理です。今すぐ引っ越しなさい」
「ええっ!そんなにひどいんですか?!」とびっくりする私達に
「毎日裏のお墓から悪い霊がいっぱいこの部屋に入ってきています」 ひょえ~毎日、しかもいっぱい・・・
「そう、毎日夕方から翌朝の4時半ぐらいまでここにきて あなたたちの様子をのぞいてニヤニヤ笑っていますよ。 そしてあなた達の邪魔をしよう、邪魔をしよう、としています。 あなた達がうまくいくのがおもしろくないから 仕事もうまくいかないように、なにもかも全て邪魔しているんです」
そうか、やはりいつも見られている気がしていたのは、 気のせいではなく本当にみられていたのね・・・。
仕事も突然うまくいかなくなったと思ったら邪魔されてたんだ・・・ やっぱり幸せギライなんだ・・・。 「
普通こういう悪い霊が入ってこないようにお札をはったりしますが ここはそんなことではとても防ぐことが出来ません。
私が毎日ここへ来て御祓いをしてお札をはればどうにかなるかもしれませんが やはりあなた達はここを出た方がいい。
ご主人の運勢が来年から3年間悪くなるから、それまでに出なさい。 できれば11月までにはここを出なさい」
と、一刻も早く出ていくように宣告されました。
「こういうお墓のそばではこういうことがよくあるのですよ。 でも“強い人”はこういう霊の力がいいほうに働いて 仕事もなにもかもうまくいくのですが、 今のあなた達のように“弱い人”はつぶされてしまいますよ」 こんな恐ろしい話を残してその方は帰って行かれました。
強い人、弱い人って何だろう・・・とふと考えました。
きっと上層階に住んでいる、いつもいいスーツを着て ベンツのS600に乗っているあの礼儀正しい男前の人は すごく強い人なんだろうなぁと羨ましく思いました。
とりあえず、こんなことを言われて住み続けるほど強くない私達は すぐに不動産屋に駆け込み、「いい方角」と教えられた物件探しを始めました。
勿論、部屋からお墓など見えないところを。 そしてとりあえず2件のマンションを見つけました。
一つは幹線道路沿いで騒々しいけれど見晴らしはバツグン。
もう一つは古くからある閑静な住宅街でとても静かな場所の1階。
その方にこの二つの住所をお知らせすると 「一つ目の所に住むと鬼に金棒で仕事がどんどんよくなります。
二つ目の所に住むと心が落ち着きます。 今のあなた達なら非常に心がギスギスしていますから 二件目の方がいいかもしれませんよ」
とアドバイスを受けました。
そうして10月に無事閑静な住宅街に引っ越しをすませました。
それからというもの、仕事はまあまあとして心は本当に落ち着いて なんであんなにケンカしていたのか不思議なくらいでした。
でも、「鬼に金棒のほうに住んでいたら今頃左うちわかも・・・」 などと思ったりもします。
127■お墓はイヤ!
あの不気味なマンションから引っ越して3年目。 気持ちも落ち着き、快適に過ごしていた生活に少し暗い影が・・・
それまで全く嫌な気配を感じなかったのですが、 なんとなくまた見られているような気になってきたのです。
「気持ち悪いこと言うな!」とダンナさんに怒られましたが あのマンションほどではないにしろ、何となく気になる・・・。
そのマンションの裏に愉快な女将さんが開いている 小さな食料品のお店がありました。
毎日帰りに二人で買い物に行き、あれこれお喋りしていました。 ある日、私達の前のマンションでの出来事を話していたら、
「そいうえば、すぐそこのマンションは以前お墓やったところに建ててんねんで、 だから出るねん、白い服来た女の人が・・・」と教えてくれました。
そして「駅前の歯医者さんのとこにも十二単着た女の人が出るねんて。 玄関の外の電気を毎日夜中に勝手につけるねんで、気持ち悪いやろー」
と ご近所の不気味な話をしてくれました。
「アンタについてくるかもしれんでぇ~」と 前のマンションで白い影を見た私に言い放つのです。 いややなぁ~せっかくお墓のないところに来たと思ったのに・・・ お墓の上にマンション建てるなよぉ~と泣きそうな気分。
結局ダンナさんの運勢の悪い3年間をそこで過ごして、 今のところへ引っ越してきました。
ここは以前にも増して快適で、今のところ大丈夫なようです。
でも最近時々ワンコが誰もいないのに「ウォン」と吠えて玄関に走っていくので ちょっと嫌な気になります。
動物はそういうのに敏感だと聞いたことがあるので・・。
だけど反対に敏感なワンコに吠えられて妙なものも出ていってくれると信じています。
128■恐怖のミステリースポット
・・・屋上に来て・・・・・
■ユリ:2001年10月26日<金>
今回は私の体験ではなく、よく行くうどん屋のご主人の体験です。
そのご主人は負けん気が強く、幽霊だとか霊だとか全く信じない人でした。
いつものようにお店の片づけをすませ、自転車で自宅マンションへ。
30分ほど自転車を走らせ、マンションのエレベーターに乗り込み 自宅の3階のボタンを押し、疲れた体を壁にあずけボーっとしていました。
このマンションにはエレベーターが2台あり、 1台は人員用、もう1台は荷物用。
自転車と一緒に乗り込んだのはこの荷物用でした。
ドアが開いたので降りようとしたら、ちょっと雰囲気が違っています。 「あれっ?」と顔を突き出すと、なんとそこは屋上だったのです。
疲れてボタンを押し間違えたのかと思ったご主人は 「3」をもう一度押して自宅に帰りました。
それから何日か過ぎ、また自転車とエレベーターに乗り込み「3」を押しました。
ところがなんとエレベーターはいっきにご主人を屋上へとつれていったのです。
ドアが開いたものの、今度は顔を出すこともできず すぐに「閉」を押して3階の自宅へ帰ったご主人は 恐怖のあまり
「ただいま」の声も出なかったとのこと。
どうやらこのエレベーターでの出来事は そのマンションではすでに何人か体験しているとのことを聞き、 それ以来「人員用」にしか乗らなくなったそうです。
しばらくしてご主人の甥が遊びに来たときにこの話をすると
「そらそうやわ、だってここミステリースポットで有名で、本にも載ってるよ」 と当たり前のように言われたそうです。
自宅がミステリースポットって・・・・。
エレベーターって完全密室ですものね。 みなさん、夜ひとりで乗るときはご注意を・・・。
129■身内の魂は暖かい!
■はるぷりん:2001年10月29日<月>
私が15歳のとき突然父が亡くなりました。
きっと心残りがあっただろうと思います。
よく覚えている父の夢は2つあります。
ひとつは、私と父が海沿いの道路を車で走っています。
青い海と青い空!とっても気持ちの良い風景です。
父が「こうやってこの時期には帰ってくるからね」と語ってくれました。
二つ目は、家の玄関から父がきちんと背広を着て「ただいま!」と 帰ってくる夢です。
どちらも、お盆とお彼岸に見た夢です。
私達家族は、仲良く協力して生活してましたので、父も安心して見守っていたと 思います。
20歳以降は見なくなりましたよ。
余談ですが、母の叔母にあたる人が私へお見合い話をもってきてくれまして めでたく結婚にいたったのですが、婚約中に、そのおお叔母さんが 病気で入院になりました。
外科手術を受けたのですが決して命を落とすような病気ではなかったそうです。
ある夜、左の耳元でそのおお叔母さんの声がするんです。
ごにょごにょ・・・と。よ~く聞くと「がんばるのよ・・・」と 私に激励してくれているようなんです。
すっかり目が覚めた私は 暗闇の中、「死んでもいない人の声が聞こえるとは・・うむむ・・」と考え また眠りました。
そして朝、母に「おお叔母さんの声がしたけど生きてる人の 声がきこえるっちゅうのはどういうこと???」と話していました。
そうして昼前ごろに親戚の人から、そのおお叔母さんが亡くなったって 連絡があるじゃないですか!
なんでも外科手術での医者の処置が原因で亡くなったとか たとえば盲腸の手術を受けて死んじゃったって感じですよ~。
医療ミスでした。やり切れない話です。
でも、そんな瞬間に私のところに来てくれて 心配してくれたおお叔母さんってなんて優しいんだろう!って思いました。
身内の魂って愛情と暖かさに溢れていると思いますね。
130■顔
■MP:2001年12月2日< 日>
先日、私は体調を崩してしまい入院する羽目になった。
病室は4人部屋で、出入り口のすぐ横のベットに寝かされた。 右手と頭側が壁で、左側のベットと足元側はカーテンで仕切られている。
右手の壁とベットの間は1メートルほど離れており、頭近くにサイドテーブル が置いてある。
24時間点滴を打たねばならず、私はベットに拘束されたまま退屈し始めていた。
寝たまま天井と壁をボーッ見ていた私は、あるものに気が付いた…。 右手の壁の天井近くのコーナーに点々と赤黒いシミが付いている。 「……!」まさかと思った。
ベットに起き上がって目を凝らしてよく見ると、果たしてそれは思ったとおり 血飛沫だった。
壁に飛んだものを拭き取り忘れたものらしい。
さらに観察すると、天井や頭側の壁にも飛沫が飛んでいる。
さてさて、何があったんだ、このベットで…。
その夜のことである。 夜中に目が覚めた私は、何時だろうと思って、サイドテーブルの上の自分 の時計を見ようとした。
消灯後の病室は、非常燈の灯りだけになり、ほとんど時計の文字盤は読 めない。
その時、ふと気配を感じて視線をずらした。 立っていた…ベットの横に。 看護婦だった。
胸にバインダーのようなものを抱えている。 点滴を換えに来たのかな?と思った。 しかし、すぐ気が付いた。
彼女には顔が無かった。 真っ黒なのだ、顔のあるべきところが。 あっと思った時、彼女の姿はもう無かった。
翌日、着替えを持ってきた細君に、壁の血飛沫を確認してもらった。 人間ではないものを見た、とも言った。
「どこに出たの!?」 「いま君の座ってるあたり」 彼女はあわてて跳びのいたのであった。
その後は、退院するまで何も無かった。 しかし、親しくなった看護婦が別の話をそっと教えてくれた。
この病室のある階は、半分が小児病棟。
ナースステーションはその境目にある。 出入り口の扉の上には明り採りのような小窓がある。
ステーションで夜勤をしていると、そこから覗くことがあるそうだ。
赤ん坊の顔が。
131■ドアの向こうに向こうに
■ユリ:2002年月3日< 日>
「トイレの花子さん」という話が小学生の間で広まり、 ついには映画にまでなったそうですが、皆さんはご覧になりましたか?
恐がりの私は映画を観ることはおろか、話の内容すら知らないのですが、 トイレにはやはり何かいるのでしょうか。
2階建てのその事務所はとても古く、トイレも昔の小学校のように チカチカと点滅している蛍光灯がいかにも何かを呼び寄せるようなものでした。
「節約のため無駄な電気は消しましょう」そんな張り紙を貼られた 窓のないそのトイレの入口のすりガラスは昼間でも真っ暗でした。
ある夜、トイレに行くとすりガラスから蛍光灯の明かりが見えていました。 消し忘れなのか誰か入っているんだなと思いすりガラスのドアをあけると、 5つある個室の一番奥のドアが閉まっているのが目に入りました。
いつも入口に一番近い所を利用していた恐がりの私はさっさとそのドアを閉め、 何となくいやな気配を感じながら、用をすませ手を洗おうと鏡の前に立ったとき、 そこに映る閉じられたままの一番奥のドアが気になりました。
「そういえば、なんの音も聞こえないし、人の気配すら感じないなぁ」 そう思った途端、背筋がぞくっとしてわけのわからない恐怖に襲われました。
霊感が強いとはけっして思っていない私ですが、サーっと全身に鳥肌がたち あわててその場をあとにしました。
その時のそれは気のせいだったかもしれないのですが・・・ そんな不気味な経験から一年後の冬、1階のトイレが改装されたと聞き見に行くと、 小さいけれど窓のあるそのトイレは、明るく清潔感あふれるものに変わっていました。
2つしかない個室もピンクの洋式に変わり、ひとつは最新式のウォシュレットに。 相変わらず薄暗い和式の古ぼけた2階のトイレとは大違い。 ドアもピンクで2階と同じ内開き形式ですが、2階と違って中から鍵をかけると 「入ってますよ」とそこに赤い丸印が表れるものでした。
師走の寒さもピンクだとなんとなく暖かくさえ感じさせるトイレ。
これからはここを利用しよう、そう思っていたのですが、 忙しすぎてなかなか2階からトイレのためだけに降りていくのも面倒な私は 昼食から戻った時くらいにしか利用していませんでした。
そんな多忙なある夜の8時過ぎ、同じフロアにいるその会社の女の子が大騒ぎして 下から戻ってきました。
「1階のトイレにいるんです!」 「いるって、誰が?」「誰かわかりませんけど、やっぱりいるんです・・」
彼女の話によると、真っ暗なトイレに入ろうと電気を付けると 2つあるうちの1つのドアが閉まっているではありませんか。
「あれ?なんで閉まっているのかなぁ・・・」と その時はドアが壊れているのかとあまり気にかけず、翌日には普段どうりの 明るい清潔なトイレにそんなことも忘れてしまっていたのですが、 どうやら他の女の子も同じ経験をしていたらしいのです。
なぜかみんな同じ夜の8時頃で、閉まっているのも同じ手前のドア。 なんだか怪しいと思い真実を確かめるべく他の子達と夜のトイレに向かった彼女が その真っ暗なトイレの電気をつけると、やはり手前のドアが閉まっていて、 よく見るとあの赤い丸印も見えているではありませんか。
「誰かいますか?」と聞く彼女に答える声などなく、人の気配すらありません。 闇夜の冷たい空気がより一層恐怖を感じさせます。
そこで思い切ってみんなでドアを開けようとしましたが やはり内側から鍵がかかっているそのドアが開くはずもありません。 誰かのイタズラかもしれないから上から覗いて確かめたいけれど いったい何を確かめることになるのでしょう。 そう考えるともうその場から一刻も早く立ち去りたい気持ちになり 鳥肌が立つ恐怖に声も出ずトイレを出た彼女。
「やっぱり誰かいますよ」と私達に興奮気味に話してくれたのでした。
ひょっとして私の感じた恐怖感は気のせいじゃなかったのかも。
暗闇の中、ドアの向こうにいたのは花子さんなのでしょうか。
132■社宅
■ロメロン:200"年4月11日< 木>
友人、というか私の会社の後輩の話ですが、うちの会社は全国への 転勤があります。
一つの所に4、5年居てまた異動するわけですが、 彼も去年転勤をしました。
彼は結婚したばかりでしたので、奥さんを連れての初めての転勤です。
場所は中国地方のある県ですが、転勤をすると社宅に入ることに なります。
彼が住むことになった社宅は、割と新しく夫婦二人で 住むには十分な広さの所でした。
彼が言うには、まず最初から変だったそうです。
ハウスキーパーの人が
「風呂場の排水溝に長い髪の毛が絡まっていたけど、ちゃんと 掃除をしておいたので大丈夫です」
と言ったそうなんですね。
彼は、いちいちそんなこと言わなくてもと思ったそうですが、素直に
「ああそうですか。ありがとうございました。」と言って終わりました。
で、住み始めて職場にも慣れ始めた頃、そう1ヶ月位だった頃でしょうか。 奥さんが
「昼寝をしていたら、側で女が私をじっと見つめてた」と言い始めたそうです。
「引越しの疲れが出てきて、寝ぼけたんだよ」と 彼は相手にしなかったそうですが、その話を信じなければならない出来事が起きました。
それは、会社内で同じ社宅に住む同僚と会って
「まだ奥さんにちゃんとご挨拶してないけど、昨日お宅の窓越しで奥さんを見かけましたよ。
でも酔って帰ってきてだいぶ遅かったものですから、頭を下げたんですけど、 奥さんにシカトされちゃいました。
夜分に申し訳ありませんと 謝っといて下さい。でも奥さん、髪が長くてきれいそうな方ですね。」 と言われたそうです。
彼は、その一言で奥さんの話を全て信じたそうです。 だって奥さんの髪型はショートでしたから。
以来、奥さんと真剣に話し合い、家を変えようと思ったらしいです。 で、職場の上司に
「すみません。幽霊が出るので家を変えたいのですが。」と相談したところ
「はっ?お前何言ってるの?」と一笑に付されたそうです。 ま、そうでしょうね。
結局、不思議な出来事、例えばチャイムが鳴るので玄関を開けたら 誰も居ないとか、
彼の家だけ停電になるとかといった現象はあるらしい ですが、夫婦二人で気合いで住んでいるようです。
ちなみに、以前住んでいた人は何もなかったようですが・・・
133■窓の外
■ルルー:2002年5月11日< 土>
私が今まで生きてきた中で、一番怖かった体験をお話しましょう。
それは、私が学生の頃の事でした。
私が下宿していたのは、建てられてまだ新しいアパートで、 因縁めいた話や、お化け話とは無縁に見えました。
まさかその下宿の部屋で、あんな事に遭遇するとは・・・・・
その頃、私は押し入れの上段を2段ベットのように使って寝ていました。
眠りにつき、ふと気がつくと私は水平に寝た姿勢のまま身体から浮き上がり、 ベットの上を漂っているのです。
そして、そのまますべるように窓辺に移動して、 コツンと、窓に当たる感じに、はっとして、
「いけない、このままでは外に出てしまう」と、 何かに引かれるような力と綱引きするようにして、やっと身体に戻る事が出来ました。
話に聞く幽体離脱・・・というものかもしれませんが、 その後も眠りにつくたびにこの現象は起こり、1週間ほど続きました。
毎日、気がつくと窓辺まで、引き寄せられ、コツン、コツンと窓に当たる感触に、
「戻らなければ」と闘う日々が続いたのです。
私は恐怖のあまり、半ばノイローゼのようでした。 そして、下宿の管理人さんから、その話を聞いたのです。
学生街のことで、そこら辺一帯は下宿が多く、私の住む下宿の隣も 少し古びた下宿屋でした。
私の部屋の窓からちょうど向き合った、斜向かいの部屋に、 年の頃も私と同じ位の女子学生が住んでいたのだそうです。
その女子学生が山で遭難して、亡くなっていたというのです。
ちょうど、私が不思議な幽体離脱を体験しはじめた、その頃に。
幽体離脱のような体験はその後は無くなりましたが、それでもその部屋では、 夜中に何者かが布団の端を引っ張ってくるというような事が絶えませんでした。
年の頃も同じ位だった斜向かいの部屋の彼女に何か同調するものがあって、 引っ張られたのだろうと、今でも思います。
もし、あの時、引き寄せる力に逆らい身体に戻っていなかったら、 ・・・・あのまま、窓の外に飛び出していたら、一体私はどうなっていたのでしょう。
思い出しても、ぞっとする体験です。
これは、先日(五月11日)のデザインフェスタでお会いした ルルー様から伺ったお話を私が一人称の形で聞き書きしたものです。( 管理人)
134■お持ち帰り
■MP:2002年6月2日< 日>
この「開かずの間」の第71話に、漫画家のNORMA先生が子供の頃に体験した、白 蛇の神社の話がある。
今回、この神社の所在を確かめる旅に同行することが出来た。
参加者はNORMAさん以下、アシスタントのお嬢さん2人、ネット仲間のUさん、 黒一点の私の全部で5人。
終点の駅で降りて、ロープウェイに乗り換え、その後徒歩で目的地へ向かう。
山頂近くから見る景色は素晴らしく、桜の季節には、さぞや絶景であろうと思われ た。
途中、食堂に入り昼食をとる事になった。
その食堂は、旅館のような造りの玄関口で靴を脱いで、座敷で食事が出来た。
平日ということもあり、客は私たち以外に2組だけだったので、ゆったりと過ごすこ とができた。
そのとき食べた葛豆腐がおいしく、帰りにまた立ち寄ってお土産に買って帰ることに 意見が一致した。
目的地の○天大神は、500段以上の長い階段を下りた谷底にあり、他の寺社とはま た違った趣を湛えていた。
確かに、お百度石もあり、近くに岩壁も迫っていたが、数十年の時間の経過はやはり 長かったようである。
台風の被害で改装されていたこともあり、NORMAさんは、ここが記憶にある場所 であるという確信は持てなかったようである。
その後、修験道の総本山といわれる○王堂を拝観し、写真撮影などをした後、帰路に ついた。
昼食をとった食堂の前を通りかかった時、葛豆腐をお土産に持ち帰ることを思い出し た。
みんなで店の玄関口に入り込むと、他に客はいないようで、すぐに女性店員が応対に 出てきた。
葛豆腐は自家製で、包装に時間が掛かるのでちょっと待って欲しいとのこと。
しばらくすると良い香りがしてきた。
先ほどの店員がお茶をいれて持ってきてくれ たのだ。 私たちの前にお盆を置くと、すぐ奥に引き返していった。
小さいお盆の上には、6つの湯呑み。
「おいおい、誰か、連れてきてるよ~」 私の冗談に、笑い声が起こった。
それぞれが湯飲みに手を出し、熱いお茶を啜った。 そのとき、再度、店員が湯呑みを載せたお盆を持って引き返してきた。
「どうも、お待たせしました」 湯呑みが、さらに一個私たちの前に置かれた。
5人の客に、お茶が7つ出されたのだ。 お盆が小さい為、一度に7つ運べなかったのだ。
もう誰も笑わない。
「あの…もうみんな頂いてますけど…」 誰かが店員に声をかけたが、彼女は気付かないようだった。
なんとも不思議な気持ちで店を後にした私たちは、下山のため、ロープウエイの駅に 向かった。
小さな山上の駅では、客はやはり私たちだけだった。
駅員のおじさんが一人ずつに切 符を手渡してくれた。 ロープウェイに乗り込み、私はUさんの隣に座った。
Uさんが「ちょっとこれ見て、MPさん」と右手を差し出してきた。
彼女の手のひらには、切符が2枚のっていた…。
大阪まで帰ってきて、私だけ別れて先に帰った。彼女達はいつも一緒に夕食を食べて 帰るらしい。
帰宅後、相方にその奇妙な話をすると、
「その手の話はダメ」とモロに嫌な顔をされ た。
しばらくしてPCを立ち上げると、メールが来ていた。
NORMAさんからだ。
別れたあと、やはり4人で食事に行ったらしい。 テーブルを囲んでの食事の後、お盆に載せたお茶が出されたという。 湯呑みの数は5つだったそうだ。
135■しゃれこうべ
■管理人:2000年6月9日< 日>
だんだん、お話する事も無くなってまいりましたので、この開かずの間の 第一話を書くきっかけになり、かいつまんで書いたしゃれこうべ事件の事を 詳しくお話いたしましょう。
子供の通っていたのは市立の1小・・・つまり、市で一番古い学校です。
起源は寺子屋で、学校制度が出来た時に、小学校になりました。
敷地全体が元々お寺ですから、校庭などは墓地だった訳です。
私は創立120周年の年にPTAの広報委員長などをおおせつかっておりましたので、 記念誌を作る為、学校の身近な歴史を掘り起こそうと、土地の古老に昔の1小のお話を 伺って回った事があります。
その中にはとても公の記念誌には書けない事もありました。
それは、昔は墓地だったので、校庭から、よく人骨が出て来たという事実です。
戦時中の食糧難の時代、校庭は一面の芋畑となりましたが、校庭を耕したり 芋掘りをしたりすると、人骨が出て来るのはしょっちゅうだったそうです。
時代が下って、お祖父さんの時代からお父さんの時代になっても、 プールを作る工事で校庭を掘ると、かなりの人骨が出てきたそうです。
それでも、今はさすがにそんな事は無いだろうと思っていたのですが・・・。
それは娘が小学校5年生の時です。
職員室の前には側溝用のU字コンクリートを幾つか逆向きに並べてありました。
その上に植木鉢や、 プランターを置いて、花台のように使っているのです。
昼休み、クラスみんなでドッチボールをして遊んでいると、ボールは転がって 、横から花台にしているU字コンクリートの下に入り込んでしまいました。
ボールを取りに走り寄って来た子が、U字コンクリートの下を覗き込みます。
幸いボールは手の届く位置に落ちていました。
手を伸ばしてボールを拾い上げた時、、更に奥にもう一つ、ボールのようなものが 転がっている事に気がついたのです。
何気なく手を伸ばし、それを拾いあげると、場は騒然となりました。
ボールと見えたのは、人のしゃれこうべだったのです。
大騒ぎするうちに、誰かが先生を呼んだのか、理科のK先生がやって来ました。
先生は そのしゃれこうべを子供から受け取ると、「理科室で標本にする」と冗談を言いながら、持って 行ってしまったということです。
騒ぎはそれっきりとなりました。 しゃれこうべがどうなったかは、子供たちも親も知りません。
それにしても不思議なのは、しゃれこうべがボールのように土の上に露出して転がっていた事です。
花台にするU字コンクリートを設置した時点では、しゃれこうべは土に埋まっていて、 見えなかったのでしょう。
それが、なぜ、そんな状態になったのでしょうか?
まるで、しゃれこうべが自分で土の下から出てきたように・・・
136■ 怖いもの
■チェリー :2002年6月13日< 木>
何度もこの開かずの間に登場した霊感体質の私の母も今年で78歳、十年ほど前に発症した アルツハイマーの症状が進み、会話もあまり成り立たなくなってきました。
こんな状況ですから、もう、ここで、主人公になる話の体験などないと思っていたのですが・・・
介護保険が導入されて、要介護度5を認定された母は公の施設を利用しています。
老人介護施設は、ディケア―というバスで送迎つきの通いから、数日のお泊まりの短期入所、 そして、入所と色々な形で利用出来ます。
(入所は順番待ちでなかなか出来ないのですが、)
職員さんも親切で、老人の扱いもプロなので、 母も大変気に入って利用させていただいていますが、その母が先日から、しきりに 「怖い」という言葉を連発するようになりました。
言葉数が幼児のように少なくなってきた母が普段使うのは、「きれい」「かわいい」「おいしい」 といった言葉で、「怖い」というのは、外に一緒に散歩に行った時にスピードをあげた車が傍らを 通り過ぎた時くらいなのです。
それが、ごはんを食べていても「怖いね~」とか「怖くて」と独り言のようにつぶやきます。
「何が怖いの?」 と聞いても 「ねえ、怖いわね、」 という返事だったり、別の話に移っていたりで 埒があきません。
でも、しきりにまた「怖い」と繰り返すのです。
言葉数は減っているし、正しく会話を進める事の出来ない母ですが、思いの他、 なんでも解っているらしく、時折我に返ったように、的を射た発言をしたりして、驚かされます。
これは、やはり何か怖い事があるのかも、母が言うのだから、やはり・・・・・ と、考えていると、
「白い人がいるのよ、まあっしろ〜〜〜い人・・・・」
と、ポツリとつぶやきました。
この所、風邪が流行っている施設は、お亡くなりになられた方があるらしく 入所者用のベッドが片付けられ、空いているのが目につきます・・・
137■ 白い・・・
■くらんべりい:2002年6月20日< 木>
今から、20数年前、住んでいた家でのことです。
旧川越街道と新しい道路にはさまれた、旧くて広い農家があるなかに、 10軒ばかり建てられた家でした。
その頃は、まだ娘は生まれておらず、日中、私はほとんど一人で すごしていました。
二つの道路にはさまれているのに静かなところでした。
2階で、何か気配がする、と何度も感じるようになりましたが、 怖くて見にいけないので、気のせいと思うようにしていました。
でも、そのうちに夜、寝ているとき、金縛りにあうようになりました。 (圧迫感はないのですが、全身身動きが出来ないのです。)
そして、私だけではなく、ゴーパパも金縛りになったというのです。
そんなことが続き、とうとう見てしまったのです。 それは三角形をしていて、右の方から左の方へ、飛んでいくのです。
ゆっくりではなく、割りに速さがありました。
それは、白くて、少し光っていました。 (たとえると、笑われそうですが、イカのような感じでした。)
そこには、5年住んでいました。
何度も見ました。白いもの・・・・
川越宿の手前の街道のそばだったので、なにか昔の怨念があったのでしょうか、 それとも・・・・・
138■ 落ち武者に呼ばれて・・・
■ロメロン:2002年7月9日< 火>
さて、今回は私が学生の頃にだいぶ年上の霊感豊かな おばさまから聞いたお話を書こうかと思います。
この人は、かなり霊感ありまくりで、最近は何をしてるのか とんとご無沙汰ですが。
このおばさまをSさんと呼びます。
Sさんは友人のKさんと前々から女性二人旅を計画していました。
二人はゆっくり温泉に浸かりたいと思ったそうで、ある関東 近県の山の中にある温泉、いわゆる秘湯と呼ばれるような所に 行くことにしたんですね。
旅館の予約を入れたのはSさんでした。
若い男性の従業員で 丁寧な応対で
「○月○日、女性の方お二人様ですね。お待ちしています。」と。
これが旅に出る1ヶ月以上前のことだったそうです。 そして二人は旅行の日が来るのを楽しみに、忙しい日々を過ごして いましたが、いよいよ3日前になった時に、Sさんは旅館に確認の 電話を入れました。予約を入れた時の若い男性が対応して、
「承っております。気を付けておこし下さい。」と言われたそう です。 二人は安心して当日、ワクワク気分で出かけました。
この旅館はかなり山の中にあるらしく、途中でバスを降りて 徒歩40分程かかる所にあったそうです。
二人は息を切らしながらも、もうすぐ温泉だ!という気持ちだけで 頑張って到着しました。
そしてフロントで旅館の人が出てきて
「いらっしゃいませ。 お名前は?」と聞かれ「予約を入れておいたSですが。」との やりとりが行われました。
「少々お待ち下さい。S様、S様・・・ あの~大変申し訳ありませんが。予約は承っておりませんが。」
「予約されてないなんて、そんなことあるわけないでしょ! こちらは1ヶ月以上も前に予約を入れて、3日前にも電話をして 確認しているんだからっ!!」
「しょ、少々お待ち下さい。上の者を 呼んで来ます。」上の人が来ました。
「S様、申し訳ございません。 私どもはやはり予約を承っておりませんが、どのような者が対応 なさいましたでしょうか?」
「若い男性で感じのいい子だったわ!」
「・・・若い男性の従業員は当旅館にはおりませんが・・・」
「はぁ~~?でもこちらはここまで来たんだし、ウソを言っている わけでもないから、何とかしてちょうだいっ!」
男勝りのSさんは、ここまで来て引き下がれるかと思ったのでしょう。 意地でも泊まって帰るつもりでした。ところが、この日はあいにく 満室で空きがない。
それでも無理言って、宴会場で良ければという ことになったらしいです。
SさんとKさんは仕方がないかということで、宴会場に泊まることに しましたが、30畳以上あるような宴会場に二人だけ。
不思議な事もあるもんだと、温泉に浸かりお酒も飲んで、 旅の疲れも あったのか、早々に床につきました。
Kさんはすぐに寝入りましたが、Sさんは中々寝付けない。 それでも寝ようと思っていたその時!金縛りにあったそうです。
霊感のあるSさんは、いつものことかと思い、解こうと思いましたが この日に限って中々解けない。
「おかしい。いつもなら簡単に 解けるのに。」それでも抵抗していると、目だけを開けることが できました。
「うぅ~~。くそぉ。どんな奴が今日は出てきたのか、顔を見て やる!」霊感が強い上に男勝りのSさん。
普段ですと、幽霊を見ても 幽霊に対して一括してしまうほどの人なんです。 そのSさんが目を開けた瞬間に見たものは・・・・・・
30畳以上ある部屋中に、落武者のような鎧を着た武士達が ズラリといて、全員Sさんを見ていたのです!!
しかも遠くの方は見えないくらい、とにかくすごい数。 中には頭に矢が刺さっていたり、当然血を流している者。
顔が 半分落ちかけている者など、様々だったそうです。 さすがのSさんもこれにはビビリ、
「これはいかん。一人じゃ太刀打ち できない」と思ったらしく、意地でも寝ようと心がけました。
ウトウトとしたら金縛り、目を開けると落武者軍団。それの繰り返しで ほとんど寝ることができずに、朝を迎えたそうです。
Kさんは、そんなこと何も知らずによく寝てスッキリだったそう ですが。
結局、旅館の人に聞いてみたところ、詳しくはわからなかったらしい ですが、その辺りは源平の合戦で敗れた平家の落武者が辿り着いた 場所の一つだったとか。
思えば、最初から何者かにSさんたちは呼ばれて行ったのかも しれません。
長くなりました。
さんの体験談はたくさんありますので、 今度また書かせて頂きますね。
その温泉て、湯西川温泉ですね。 と、くらんべりいが横でいっています。
ずいぶん前にうちも行ったことがあるんですが、 その時にもいたと、くらんべりいが言っています。
掲示板にゴーチェパパ様から、上の情報をお寄せ頂きました。
10年以上前に聞いた話なので、ロメロン様は、場所までは、覚えておられないそうで、 同じ場所なのかどうか確認はできませんでした。
湯西川温泉、・・・・平家の落人伝説の有名な温泉ですね。 管理人
139■手招き
■nino:2002年7月19日< 金>
140■怖くないんですが
■チェリー :2002年7月23日< 火>
父が高校生で受験勉強をしていた頃の話です。
当時父は離れの部屋で毎夜1時、2時頃まで勉強をしていました。
その部屋は渡り廊下の出入り口にも木の戸板がついていて、塀がぐるりと部屋を囲ってあり、 母屋からも外部からも隔離された感じがします。
ある深夜、勉強中の父がふと窓の外を見ると、 庭から祖祖母が手招きをしていました。
祖祖母は少し離れた所に住んでいたので、
「あ、おばあちゃんが来たんだ」と思ったようです。 しかし、次の瞬間あわてて母屋に逃げ込みました。
3ヶ月ほど前に心臓の病気で急逝していた事を思い出したからでした。
生前と変わらない姿で、灯篭の後ろから覗くような格好で、ゆっくりと手招きをしていました。
それから数日後、また夜中に前より更に灯篭に身を隠すようにして 顔を半分だけ出して、 手招きをしている祖祖母の姿を目撃して 再び父は母屋に逃げ込みました。
後から思えば、庭の塀の入り口の戸も、内側からかんぬきが架かったままで、 人が外から庭に入る事は出来ない状態だったようです。
母屋へと続く渡り廊下は直接外に接していますし、すぐそばに灯篭があるので そこを通る方が怖いと思うのですが、ただ逃げる事しか考えていなかったみたいです。
それからしばらく別の部屋で勉強をする事にし、その後祖祖母の姿を見る事もありませんでしたが、 もし、招かれるまま行っていたらどういう展開になっていたのでしょう。
115話に登場した娘の中学時代からの親友Sちゃんの話です。
Sちゃんによると彼女の家族は、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、皆、全く霊感がないのだそうです。
お父さんなどその最たるもので、お父さんの会社は出る事で有名で、 同僚たちは皆、「何か」を見ているのだそうです。
当のお父さん以外は・・・・。
そんな家族の中で唯一人霊感体質の彼女が、家族でお墓参りに行きました。
墓地は人もおらず、天気も良く、広々として、とても気持ちが良かったそうです。
Sちゃんは思わず駆けまわりたくなり、走りだしていたそうです(女子高生なのに・・・)
「こんなところで走り回ると、罰があたって憑かれるわよ。」
霊感のないお母さんが注意しましたが、あんまり説得力がなかったのか、 Sちゃんは気持ち良く走っていました。
「子供みたい・・・」 Sちゃんの耳元で誰かが言いました。
思わず立ち止まって振り返りましたが回りには誰もいません。
声を聞いたのもSちゃんだけでした。
子供のような声だったと言います。
「子供に子供みたいって言われちゃった。」と、Sちゃんは言っていたそうです。
そういう問題かなぁ・・・
141■何度も見る夢
■ロメロン:2002年8月7日< 水>
さてさて、今回は私の以前見た夢の話。 といっても10年以上前に見た夢ですが。
その頃、私は大学生でした。この時期に何度も同じ夢を 見たことがあるのです。
結局、何を言いたいのか、何かを 予知していたのか、あるいは過去に何か起きたことを見たのか など全くわからないまま、見なくなったんですけどね。
今でも鮮明に覚えています。 私は小学生。どうやら時代は明治か大正か昭和の初期か そこらへんらしいです。
なぜかというと、紺色の汚いかすりの 浴衣を着てるんですね。 で、私の家は女郎屋を経営しているようなのです。
夢の中では一人っ子(本当は弟がいる)で、友達もおらず 夜になると、母から店には絶対に来るなときつく言われている のです。
この母が私の実際の母とは似ても似つかない、よく 明治時代なんかにいたような切れ長の目をした怖い系のおばさんです。
ですからいつも一人で遊んでいるようでしたが、その夢の中では なぜか、お姐さんたちが店に出ている間に、家の中を探検しようと しているのです。
というのもお姐さんたちは、住み込みですから、普段入ることの できないお姐さんたちの部屋を覗こうと思ったのかもしれません。
そこで、一部屋ずつ見て周ります。
最初の部屋は、布団が敷きっぱなしで、着物もそこらへんに 投げ捨ててあるような部屋。
だらしのないお姐さんなのか、 あるいは時間がなくてそのままにして、店に出たのか?などと 子供心に思っているのです。
次の部屋に私は行きました。その部屋は荷物が何もなく、きれいに なってるんですね。
「あ~そうか。大好きな○○お姐さんが、 辞めると言ってたな」などと私は思っています。
そして次の部屋に私は進みます。
その部屋では着物掛けに着物がかかっているのですが、その時の 着物が黄色っぽかったような記憶があります。
で、部屋に入った瞬間に、何か嫌な感じがするんです。 何がどう嫌なのかはわからないけど、嫌なのです。
そして私は、何を思ったのか、着物掛けの後ろにある襖の方へ 進んでいきます。
そして襖を、開けるのです! が、そこには布団が入っているだけで、別に普通の襖となんら 変わりはありません。
しかし、私は近くにあった座布団を何枚も重ねて、不安定な高さに なりながらもその上に上り、襖の上の襖?(細くてせまいやつ)を 開けようとしてるんです。
そして、なぜかものすごくドキドキしながら開けました!! と、その瞬間!襖の中から手が出てきて、左手首あたりを 掴まれるのです!!「ウギャーーーー」と叫んだ瞬間に、 血だらけの若い坊さんが出てきて、
「坊や!ここは○○か?」と 聞かれ、「いや、ここは○○だよ」と震えながら答えるのです。
そして坊さんは「そうか」と寂しそうな顔をしたところで、 目が覚めました。
この夢を、続けざまに何度も何度も見たことがあるんですね。 しかも○○というのは地名でして、その地名まではっきり言っていた はずなのに、この部分だけ、どうしても思い出せません。
一体あの夢は何だったんだろう? 皆さんも不思議な夢、同じ夢って見ません? あまり怖くなくて、すみません。
142■センサーライト
■nino:2002年9月9日< 月>
その夜、私は1人でリビングにいたのですが、時計を見るともう12時5分でしたので そろそろ寝ようかと思った矢先に一瞬停電になったんです。
深夜にふっと電気が消えて真っ暗になるのはなんとなく気持ちが悪いので、 2階に行こうと部屋を出た所で、電気は復旧しました。
怖いのは此処からで・・・ ふと玄関の方を見ると、ドアの横にあるガラス越しに、こうこうと輝く丸い灯りが見えました。
「センサーライトの光のはずだけど、違うものと見間違たのかも」 と思って、窓から確認したのですがやはり 家の門から玄関の間にあるセンサーライトが点いていたんです!
人の動きを感知して点くはずなのに。 そんな時間に来客があるとはとても思えません。 猫や犬で反応する高さには付いていませんし、木なども無いので枝が揺れて反応したという事もありません。
リビングに戻って、再び窓越しに確認の為に外を見ても誰もいないように見えました。居たら怖いですが。
ホラーサスペンスもどきの陰惨なストーリーが頭を駆け巡ってしまい、 慌てて玄関の鍵を掛けました。無用心なので鍵を掛け忘れていたんです。
何故灯りが点いたのか、今だに理由がわからず気持ちが悪い思いだけが残っています。
物騒な事件もありますから、とにかく戸締りだけは気をつけなければいけないと痛感した出来事でした。
143■想い
■管理人:2000年10月7日< 月>
母が利用させていただいている老人の為の施設は職員さんも熱心だし、 建物は古いけれど、とても良い施設だと思います。
利用者とその家族が参加する楽しいイベントなども度々企画してくれます。
しかし、実は私はイベントに母とともに参加し、その施設に長居するのが嫌いなのです。
なんとなく息が詰まるような閉塞感と頭をしめつけられるような感じがして 肩が重くなり、そこに長くいると、ドッと疲れるのです。
最初の頃は気のせいかとも思っていましたが、空気が重く澱んでいるような嫌な感じがして 時に部屋全体に霞みがかかっているように思える事さえあります。
体調が悪いような時に施設に行くと、その夜は金縛りで苦しむ羽目になります。
母などこの頃は色々なものが見えるようで、お誕生会のケーキなどを食べようとすると、 誰もいない所を見詰めて、眉をしかめ、
「くれ、くれって寄ってきて嫌ね。」 などと言います。
「誰もいないわよ。」と言うと、 「いるじゃない、そこに」 と目の前を指さしたりするのです。
老人性痴呆症の母です。 でも、施設以外の場所でいつもそんなものが見えている訳では無いのです。
そして、その施設では始終、
「ほら、あそこにおばあさんがいる」 などと、あらぬ方を目で追いながら言うのです。
母が怪我をして病院に入院して気がついたのですが、病院ではそれが全くありませんでした。
やはり、施設がいけないようなのです。
母が施設を利用中、転んで足を骨折したのもあって、施設を利用するのを止めようかと 私は真剣に悩みました。
施設にいると、渦巻いている霊的なものに母も引っ張られてしまうような気がしたのです。
もともと、霊感が強過ぎる母をそんな場所に置いてはいけない気がしました。
母の怪我にともない、保険の話や、母の状態の報告などで施設で職員さんとお話する機会も 増えました。
そこで、今後の施設の利用などを話し合ううち、ついそんなお話しをしてしまいました。
怪我をしたから利用したくないのではなく、母の心が彼岸を向いてしまうのが嫌だから 利用を考えてしまうのだと、笑われるかもしれないけれど、正直にお話したのです。
職員さんは何も感じておられないのだろうかと、気にもなりました。
「うーん、私は何も感じないけれど、お坊さんが、沢山いますねと言ってましたね~」 とその職員さんは、言いました。
「まあ、沢山お亡くなりになった方はおられますからね、でも病院でもそうでしょ?」
「それが、不思議と病院は平気なんですが」 「・・・何故ここはこんなに溜まっているんでしょうね。
私もここにいると、とても疲れるんですよ。」 そう、私は答えました。
別の女性の職員さんは、
「私はぜんぜん見えないんですけど、夜勤の時、何か見たって人はいますね。」 と、言います。
それにしても、あれほど恐いイメージのある病院でさえ平気なのに何故施設は ここまで霊的なものが溜まっているのか、本当に不思議でした。
母のお見舞いにほぼ毎日病院に通っていたら、隣接している老人施設の前に 大型トラック何台分にも相当する荷物の山が築かれ、職員さんが大汗をかいて 荷物を運んで働いているのに出くわしました。
「お引越しですか?」と声をかけると、 「いや~、十何年ぶりかの大掃除ですよ」と職員さんは答えてくれました。
古ぼけたギターケース、机や椅子やたんすや、車椅子、テレビや、冷蔵庫などの電化製品、ガラスケース・・・
みな、以前ここに入所して住んでいた人達が残したもののようでした。
「みんな捨てるんですよ」 と職員さん。 まだ充分使えるものなので、捨てずに残してあったもののようで、どれも割合綺麗です。
「まだ、使えそうで勿体無いですね。バザーに出せそう」と私はガラスケースを指して答えました。
「随分ガラスケースがあるでしょう、さっきまで使っていたケースですからね、全部お人形が入っていたんです。」
「お人形は?」私は深く考えもせずなんとなく、お人形という言葉に反応してしまって聞きかえしました。
「お人形は念が入ってますからね、捨てられないんで後で供養してもらうんでまとめてあります。」 と、職員さんは答えました。
それからしばらくして、母の手術もうまく行き、術後の回復も良く、順調にリハビリが始まっていました。
私は、用事で病院の帰りにまた施設に寄りました。 台風接近で荒れ模様のひどい天気でした。
しかし、施設に入っていつもと空気が違う事に気がつきました。 どんより澱んでいた空気が風通しが良くなって綺麗になったような感じがするのです。
その日は、不思議と疲れずに施設にいる事ができました。
それから何日かして、また施設に寄りましたが、やはり施設の空気は すっかり変わっているのです。 うかつな私ですが初めてその時、先日の大掃除に思い到りました。
そうなのです。大掃除以来、つきものが落ちたように施設に渦巻いていたものが 消えたのです。
そもそも、私があんな事を話したから、大掃除をする事になったのかもしれません。 ・・・それは考え過ぎかもしれませんが、施設が病院よりはるかに多くの霊的なものを 集めていた訳がその時分かりました。
人は物に想いを残したりするものなのですね。
愛用の品、普段使っていた身近な物達に亡き人の気配のようなものが宿っていると感じるのは、 何も、形見に対した時の肉親の情だけでは無いのです。
それらの細々した物達でもあれ程の量が集まると、大きなパワーになってしまうのだと 身に沁みて感じた次第です。
この調子なら、母もまた施設を利用させていただけると、内心ホッとしながら、 何でもお話ししてみるものだなぁと、思う今日この頃です。
144■黄色いワンワン
■アシ2号:2003年1月8日< 水>
昨年のお盆のことです。
妹一家(妹夫婦と姪)が我が家に帰省していたのですが 二歳になる姪が居間のあらぬ方向(窓とか)を指差して
「ワンワン、ワンワンいる」としきりに言うんです。
周りの者は適当に
「へえ~ワンワンいるの?どこ?」と相手を していたんですが、誰かが思い当たったように言いました。
「お盆やし、ゲンが帰ってきてるとか?」 ゲンというのは我が家で飼っていた柴犬で、数年前に天国に行きました。
姪が産まれる前に死んでいますし、写真を飾っているわけでもなく 話を聞かせたわけでもないので、姪が犬を連想することはないはずなんですが うちの家族はすべからく霊感ゼロで、 普段から不思議な体験に免疫がないというか 対処方法がわからないので
「まさかね~」で済ませてしまいました。
その後お風呂でも、姪があらぬ方向を指差して「ワンワン」と言うので 一緒に入っていた妹の旦那さんが
「どんな色のワンワン?緑色?」とカマをかけてみたところ 「黄色いワンワン」と答えたそうです。
柴犬は普通赤茶っぽい毛色ですが、ゲンも晩年は白っぽくなって 枯草のような、黄色いと言えなくもない毛色になっていましたので やっぱりゲンが帰ってきてたのかな、と皆で話しました。
それにしても、やっぱり小さい子には見えるものなんでしょうかね~ ゲンも
「誰やこいつ?」とお風呂までついていって、 姪の事を観察していたのかもしれません。
お正月にも姪は我が家にやってきましたが 「黄色いワンワン」のことは一言も言いませんでした。
やっぱりお盆しか帰ってこないんですね。
今年のお盆はどうなるか…ちょっと楽しみです。
145■電話
■碧:2003年2月1日< 水>
自分が中学生だったとき。 その日は友達を大騒ぎをし、帰りが遅くなりそうになりました。
自分は友達の家の電話を借りて、家に電話をかけました。 プルルルルルルルルルルル
「ハイ、もしもし。」 それは聞き覚えのある声でした。その時自分は妹が出ただろうと思い、言いました。
「○○(妹の名前)?お母さん出して。」
「は?アンタ誰?」 妹は昔から自分や親が電話をかけると、よく悪戯をするので、自分はまたかと思いながら電話の向こうにいる相手に言いました。 「○○。悪戯は止めて、お母さんだして。」
「だから、アンタ誰?」 「碧だよ。」 「はあ?」 まだシラを切る妹に嫌気を覚え電話を切りました。
自分は家に帰ると、妹に怒鳴りつけました。
「アンタ、これ以上変な悪戯をしたら、半殺しにするよ。」
「は?電話なんて出でないよ。」 妹がきょとんとした顔で言いました。
「はあ!?何とぼけてんの!?アンタ、電話に出たしょ。」
「今日、一回も電話に出てないって。」
「嘘つくな。自分の電話番号間違える馬鹿が何処にいるの!?」
「だから電話に出てないって!!」
自分はこれ以上言っても無駄だと思い、母に聞いてみました。
・・・すると母は、今日一回も妹は電話に出ていないという返事が返ってきました。
結局、自分が電話を掛け間違えて、誰か知らない人の家に電話をかけたということになりました。
それから数日が経った日のこと。母がにやけながら、PHSをいじっていました。
「何、にやけてるの?」
「ああ、碧。ちょっとコレ聞いてみ~。」 自分は母に言われたとおり、PHSを耳に当てました。
「もしもし、お母さん?今日、遅くなるわ~。」
「!!これ、誰の声?」
「碧のだよ。皆には碧の声が、こう聞こえるんだよ。」
母は笑いながら言いました。 その声は紛れも無く、妹だと思っていた電話の主の声でした。
自分に電話をかけるなんて事は絶対にありえないのに、この時は、何故か妙に納得してしまう自分がそこにいました。
146■行き先
■MP:2003年2月22日< 金>
息子と2人で外出した、その帰り道のことです。
最寄の駅で降りた時、すでに陽はとっぷりと暮れ、 おまけに小雨まで降ってきました。
家までは歩いて15分ぐらいかかるので、タクシーで 帰ることにしました。
タクシー乗り場は、人影も無くシンとしています。 少し待つだけで車が還ってきましたので乗り込みました。
「○○台までお願いします」 タクシーの運転手は「はい」と返事をしてすぐ車を出しました。
私はしばらく目を閉じていたのですが、息子が小さい声で
「おとうさん」と呼びかけてきました。
「え?」 「違うよ、この道」 窓から見ると、いつもと違う道を走っています。 風景からすると家とは全く逆方向のようです。
「運転手さん!方向が違うみたいですよ!」
「え?」運転手は怪訝な顔をしてこちらを見ると
「……行き先は○○霊園ですよね?」 こんな聞き間違いってあるだろうか?
「○○台」と「○○霊園」(伏字には同じ地名が入る) 誰かに呼ばれたのだろうか?
私たちが○○霊園に降り立った時、そこには……
ちょっと知りたかった気もする(笑)
147■驚く人
■MP:2003年5月8日< 木>
もう、10年ほど前の話。 当時、勤めていたO県警を辞めて、うちの会社に転職してきたT君から聞いた話。
「こんなもの撮っちゃったよ」 親しくしている鑑識課員が、机の上に数枚の写真を投げ出した。
数日前、マンションで起きた殺人事件の現場検証の写真だ。
「上に、どうやって報告しよう…」鑑識課員は頭を抱えている。
T君は写真を手にとって、順に見ていった。 1枚目には、部屋の中にうつ伏せに倒れている被害者(男性)とその横に 屈み込んでいる鑑識官の姿が写っている。
2枚目と3枚目も、同じ方向から撮られていて、鑑識官の様子からみて、 数秒の間隔で写されたものと思われた。
……問題は2枚目の写真にあった。 屈み込んでいる鑑識官の横に、一人の中年男性が立っているのだ。
足元の被害者の姿を覗き込んで、「あっ」と驚いている表情である。
しかし、現場検証の最中に、一般人が立ち入ってくる事は無いはず。 不審に思ったT君は、よく写真を見直してみた。
そして、すぐに気が付いた。 驚いている男性と、倒れている被害者が、全く同じ服を着ていることに…。
T君は1年も経たずして、また転職していった。 次の彼の転職先は、とある神社の社務所で、その後、そこの巫女さんと結婚した。
その結婚の便りを受け取った私は、相手が巫女さんと聞き、変に納得した気持ちだっ た。
それから数年後、本屋で一冊の本を手に取った私は驚いた。 その本とは「新耳袋・第5集」…人気の実話怪談本である。
その中にT君が語ってくれた話と寸分違わぬ話が掲載されていたのである。
T君が取材協力をしたのか、と思ったぐらいだ。 ひょっとして、当時すでに都市伝説でそういう話があったのだろうか?
T君が、それを私に語っただけだったのだろうか? 今はもう連絡の取れない彼に、確認する術は無いのだが…。