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 第148話〜第200話

148〜〜151■4話一挙掲載

■霊能おばば:2003年6月18日<水>

148■三つ目

実は、小さな頃から、私、おかしいのです。

何か有りそうだから外出するなって母に言ったりすると、 本当に電車事故があったり。

大人になってそういうのは無くなりましたが、 古いトンネルに入ってもう、たまらなくなって主人に

「早くここから出て」って叫んでしまったりは、今もたまにあります。

まず、何も悲しくも無いのに、涙がボロボロ出てくるのです。 「何か」の気配を感じてしまいます。

頭と首の付け根が重くなって、気持ちが悪くなります。

最近有った事は 昔からこのようだったので、母が水子供養に行く際も、 いつも置いてきぼりでしたが、 ちょっと、行ってみたくなり、父に頼み子供達と両親5人で出掛けました。

お寺には、他のご夫婦もいらしていて、総勢10人ほどでした。 半円状の天井まである棚に、お位牌がギッシリ並んでいました。

その状態で「あ、まずいかなあ」って思いましたが読経が始まったので、 大人しく正座をし、頭をたれ数珠を手に読経を聞いていました。

読経が終わり前の小さな台にお位牌が出され、 それぞれのご夫婦が拝礼して出て、 両親、子供達の後、手を合わせ拝みましたがその際、つい、言ってしまいました。 「ごめんね」。

私が生まれてすぐ出来てしまったので、優生保護法で水子になった子でしたので、 つい、そう言ってしまいましたが、正直「まずいなあ」って思いました。

そしてそこから帰ろうとしたところ、私を振り返った母が

「Sちゃん、顔、真っ青よ!」と叫び驚き、あわてていました。

「あ~、やっぱりか~またやっちゃったよ~」って思いました。

もう、頭が重くなっていましたから。 すぐ母がお坊さんを連れてきてくれ、例のように 背中に大きな数珠を当てられ、例の呪文が唱えられました。

ボンボン、数珠で叩かれましたが(メチャクチャ痛かった)、 正直

「そんなんじゃだめなのになあ」って思いました。 除霊?が終わり「どう、もう、大丈夫だね」って言われ、母もお礼を言っていたので、

「いや、まだ駄目です」と言ったら、また、痛い思いをさせられると思い

「はい、ありがとうございました」と、そのお寺を後にしました。

が、「まだいるなあ」と思いました。 そこで、申し訳ないですが、あのお坊さんは、眉唾だと解りました。

だんだん、解ってきたのは、 水子でなく、白い着物を着て、長い髪を後ろで束ねているようでしたので、 昔の若い女性だという事。

自分が、何か辛い理由で赤ん坊と生き別れ、探しにあそこに来ていた事。

私が「ごめんね」と言ったので、知っているのかと着いて来た事など。

もう、自分でいつものようにするしかないと思い

「お願いだから出て行って。私は、何も知りません」と心の中で繰り返し言いました。

大津の高速から入って、栗東のあたりまでの間15分ほどでしょうか、 フッと頭が軽くなり、体が楽になりました。

「あ~、出てった~」と思わず言ってしまいました。

「やっぱり~」と娘。 「お母さん何も言わないからおかしいと思った」 父は「本当に嫌な奴だなあ」。

本当に、自分の事ながら、嫌です。 「どう解るの」って何度も、誰からも聞かれますが、解りません。 見える・・・とは違うから。

一番近い表現は、感じるかな?でも、違う。

「三つ目が通る」じゃないけど、三つ目の目で見えるって言うのが一番適しているようです

 

149■トンネル

岐阜の高山に行く途中のトンネルは、本当に恐かった。

入る寸前「ここは、そうとうヤバイ!」って思ったのですが、 急ブレーキを今まで何回も掛けさせて主人に迷惑を掛けているし、 主人に言うと、気持ち悪がられるので黙ってそのまま、車で入りましたが、 やはり、中ほどになって

「お願い早く出て!!」って叫んでしまいました。 主人は

「またか!またか!」って怒ってましたが、 もう、本当に沢山の「良く思っていない気持ち」を感じました。

「恨み、つらみ、ねたみ、憎しみ」の何ともドロドロとしたコールタールのような感じ。

一度、こちらに入ったら出て行ってくれない恐ろしさを感じました。

涙は、出てくるし、頭はだんだん重くなるし、恐ろしくて恐ろしくてたまりませんでした。

トンネルを出た途端、まるで真っ暗闇の底無し沼から出たような安堵した気持ちになりました。

帰りは遠回りして、そのトンネルは通らないよう頼み帰宅しました。

本当に、嫌ですが、こればかりは、自分ではどうしようもないので、 耐えています(笑)

 

150■アンティ―クドール

人形に関しても、写真で見て、「ああ、この子は駄目」っての有ります。

ほかの方に大丈夫でも、どんなに良い物でも、 「あ、この子は、どうしても駄目」って感じてしまいます。

写真では大丈夫、で、購入した後、駄目だった子もいます。

あまりに前のオーナーの思いが強すぎ、私の愛情では勝てないと感じます。

私と波長の合った子、どうしても、手放せなくなった子が今、キャビネットに住んでいます。

私が適わないと思った子も、以前のご主人の「愛」以上に大切にして頂けると信じ、 私以上に愛して頂ける事を願って、お嫁に出します。

だから、私の所有する子でも、古い子は顔が変わっていきます。

一番最初の子がそうでした。 家族は「恐い」って言いました。 でも、大丈夫、この子は変わる・・・と思いました。

「変わる」でなく、「この『思い』に勝てる」が正しいかな? 最近、「この子優しい顔になったね」って娘が言いました。

レプリカでなくアンティークドールに魅せられるこれも、理由の一つです。

本当に長くなってしまいました。これが、私の「恐い」話でした。

151■アラレちゃん

こんなお話では、申し訳ないので、娘が聞いてきた本当に恐い話を。

娘は今、家庭教師をしているのですが、その子が経験した事だそうです。

毎朝、登校する時、古いアラレちゃんの帽子をかぶったジョキングした人に会うそうです。

ちょっと変わった感じの人で、学校でも有名で「アラレチャン」とあだ名で言われていたそうです。

で、誰が一番にその人に「おはようございます」って声を掛けるのか競争だったそうです。(可愛いでしょう?)

ある朝、回りに誰もいなかった中で会ったので、彼女は勇気を持って言ったそうです。

「おはようございます!」 その人は、にこっと笑ってくださったそうです。

彼女は、嬉しくて、学校に着くとすぐ、お友達に得意げに報告したそうです。

ところが、皆、怪訝そうに、彼女を見て何も言わなかったそうです。

帰る頃になり、親友がいぶかしげに聞いたそうです。

「本当に会ったの?」「うん」「本当に今朝?」「そう」「本当に笑ったの?」

「何よ~、人がおかしくなったみたいにぃ」と反対に彼女が怒り出すと 友人は言ったそうです。

「昨日、アラレチャン、亡くなったんだよ」・・・・。

彼女は信じられず、教えてもらったお宅に行ったそうです。

お玄関には弔問のお客さんで一杯だったそうです。

152■ 昨晩も怖い話


■カールちゃん :2003年8月4日< 月>

昨晩、私は友達の誕生日プレゼントを作っていて、 つい熱が入ってしまい、撮りためてあったTVの心霊番組を 見ながら2時過ぎまで起きていました。

なんで、わざわざそんな夜中に怖い番組を見たのか。

でも 私は怖いの好きだし、怖くないので、平気で見ていました。

そして、そろそろ3時にもなろうというころ、私の部屋の電話が なりました。ワンコールで切れました。

そのあと、10分ほどしてからまたワンコール・・・。

我が家の電話は、事務所に親機が付いていて、子機が工場などにあって 私の部屋の電話は、PCをケーブルTVの接続に変えたときに、今まで付いて いた無線の機械が余ったので、だんながつけてくれたものです。

無線でつながっているわけです。 電話がかかってくると、まず、親機が鳴り、次に遅れて子機が鳴り、 最後に3回目のコールでやっと私の部屋の電話が鳴ります。

昨晩も、私の部屋の電話がなる前に2回、他の電話が鳴っているはずで、

「おばあちゃんが起きて出たのかなあ、こんな夜中になんだろう。」 と思っていました。

よく酔っ払いが間違ってかけてくる事があるので そんな事だろうと思っていました。

でも、今朝聞いたら、おばあちゃんは知らないって・・・。

えーーーーーー??!! 怖い番組を見ていたので誰かを呼んでしまったのか、それとも おととい、実家の父の一周忌を済ませたばかりだったので、父が 「早く寝なさい」と言ったのか、それとも、ただの電波の いたずらなのか・・・・・?

でも、私はぜんぜん怖くないです。不思議なだけで。 それでは、この辺で・・・・。

 

153■ お留守番


モモ:2003年8月7日< 木>

 

私が小学4年生くらいの時の話です。

 

友達が、とある宗教の勉強会に通っていたのですが、お話や美しい聖書のさし絵が大好きで、私もくっついて通っていたんです。

大人の方はみんな優しくて、中でもNさんという女性は子供が大好きで、よく自宅に招待してくれました。

あまりハッキリとは覚えていないのですが、リビングの一角にぎっしりと、たくさんのお人形やぬいぐるみが飾ってありました。

「わあ、Nさんすごいね。いっぱいあるね!」 と言うと、Nさんは、お人形の頭を撫でながら

「私はね、子供が大好きなのにこの年まで赤ちゃんができなかったから、お人形が子供みたいなものなのよ。」 と言っていました。

その中に大きめのお人形があったのですが、大きくて少し怖いな、と思ったことを覚えています。

それからしばらくして、Nさんのお友達のKさんという方から、こんな話を聞いたのです。

 

「この前ね、Nさんの家に電話したんだけど、小さな女の子が出たのよ。間違えたかと思ったんだけど、ちゃんと『はい、Nです』って言うのね。 それで、『ママは今おでかけしています』って言うから、またかけますねー、と言って電話を切ったの。 夜にかけ直して、そのことを尋ねてみたんだけど、『Nさん、親戚の子でも遊びに来てるの?』って言ったら 『ううん、それ○○ちゃんだわ』ってあっけらかんと答えるのよ。 ○○ちゃんて、3歳児くらいのお人形なのよ。 時々イタズラで、電話に出ちゃうんだって! とっても大切にしているから、そんなこともあるのかもね~。」

 

それを聞いた時、私はすぐにあのコだ!と思いました。

中学生になると、部活やいろんなことで忙しく、いつの間にかそこへ遊びに行かなくなってしまいました。

大人になった今も、優しいNさんたちに遊んでもらったことは、いい思い出として残っています。

 

今でも、Nさんがあのお人形たちに囲まれて、ニコニコしているといいな…。

154■ 女の子
■チェリー:2003年8月19日< 火>

先ほど子供達とおやつを食べながらお茶を飲んでいましたら、 大学3年の息子が急に思い出したように、

「そういえば、女の子が久々に出た」と言います。

「前にいた子?」と聞くと前にあった騒ぎの(93話お客様)高校生くらいの女の子とは違う、 もっと小さなおかっぱ頭の、昔の子のような気がする、と言って話してくれました。

おとといの17日、山形の田舎の祖父母の所から帰ってきた夜、 バンザイの形に両手を挙げて寝ていた所、ぐいとその手を引っ張られて目が覚めたのだそうです。

「その時何か一言、言ってたけどなんだったかな??三文字位・・・〇〇〇・・・」 息子は考えています。

息子:「殺す・・・・」

私、娘:「ぎょぎょぎょ~~っ、どうしよう、」「お数珠、お数珠」

息子:「とかじゃないなあ、ぜんぜん恐くなかったから・・・・・何だっけ」

私:「すきよ・・・とか?」

息子:「あっ、そんな感じ、なんかそういう・・・うんこ・・・とか、」

私、娘「げらげらげら・・・・、何それ~~~」 (どうやら、息子の冗談か?!)

息子:「・・・あそぼ・・・・そうだ、遊ぼって言った気がする。」

「小さい女の子でお人形位の赤い着物の・・・・あっ、お母さんの市松人形かも知れない。」

と息子が言うので、どの子だか分かる?と聞くと

「見れば分かる」 と言います。

一緒に私の部屋に行ってみました。 「この子だ」 と息子が指したのは、京香ちゃんでした。

「あらま、1番のお気に入りちゃんが遊びに行ったのね」

「1番お気に入り?へえ、そうなの?・・・お母さん、遊んであげてないでしょ。」

「ちゃんと遊んであげてよ」 と、息子に釘をさされました。 最近ぜんぜんかまってあげていないし、

私は鈍感だしで 私の部屋の隣の息子のところに遊びに行ったようです。 京香ちゃん、ごめんね。

他の子達ももっと可愛がってあげないと淋しい思いをしていたのかな。 反省したところです。 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑これが息子を誘いにきた京香ちゃん 

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155■ 私の部屋
■ゆりか:2003年9月16日< 火>

の母は幼い時期から霊感をありあまして・・いやな程、見てしまう体質です。

中でも、祖母と母が同時に見た(体験した)不思議な事がありましたので お話させて頂きます。

恐怖漫画家の友人がいまして、漫画にもなりました。

祖母は12人兄弟の長女でした。兄弟の末っ子が私の母と同じ歳で・・・ (今なら考えられませんよね?!)

自分の子供と同じ歳だったので、自分の子供の様に可愛がっていたみたいです。

でも・・悲しい事に、悩みでも抱えていたのでしょうか?? 家庭をもっていたにも係わらず、今から36年前に首吊り自殺しました。

ちょうど私の弟が誕生した翌日に亡くなったので、母は病院でその知らせを受けた事になりますが・・

実は、来たらしいのです。自殺したその日に・・

寝付かれずベットで本を読んでいたら 母の名前を呼んで、

「頼むね、頼むね」って足を押す様な感覚と声が聞こえるらしいのですが、姿が見えない。

「どうしたの?どこにいるの?」と母が呼びかけても、だた「頼む頼むね・・」と、言っているだけで・・

おかしいな?と思って時計を見たら、深夜12時を少し廻った時間で・・

こんな時間に病院に入って来る事は出来ないし、出産の後だったので、疲れが出たのかと思い、 そのまま眠りに入ったそうです。

次の朝、母の妹が直接病院に来て、叔父が自殺した事を話したそうですが・・ その時、昨夜お別れに来た事を察知したそうです。

その後、弟をつれて家に戻り、初めて家で3時間置きの離乳を始めた深夜、お乳をあげていて 誰かの視線を感じて、部屋の戸の方を見たら・・

戸が開いていて叔父さんが笑顔で覗いていたそうです。

弟の顔を見に来たのだと思ったそうです。 実は・・叔父さんが部屋を覗いているのを廊下側から偶然に、祖母も見ているのです。

同じ時間に2人揃って、叔父を目撃した事になります。

随分大きくなってから聞かせられた話ですが、覗いてた部屋は後になって私の部屋になったので 結構怖くて少しの間、明かりをつけないと眠れませんでした。

私は母の体質を継がなかったみたいで、全然何も感じない人です。

156■ 今年もまた
■ゆりか:2003年9月25日< 木>

今お彼岸の季節なのですが・・ 今頃、季節外れの、お盆のお話をさせて頂きます。

 

私は生まれ育ちが東京都でして・・ 母方の祖父、祖母とズーっと・・同居して住んでいました。

祖父が長男という事もあり、仏壇も当たり前の様にありました。

お盆の初日に「お迎え火」を玄関前で焚いて、ご先祖さまの魂を 家にお迎えするのですが・・・・

これも毎年恒例(失礼かも)の事で 特別、気も入れず行っている感じでした。

出掛けていて、参加しない年もありました。

ある年、母が朝起きて来るなり

「昨日の夜は、すごかった!」

と・・ 何気に言ったので、なんの事か?解からずに

「何が?」

と聞き返したら

「家が壊れるかと、思う位に揺れた!」

との返事でした。

地震でもあったのか?と思いましたが・・地震嫌いな私が気が付かない訳がないので、 少し不思議な顔をしていたら・・・

「大勢でいっぺんに帰って来たからね!」

と、相変わらず解からない答えだったのです。

が、 ご先祖さまの魂が家に帰って来たみたいです。

そりゃー、いつ頃か解からない位前から、家のご先祖さまは存在していたわけですものね?

! 大勢でしょう・・・?! 初めて、母から聞いた事だったので

「毎年そうなの?」

と聞いてみたら、毎年だそうです。 最終日には「送り火」を焚くのですが・・・

やはり、帰るみたいです。 この話を聞いた翌年からは、ご先祖さまに感謝する気持ちで必ず参加しています。

昔からの慣わしは大切なのを感じた出来事でした。

157■ そう言えば、・・・
■ゆりか:2003年9月28日< 日>

「虫の知らせがあった」なんて言う人がいます。

色々なケースがあると思いますが・・・ 久しぶりに友人が家を突然たずねて来て

「どうしたの!?」と 思った瞬間に電話の音が鳴り、その電話が今来た友人の訃報で

「えっ!?」と思った瞬間には誰もいなかった・・みたいな・・。

家の親戚関係に不幸があると、必ず!後先なく、母の処へ 挨拶(自己連絡?)に来るみたいです。

もう慣れっこになった母は、1つ気が付いた事がありました。 それは、挨拶に来る「きかた」なんですが・・・・

生前の性格がそのまま、出るみたいなんです。

父の兄が突然の車事故で亡くなった時は、2階の寝室まで 笑って大声を張上げながら(何を言っていたかは聞き取れない) 階段を勢い良く「どんどんどん」と上がって来ました。

生前、とても明るく体育系だったお兄さんの性格が良く出ていたと 言っていました。

叔母の時は、長い間入院生活を送っていたせいでしょうか? そっと、窓の外から手を振って消えたそうです。

でもひとつ共通しているのは・・ そのような現象が起きる時は、一瞬にして冷たい空気(冷気?)に 変わる事だそうです。

その冷たさが、なんとも馴染めないような感じで。

昔から良く言われている「なま暖かい風が・・・」というのはウソだ! と言っています。

生きていた時の性格が出るなんて・・心配です(^^;) 良い具合に出てくれれば良いな~~と思いましたが・・・

自然の法則で行けば、母の方が先に逝くと思いますので、余計な心配でした。

一緒に住んでいた祖父が亡くなった時にも不思議な事がありました。

昏睡状態に落ち入り、そのまま病院で息を引き取りました。

もちろん容態が解っている親戚は、夜中だったにも関わらず何が起きても 対応がすぐ出来る様に待機してくれていました。

母はまず、一番近所に住む叔母(祖母の妹)の家に臨終の電話を入れました。

電話口には叔母が出て

「急いで主人と病院に行くから。」という返事が 返って来ました。

その後、親戚何軒かに連絡をし・・病室に戻りました。

2時間位病院での手続きにかかり、その間にも親戚の方が見えてその対応にも おわれていましたが、一番始めに知らせた叔母夫婦が一向に来ない。 病院まで車で10分もかかる距離ではないのに、おかしいな?と思いつつも きっと自宅の方に行って、待機してくれているのだと思ったようです。

自宅では、私の父と弟との3人で病院からの搬送を待っていました。

「あれ?叔母さん達は?」と母が聞いて来ました。

「まだ来てないよ」と答えると・・ 「おかしいな?すぐ来るって言ったのに・・叔母さんの処へ電話してみて」と・・ 私は叔母の家へ電話をしました。

すぐ!叔母が電話口に出て来て

「どうした?おじいちゃんはダメだったかい?」と、先に話しを切り出されました。

「あれ?ママさんが病院から臨終の電話を叔母ちゃんの家にしたのに、なかなか 来ないって心配してるから、また私が電話したんだよ。」と言ったら

「電話なんて来なかったよ!」との答えが返って来たのです。

祖父の容態が気になっていたので、叔父と息子3人、電話がある部屋で待機していた みたいなのですが・・・

1度も電話は鳴ってないと、言うのです。(待機していた他2人も・・・) その電話を母が変わり、説明をしていました。

母は、絶対!叔母が電話口に出た。と言うのです。 声を聞き間違える事は考えられないし、祖父の事に対して返事が返って来たし・・と。

では、だれが電話に出たのでしょう?? 悪戯好きだった祖父の仕業でしょうか? いまだにその真相はだれも解りません。
 

158■ あなたも気をつけて・・・
■後ろの正面:2003年10月2日< 木>

私の母は、若い頃から霊を見る不思議な力があったそうです。

そんな母から生まれた私ですが・・・そんな力はないと思っていました。

でも・・本当は感じることができたようです。 よう・・ていうのは、私自身はそれが普通だと思っていましたから。

やっと言葉が話せるようになった頃の私は、いつも神社や仏閣、 そして墓地やお地蔵さんのおられる 場所がわかっていたようです。

車の中からその場所を教えては、母を驚かせていたとか。

それは母もはじめて訪れる場所で、私もはじめてのはずだったから。

そして・・その感じる力を私が持っているとは、その頃の母はまだ気がついてなかったから。

ものごころついてからの私は、因縁のある場所にいくとそこで不幸な亡くなり方をした方や 場所を感じ ることができるようになっていました。

でもそれはいつものことなので、私には別になんの違和感もなか ったのです。

だって映像でみるわけではなかったもですもの・・。

そんなある日のこと。まだ高校生のころの私の話です。

夏休みもあって、めずらしく家でくつろいでいました。

その日は父もしらべものがあるとかで、早めに家に 帰ってきてたのです。

そんなとき・・家のインターホンがなりました。

父に「手が離せないから出てくれ」といわれ、玄関にでてみると、 そこにはバイトにいったはずの兄の姿が・・。

私「な~に?バイトは?」 青ざめた顔でうつむく兄は無言のまま。 まったく~って思いつつ、奥に入って数分後のこと。

父「誰がきてたの?」

私「兄さんが帰ったんだよ」

父「・・だれもいないぞ」 驚いた私が玄関に出てみると・・玄関は開いたままの状態。

もちろん部屋にもだれもいません。 背筋に寒気を感じつつ、「また出かけたのかも」言い聞かせ、 夜に本人に確認すると、何にもしらないとのこと。

兄「ただ・・その時間はやたら体がだるくって気持ちがわるくって バイト先で横にならせてもらっていた」とか。

では私の見たあの兄の姿は・・・。

その頃から兄にも不思議なことがおこるようになっていったのです・・。

159・160

■ゆりか:2003年10月3日< 金>

  ■真夏の空

母がいわゆる「霊感?」を感じるようになったきっかけを、お話したいと思います。


約53年前の小学生の頃です。
家が酒屋を営んでいましたので、今で言う「両親共働き」の環境で育ちました。
昔の商人は今と違い、儲かっていたみたいで・・普段は女中さんが身の回りの世話を
してくれていたみたいです。(うらやましい限りです!)
夏、冬の時期は女中さんも故郷に里帰りする為、ちょうど学校がお休みに入った頃は
だれも世話をやいてくれる人がいなくなります。
祖母の実家がある千葉の房総に休みの間中、行かされるはめになっていました。
初孫だったので、大歓迎されるみたいなのですが・・
大好きだった祖父が亡くなってからは、以前の様には大喜びで

「早く行きたい!」
という、感情はなくなっていたといいます。


まず現地に着いてから、真っ先に祖父のお墓にお参りに行くことになっていました。
祖母の実家の裏なので、1人で行ってたみたいです。
本堂はあるのですが・・田舎なので、小高い丘を利用してお墓にしていました。
その日もいつも通り、本堂で顔見知りのお坊さんにお線香を頂き、丘の蛇行した道を1人、祖父のお墓を目指して歩き初めました。
でも、ひとつだけ違っていた事があったのです。
「帰りに寄りなさい。お饅頭を用意しときますから。」と、お坊さんに声を掛けられた直後、
本堂の扉が開いて・・ものすごい量の煙が出てきました。
母はお線香の煙だと思い、特に気にしなかったみたいなのですが、匂いがしなかったのが
ちょっと不思議だな、と思ったみたいです。


いつの間にか、その煙に包まれて視界が利かなくなる程になったそうです。
上を見ると、真夏の青空が広がっていて・・自分の周りだけ煙で視界が利かない。
さすがに怖くなり、大声でお坊さんを呼びました。
「どうしました?」と、お坊さんの声が聞こえた瞬間、何もなかったようにいきなり視界が広がり
セミの声がうるさい位に耳に入ってきました。
あれだけ大量にあった煙はなくなっていました。
少しパニックになりながら、お坊さんに話をしたらしのですが、全然信じてもらえなかったと言っています。
この事がきっかけで、色々感じるようになったと母は思っているようです。


しかし、この後・・祖父のお墓参りをシッカリしている母は、この頃一緒に・・・・
現在の「たくましさ」
も兼ね備えたみたいですね。


 ■そうとは知らずに・・・・

私は父譲りの脳天気で、母のようには、まったく!何も感じない人です。

自分でも「ここまで???」と思う位、悲しくなってしまったことがあります。
年頃になった私は、以前から欲しいと思っていた、アンティーク風の鏡台を買ってもらう為に毎日、しつこい位に両親を説得していました。
自分では買えない位の高額だったので、それは必死で訴えました。
その鏡台を「嫁入り道具」のひとつにして、結婚する時は買わない約束をさせられました。
念願が叶って、部屋にむかえ入れた時の感動は、今でも覚えています。
もちろん!部屋のメインに配置して、毎日眺めては笑みを浮かべていたように思います。
ある日、大学から帰宅した私はある異変に気が付きました。
一枚板のガラスに、布がかけられていたのです。
母がやったと直感した私は、「勝手に余計なことをしないでよ!」と怒りました。
特に母は何も返答しなかったと思います。
映画に出てくるように、大きな鏡台の鏡の前に綺麗な香水瓶を並べて置いておきたかったのです。
それから随分たったと思いますが・・・やっと母が話を切り出しました。
私の部屋は2階の一番奥にありました。
隣は両親の寝室です。


「道が出来ているのよね。気が付かないの?」と・・・・・
両親の寝室の窓から私の部屋の鏡台の鏡の中を通過して「霊道?」が通ってしまったというのです。
「あなたの部屋の鏡台の鏡に吸い込まれていってんのよ。どうするの?」
どうするの?っていわれても困ってしまったのですが・・・・
鏡台の向かい側にベットを置いていました。
どうも、ベットで寝ている私を皆さん?踏みつけて、鏡に吸い込まれて行っているらしいのです。
そんなことになっているとは、夢にも思わなかったし、全然感じなかった私って・・なんでしょうね??
 

母が鏡に布をかけたのも、それが原因でした。
いつか私が気が付く、と思っていたらしいです。(すみません気が付かず。)
それからはさすがに布をかけて、少しの間ですが盛塩をしました。
昔の鏡には必ず!布がかけられていますよね。
三面鏡は鏡を隠すはたらきがあります。
やっぱり!意味があるんですね。鏡の中には別の世界が広がっているのかしら??
結婚した今も、大切にこの鏡台を使っています。もちろん!布をかけて・・・。

161■ 人形供養の話
■百合式部:2003年10月3日< 金>

金沢文庫に称名寺というお寺があります。

北条実時の菩提寺で有名ですが、このお寺の中に“新宮堂”という小さなお堂があります。

今から三十年前ごろ、このお堂の扉が開いていて、このお堂の中に市松人形、 西洋人形、こけし人形、等が所狭しと置かれていました。

当時、訪れた時は気味が悪くて通り過ぎましたが、聞くところによりますと、若くし て亡くなられた人の、愛用の人形が多いということでした。 自宅の部屋に置いていても、故人の思い出と夢ばかりが出て悲しみ、ここに供養 してもらうために親族の方が置いて行ったとのこです。

当時の画像が有れば、かなり薄気味悪い状況もわかるのですが、残念なことに 有りません。

現在、扉が閉まっていますが、当時の面影が残っていましたので、その画像を 送ります。

しかし、あの膨大な人形類は横浜市が公害防止のため、“焼却処分”にしたそうです。

称名寺は現在、横浜市が管理しています。

今にして思えば、市松人形等は相当な高価なモノですが、 親族の願いを考えるとやむを得ないことでしょう・・・。

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162■ 再開
■ゆりか:2003年10月16日< 木>

20年来の友人がこの間、やっと!結婚しました。

本当に良く遊びました。

私は東京出身なので、ひとり暮らしが必要なく・・・この友人がひとり、独立をしたので良く、 家におじゃましました。

とてもモダンな造りの一軒家で、東京23区内に良くこんな物件があったなと・・感心した記憶があります。

大家さんがお年で、自分の住まいの半分を賃貸している変わった家でした。

部屋にレンガ造りの暖炉があったんですよ!ビックリでしょう???

経済的な理由と、部屋数があったので・・後にルームメイトを募って2人で住んでいました。

このルームメイトの彼女とも、友人が縁で仲良しになりました。

いつものように、週末を友人の家で過ごそうと、遊びに行ったのです。

暖炉があった部屋を、ルームメイトが使用していたのに、荷物が何も無くなっているんです。

「あれ?彼女どうしたの?」と聞くと

「引越したよ。」という返事が返ってきました。

だって・・入居してからまだ半年も経ってないんですよ。

あまりにも急なことだったので、何かトラブルが発生したのかな?と思い、それ以上何も聞きませんでした。

女同士の共同生活は難しいと言いますから・・・・・。

そんなこんなで月日が経って、私の記憶から離れて行きかけていた友人の結婚式で、そのルームメイト だった彼女と、思いもかけない再会をしたのです。

本当に久しぶりだったので、話しかけてくれなければ解かりませんでした。

(友人と交流が続いていたんだな・・と、なんだかホットしました。)

私 「あの時、急に越したからビックリしたんだよ。」

ル 「あーそうなんだ!ごめんね。○○ちゃんから理由聞いてないの?」

私 「うん・・なんかあったのかな?って思って聞けなかった。」

ル 「あそこの家ね・・・出たの・・・私の部屋は特に・・・」

私 「出たって・・もしかして幽霊?」

ル 「そう!夜寝ようと思って電気消してしばらくすると、天井一面に何十もの顔が浮かぶの・・・・ 暖炉があったでしょ?あれ違和感感じなかった?気持ち悪いの。」

私 「・・・・・・・」

ル 「玄関の横にお風呂があったでしょ?私が仕事から帰ってきて玄関の鍵を開けようとしてるとね 中からシャワーの音と風呂桶の音がするので、○○ちゃんが帰ってきてお風呂に入っているのかな? と、思って声をかけると・・・電気が消えていて誰もいないのよ。」

私 「・・・・・・・」

ル 「○○ちゃんに、ここ出ようよ!って言ったんだけど、感じなかったみたいでね。悪いと思ったけど・・・ 私ひとりで出たの。」

私 「え・・・・私、何度も泊まったけど・・・」

ル 「○○ちゃんの使ってた部屋は出ないから、平気だったんだね。」

私 「お風呂も入ったよ。」

ル 「・・・・・あそこ人がいるよ。」

まさか・・・こんな話が聞けるとは思っていなかったので、ビックリです。 友人は彼女が越してから、1回目の更新まで住んでいた記憶があります。 強かったのかな????

163■ 家相
■ゆりか:2003年10月20日<火>

以前、「私の部屋」のお話しの中で、漫画家の友人がいると書きました。

今日は、彼女の仕事場のお話をします。

 

東京近郊に友人の仕事場がありました。

この家は、お父様が長女次女の為に、将来結婚した時に、実家の近くに どちらかが所帯が持てるように、購入した一軒家です。

まだ、結婚してなかった友人は、この家を仕事場で利用していました。

時間が不規則な仕事の為、住居も兼ねていたんです。

仕事が立込んでいる時は、アシスタントさんが何人かいました。

この家は「出るハウス」と、アシスタントさんの間で呼ばれていたんです。

 

弟さんが最初の体験者になりました。

遊びに来てて、誰も使用していないお風呂場からシャワーの音が 聞こえたり、湯船にお湯を溜めている音が聞こえたりしたみたいです。

ラップ音もけたたましく、耳をふさいでしまう位鳴り響き、まともに睡眠を取れないらしいです。

アシスタントさんの中には、もちろん!霊感の強い人がいて 仮眠をとる2階の日本間で、寝ている時に首を絞められたり・・・

裸足の足だけを見た人もいました。

階段を上がり下りしている足音を聞いたり、感じる人にしてみれば恐怖ですよね。

友人のお母様が心配して、お寺の坊さんに相談したらしいのです。

祈祷が出来る方が家を見にこられて、色々調べているうちに・・・

どうもこの家の玄関が「表鬼門」にあって、お風呂場が「裏鬼門」で、霊道が出来ている、 最悪な家相になっていたみたいです。

建替えが出来ないから、その霊道に沿って「お札」が何十枚と張られていてそれを見るだけでも、 異常さを感じます。

また、友人は怖い話の漫画を主に描いているので、呼んでしまうらしいです。

この家で仕事をし出してから、取材先で霊写真を撮ってしまいました。

お隣の家も、まったく同じ方角で、同じ造りなんですよね。

実は・・・・もう4家族も変わっているとの事です。

分譲ですよ!半年も住まないで越してしまう家族もいるみたいで・・・・

あまりにも持ち主が変わっている為か?! 家を買おうと思って見に来る人が不信に思い、友人の家に事情を聞きに来るそうです。

でも「出るから越した・・・」とは言えないですよね。 格安の家は購入しない方が良いですよ!!

今、友人は別の仕事場を借りて、漫画を描いています。

お父様が仕事の事務所として、その家を使っていると聞いています。

164■ 集団体験


■ゆりか:2003年11月6日<木>

 

遠い昔、母が女子高校生だった時に体験したお話です。

高校2年の春、クラス替えが終わり、新しいクラスメイトとの親睦を兼ねて 3泊の東北旅行が学校行事になっていました 。

東北を縦断して、最後に山形へ入りました。

古い温泉場に宿があり・・・かなり大きな木造建ての日本旅館で、旅館の裏手に川が流れていたと 母は記憶しています。

この宿の大浴場で、とんでもない体験をしてしまいました。

長い渡り廊下を下った先が浴場になっていて、20人はユウに入れる大きい浴場だったそうです。

母は浴場からひとり先に上がって、脱衣場で髪の毛を乾かしていました。

浴場には8人位がまだ入っていました。 中の浴場から、大悲鳴が上がり・・・何人かが大急ぎで脱衣場の方へ上がって来ました。

母がビックリしたのと同時に、その中の何人かが

「顔が浮いている!!先生~!!」と泣きながらその場にしゃがみこんでしまったのです。

浴場の入口で監視してた先生が悲鳴を聞いて、飛び込んで来たので、母も一緒に 浴場を見に行くと、大きな丸い浴槽の上に4~5個、顔が浮かんでいたと言うのです。

それも・・・散切り髪のお侍さんの顔が・・・。

中で、腰を抜かして動けなくなっている友人も何人かいて、それは大騒ぎになったようです。

中から避難して来た友人を追いかけるかの様に、今度は脱衣場の通気口にも「その顔」が浮き出しました。

旅館の人も大騒ぎになってしまい、少しの間、収集がつかない状態になってしまいました。

女子だけの学校だったので、先生の中には外部の人が何人かで、浴場を覗いたのを湯煙で たまたま顔だけが、強調されてしまったのではないか?との意見も出たみたいなのですが・・・

実際見た人は、浴槽の上に浮いて・・・・窓の外ではなかったと・・・・。

それに、侍の顔だったと・・・・。

実は、窓の外からは絶対に覗けないのです。 外は川が勢いよく流れていて、人ひとり立つ場所もないのです。

結局、別の旅館に移る手配で先生方は忙しくなり・・・ なんで、あんな事が起きたか?旅館側からの説明もないままだったそうです。

「なんて名前の旅館だったの?」と、私のしつこい質問に母は 「全部ひらがなだったかな?」と、あやふやな回答で終わりです。

165・166■ 高校のお話(前・後編)
■ゆりか:2003年11月14日<金>

■前編

私が通った女子高は、誰もが知っている東京の大繁華街にありました。

そんな環境にありながら・・・色々と曰く付きの話には事欠かない高校でした。

建物自体、信じられない事に以前、そこにあったであろう病院の建物をそのまま 使用している。との噂がありました。

実際!メインの玄関は、良く一般に目にする病院の待合い室のようで・・・ 薬の受け渡しを先程までしてたかのような、開閉窓・薬棚がありました。

そこの部屋は、総務・経理部として使用されていました。

メインの玄関から続く長い廊下の左右には教室があり、診察室のような造りで 全ての教室には中庭方向にベランダがあり、行き来できるようになっていました。

最上階の教室に至っては、窓に錆びた鉄格子が取り付けられていました。

「隔離室」だったのではないか?との噂がありました。 特別教室(理科室や美術室)などは、部屋に入る扉が全て二重で、ぶ厚い鉄で造られ ていました。

「これって・・・手術室・・・?」と想像をイヤでもかき立てられました。

怖い位にほとんどが一致するので、同じクラスのみんなと「霊安室は?」という事に 自然になりました。

一般の病院は、ほとんどが地下にありますよね? この学校の地下は、学食と焼却室がありました。

学食の入口も二重の鉄扉でした。 調理場の奥に、何か大きな作り付けの棚が上下2段あったと記憶しています。

なんであんな棚が調理場に必要なの? 遺体を安置するのに適度な高さと広さがある・・・・。

など クラス中で大騒ぎしましたが、そこまで残しておくとは考えられませんでした。

その後学食は、卒業する前に家庭科実習の調理室に改装されました。

実は・・・私自信、焼却室が気になっていました。

生徒が学校にいる時間はもちろん!クラブ活動で休日登校する日も必ず・・・ 見張りの叔父さんがいました。

特に、用務員の方でもありませんでした。

教室のゴミを焼却室に持って行くと、叔父さんに手渡しして、なかなか中の方まで 入れませんでした。

焼却炉の煙突の奥に、いつも立て掛けてある古い板がありました。 その板の向こう側に、錠がかかっている鉄の大きな扉が見えていました。 扉の向こうには部屋でもあるのか?と気になりました。

その扉を開けて中を見たのが学校に解れば、退学させられると・・・ 生徒が開けないように、見張りの叔父さんがいるのだと・・・先輩から聞きました。

そんなにヤバイものがあるのかと・・噂はつきませんでした。

私は、そこが霊安室の入口なのではなかったのかと、今でも気になっています。

高校の近くにある病院と、高校が地下道でつながっていて、その道の出入り口が 焼却室にある鉄扉だと・・・いっている先輩もいました。

これには根拠がありまして、図書館に行って昔の古い地図を調べたら、高校が 近くの病院の敷地内だった事が解っています。

この話を読んで、同じ高校に通っていたという方が、もしかしたらいらっしゃるかも しれませんね。

後編は、この高校で私が在学中に実際に起こったお話をさせて頂きます。

2003年11月18日<火>

■後編 

1年生の秋でした。

学校内で衝撃的な「集団体験」がありましたのでお話します。

2棟の校舎に分かれていて、棟の間が中庭になっていました。

その庭の隅に、古めかしい感じのする池がありました。

岩で山が築かれていて、岩の隙間から水が流れ落ちている・・・ あまり、女子高のイメージにそぐわないものでした。

その池の向い側に音楽室があって、唯一、全面のガラス窓から中庭の もようが見え、教室の窓からダイレクトに中庭に出入りが出来ました。

確か、2時間目の授業中だったと思います。 教室の外廊下が、やたらと騒がしくなりました。 クラスの斜め前が職員室(^^;)だったと思います。 授業をしていた先生が我慢出来ず、教室から廊下に顔を出す程の 騒ぎになっていました。

先生 「騒がしいですが、何かあったのですか?」

別の先生「音楽室で何かあったみたいです。」

先生 「自習!」と言って、出て行ってしまいました。

窓から音楽室の方を見ると、すでに先生と沢山の生徒が集まっていました。

ちょうど、音楽の先生が両脇を抱えられながら出て来るのが見えたので・・ これは何か事件??とクラス全員で見に行きました。

私 「どうしたの?何かあったの?」と、先に来ていた別クラスの子に聞くと

別ク「授業を受けてた子が、噴水の岩のところに人の顔が浮かんでいるって 授業中に突然!泣き出したみたいでさ・・」

私 「うそでしょ?」

別ク「そうしたら音楽の先生と授業を受けてた子、ほとんどが見ちゃったらしいよ。 保健室にみんな運ばれた。岩から落ちている水も赤色になったらしい・・・ 顔は今でも見えてるみたい!」

私 「え!どこどこ!!?」と私が言っている矢先に、周りにいた友人が

友人「あそこ、顔じゃないのぉ~~」と指を指しながら、パニックになっていました。

何度も目をこらして見ましたが、私には見えませんでした。

男の先生がどこからか大きな布を持って来て、3人がかりで池の岩を覆い始めました。

保健室に入りきれない生徒が、廊下で毛布に包まって、うずくまっている光景は・・・ 異様でした。

顔を見た友人の話だと、頭に包帯を巻いた男の顔が、笑いながら出たり消えたりして いたと・・・

笑い声まで聞こえた子もいました。 実は2年生になって、この時の音楽の先生が担任になったのです。

話しを聞き出そうとすると、顔色が真っ青になって教室から出て行ってしまうので、 どうしても聞き出せませんでした。

その後、池は解体され、花壇になりました。 委員会でお世話になっていた先輩の話です。

この学校では色々と不思議な事が多いらしく・・・ 夏休みの泊まりで行われるクラブ合宿は「恐怖」だと言っていました。

廊下を看護婦が歩いていたり、車椅子に乗った人を見たり、 セーラー服にモンペ姿の女の子が立っていたり、 学校のトイレは怖くて、夜なんか行けないよ!と・・・。

特に体育館のシャワー室で聞いた子守唄は、しばらくの間、 耳から離れなかったと言っていました。

これも5人で体験しています。 シャワーを浴びていた先輩は、どこからか声が聞こえているのに気づき、 耳をすますと、子守唄だと解りました。

外で洗濯をしている友人達が子守唄を口ずさんでいたと思ったらしく・・

「別の歌、唄えば!!」と中から怒鳴ったらしいのです。 洗濯している方の子達は、シャワーを浴びている先輩が、子守唄を唄っていると思い、 何でこんな歌を唄うんだろう・・と思っていたというのです。

どちらも唄っていない事が解った時は、本当にゾ~~~~ッとしたと言っていました。

それからは、顧問の先生に引率を頼まないと、怖くて入れなかったそうです。

今、この高校は・・昔の面影はなく、近代的なオフィスビルのような建物に 建て替えられています。

学校名も変わり、中高一貫教育の共学に変貌しました。 過去を封印してしまったようです。

地下にあった焼却室は一体、どうなったのでしょう? すごく気になります。 扉の向う側には、何があったのでしょうか・・・・・。

167■ 影
■チェリー:2003年12月19日<金>

昨夜の事だ。 夕食後家族で談笑していると、娘が 「今日、学校でね・・・」と、話しはじめた。

 

娘は都内の女子大に通う1年生だ。

クラブは文芸部に所属しており、部室は校舎の4階にある。

 

昼休みの午後一時頃、娘は部室に向かった。

廊下の右側の壁には各クラブの部室の入り口のドアが並んで続いている。

突き当たりの方向には窓があり、明るい光が差し込んでいた。

そして、光の届かない廊下の手前は暗い陰になっている。

廊下を歩く娘は、ちょうど陰の中から光の射す領域にさしかかるところだった。

その時、前方から壁に映った人影が大急ぎで廊下を横切り、部室のドアに入っていくように消えたと言う。

小柄な若い女の子の影で、ポニーテールに結った髪型だったそうだ。

見渡しても廊下には誰もおらず、4階の窓の外に誰かが立てるスペースも無い。

何より、遠くの影が映ったというより、目の前を誰かが通ったように感じたと言う。

 

「お前、それは誰かが通ったんだよ、お前が見えなかっただけで。」 と、息子が口を挟んだ。

「やっぱりオバケかな?・・・何だったのかな?あれ?」と娘。

「それは、やっぱり霊とか、そういうのじゃないの?」と私。

「でも、全然怖い感じじゃなくて、不思議だったけど、・・自分が信じられなくて・・・」

 

「部室に入ったら、ショートカットの先輩が1人いただけで、ポニーテールの人は居なかった」 と、娘は言う。

娘はその場にいた先輩には何も言わなかった。

部室のある場所は何だか淋しい感じがするので、冗談で

「この場所、絶対出るよ~」などと言い合ってはいたが、これといった話が伝わる訳では無い。

ポニーテールの影の正体は知れないが、

「お母さん、あんまりこの話、面白がって書かないでね、」

「だって、私と同じ位の年の女の子だったもの・・・面白がったらかわいそうだよ。」 と、娘に言われた。

 

書いてしまいましたが、面白がらないように心したつもりです。

「でも、幽霊って影があるとは思わなかった」 と娘が言っていました。

霊感が無いと普段から言っている娘にしては珍しい霊体験でした。

168■ 透き通った子


モモ:2003年12月21日<日>

私が中学生の時に、仲良くしていた友達の体験談です。

とても可愛くて、頭も良く、男の子からも人気があったTちゃんは その見かけからは似合わない、いわゆる霊感体質で 怖い話が好きな私に、よくいろんな霊体験を語ってくれました。

その中でも、特にゾッとした話を紹介します。

Tちゃんが、小学校2年生の時でした。 習字教室に通っていた彼女は、教室の帰り道に必ず寄り道をしていました。

それは、とある一軒家に飼われている、可愛い犬に会うためです。

その日もいつものように、Tちゃんは犬と遊んでいました。 犬も彼女を覚えていて、とても甘えてくるのだそうです。

犬が繋がれていた場所は、その家の台所の窓の下でした。 楽しく遊んでいると、ふと、その窓のあたりに人の気配を感じます。

Tちゃんが顔を上げると、同じ年くらいの、おかっぱの少女が頬杖をついて顔を出していました。

(あ、騒ぎすぎたかな、家の人が覗いてる・・・恥ずかしい!)

Tちゃんはそう思って、その少女に挨拶をしようとしたのですがおかっぱの少女は、こちらに視線を向けてはいませんでした。

青白い顔に、やたらと黒い瞳が、キョロリ、と右と左を交互に見ているだけ。 体はピクリとも動かさずに。

(なんか・・・この子・・・変?) その瞬間、Tちゃんは気が付いたのです。 おかっぱの少女の体から、台所の棚のお鍋やフライパンが透き通って見えていることに。

これは、この世のものではない、目を合わせてはいけない! そう悟ったTちゃんは、そっと、その場から立ち去ったそうです。

霊というものを見たのは、この日が初めてだったらしく それからというもの、霊がいることが当たり前になったといいます。

Tちゃんはあの日以来、せっかく仲良くなった可愛い犬に会う勇気がなく、

「あのコ元気かなあ」と寂しそうにしていました。

169■ 純真


モモ:2004年1月19日<月>

友人の子供のお話です。

3歳になり保育園に通う、元気な男の子です。

お母さんの仕事の関係で、彼のお迎えはクラスで一番最後になってしまいます。

その間、クラスの先生と絵本を読んで待っています。

ちょうどお雛祭りが近い事もあり、保育園の玄関先にお雛様が飾られていました。

お母さんが先生と今日の様子を連絡帳を見ながら話し込んでいると・・・・

「ねえねえお母さん」と彼が呼びに来ました。

「もうすぐ帰るから、靴を履いて待っててね。」と返事すると

「ねえねえお母さん!お雛様って生きてるの?」

「えー?!なんで?」と先生と2人で顔を見合わせてビックリしてると

「今、僕を見て笑ったから・・・」 あまり突然の事だったので、先生と2人無言になり・・

雛人形を見に行ったみたいですが 特に変化はなかったみたいです。

何気なさが怖いですよね。

 

実は・・霊感がない私も、1歳の時に家族を驚かせた事があります。

祖父母の部屋に、おじいさんの顔の能面が飾ってあったらしいのですが・・・

母が目を離すと、必ずそのお面の前に座って、まだ言葉になっていない言葉で お面とおしゃべりをしていたみたいなんです。

祖父母の部屋は2階にあって、階段という難所があります。

1歳の子がいつ?どーやって階段を上って行くのか?母はさずがに怖くなったと言っていました。

怪我をしてからでは遅いので、そのお面を押入れにしまったそうですが・・・

なんと今度はその押入れの前に行って、一生懸命しゃべっていたみたいです。

祖父が気に入って大切にしていたお面でしたが、私のこの一件があって、親戚の家に預ける事に なりました。

後なって、このお面を見た事があります。 祖父が亡くなって、親戚が預ってたからと・・返しに来ました。

その時に、母から話を聞いた記憶があります。

お面は白いアゴヒゲを生やしたおじいさんで、優しく笑っていました。

170■唐人お吉の供養


■百合式部:2004年2月5日<木>

昔毎年3月27日に伊豆下田の“お吉ケ淵”で、「唐人お吉」の“供養祭”が行われます。

皆様もご存知の、あの「唐人お吉」に関するお話をさせていただきます。

 

「唐人お吉」は、米国の初代駐日総領事である、タウンゼント・ハリスの“侍妾”(じしょう) として有名ですが、真実は違います。

詳しいことは、「唐人お吉」で検索すると、たくさんのサイトが出てきますので、割愛 させて頂きますが、薄幸だったことは間違いありません。

「まえがき」として、ちょっと生い立ちを追ってみますと、 愛知県は知多の港の近くで、船大工、市兵衛の次女「斉藤きち」として生まれ、 四歳の時に父親の仕事の関係で下田に移り住みます。

七歳の時には他家へ養女 として出され、養われます。十四歳で“芸妓”となり、十七歳の時に当時の下田奉行 の命により、“侍妾”としてハリスの身の回りの世話をするということで、出向きます。

しかし、実際はハリス自身が当時、重い病を患っていて、幕府に対し“看護人”を 要請をしたのですが、幕府側には英語が出来る通訳の者が居らず、ハリスが雇っ たヘンリー・ヒュースケン(オランダ人)に、その通訳を依頼します。

そこで、どう間違ったのか、幕府側は“侍妾”の要請がある旨、誤解をしてしまう。

だが、当時の通訳も問題があったと思われます。(この、ヒュースケンは後に尊皇攘夷派の 薩摩藩士に斬殺されます)

そんなわけで、「お吉」は出向きますが、顔に“腫れ物”があるということで、わずか 三日間で返されます。

ハリスはクリスチャンで慈悲深い人であったと云われ、その “腫れ物を心配されて返したとされています。

従って、“侍妾”の関係は無いと言わ れています。また、ハリスは生涯独身を通して、七十四歳で亡くなっております。

 

さて、その「お吉」ですが、幕府から最初、大金二十五両を受け取ったとされ、また、 手れ金も三十両が出たとも云われています。

当時の庶民の生活から考えて見れば 破格の金額となり、それで嫉(ねた)まれたり、蔑(さげす)まれたりして、しまい には「唐人お吉」とか「ラシャメン(洋妾)」と言われ、不遇な女性に陥落していきます。

晩年は下田で酒癖の悪さや、哀しい性格が災いして、乞食までに身を落とし、明治 二十四年三月二十五日、豪雨の夜に増水した“お吉ケ淵”の上流(稲生沢川)で、 投身自殺したとされる。

その遺骸は二日間、誰として引き取りも無く、野晒(のざら)し されたままであったとか・・・。

実に悲しいことです。

 

それを知った宝福寺の住職である、竹岡大乗師が人夫2名を雇い、引き取った 3月27日を命日としています。

「唐人お吉」については、このことを元に“お芝居”や“映画”で採り上げるよう に”「唐人お吉」の墓参りをして、“供養”するのが通例となっているようです。

 

過去、 坂東玉三郎さん、佐久間良子さん、など、たくさんの俳優達もそうです。

なかでも、太地喜和子さんという女優さんをご存知の方も有るかと思いますが、この 方は、不幸にも公演期間中に下田の海の近くで、自動車事故により、海へ転落して亡くなっています。

“因果関係”はともかくとして、太地喜和子さんは、産みの親も知らない境遇で育っています。

「唐人お吉」も七歳で養女に出されていますが、共に親の愛情を受けることの少ない、貧因の環境では、 いた仕方が無いとしても実に可哀相なことです。

おしまいに、宝福寺の住職が言われていることをご紹介します。

 

「唐人お吉」の悲劇的生涯は、私達に“人間が人間を殺す”「偏見」と、「権力」その 奥底にひそむ罪の可能性と、愚かさを身を以って教えてくれるような気がします。
 

171■ 私に存在を示す者


■ノンノン:2004年2月11日<水>

昔7年前、アルバイトをしていたころに体験した話です。

 

その日はいつもの様に会社に行き、朝のお掃除をして席につきました。

担当は「受付」です。会社入り口は全面ガラス張りです。

この会社はR246という大きな通りに面して立っているため、 受付の者は、ふと正面を見た瞬間に 歩行者の人と目が合ってしまったりするものです。

 

受付に座っていると、いきなり耳元に複数の「鈴の音」がシャンシャンと 響いてきました。

有線が壊れたのかな?けれども有線はいつもの様に 「癒しの曲」が流れています。

鈴の音は、私の耳元だけで聞こえるのです。しかも音にエコーがかかった様なスローテンポです。

異常な事と気づき、立ち上がろうと前を向いたとき、歩道に4~5人の通行人が あり、 その中に普通の人とは明らかに違う人を見つけてうろたえました。

 

30代か40代位の「男の人」で、その人1人だけが、まるで顔中絵の具で塗った様に青白いのです。

映画「ゾンビ」か「キョンシー」と同じです。昼間にそんな人を見かけたら普通は驚くでしょう、 ところが周りの人たちは皆、無反応です。 もしかして皆見えてない? 怖い映画の主人公は、よせばいいのに確認しに行き捕まりますよね。

怖いなか、私は間違いである事を確認すべく、受付の外の歩道へ。

 

壁からそっと顔半分をのぞかせて20Mほど先をみました。それと同時に男性が振り返ったのです。

彼は私がそっと覗いた事をわかっていました。

なぜなら、振り返って私を探したのではありません。 振り返った彼は初めから私を観ていたのです。

しかも「俺を観ていたな!」と言わんばかりに不気味な笑顔で。

人間業では、ありません。 それが鈴の音とどう関係があるのかわかりませんが、私は恐怖のあまりうずくまりました。

 

彼からは、とても恐ろしい邪念を感じました。例えるなら「善」の力の正反対の存在です。

彼の存在を知った私は、同時に「善」の存在もあるのだと悟りました。 あれ以来、彼は現れません。

172■ 娘が見たもの


豆菊:2004年322日<月>

004年3月20日お彼岸の中日の夜。

子供達と先にお風呂に入った旦那は既に布団に入ってました。

2歳の娘は布団の廻りをちょこちょこと駈け回って居りましたが九時近くなり眠気が差して来たようで 旦那が自分の布団をめくって娘を誘いました。

ところが娘は「大きなワンワンがいるからはいれない」って言だすのです。

旦那「居ないよ~一緒に寝よう」

娘 「ワンワンねんねしてる・・・」 そう行って決して旦那の布団に入らないのです。

いつもそんな事は無いのに。

私「ワンワン何色?」

娘「・・・・・」 布団の側に散らかっていた黒赤青白茶のブロック を見せ、

「ワンワン何色?」尋ねると茶のブロックを差すのです。

実は一ヶ月ほど前13年一緒の愛犬が死んでしまっているのです。(毛色は茶色) はじめてのお彼岸に帰って来てくれたのでしょう。

私達夫婦には見えないのが大変残念でなりません。

173■ 騒霊
■ゆりか:2004年5月26日<水>

週末・・明日の会社のことを考えなくてもいい、一番充実した夜・・・

必ず夜更かしをして、楽しみしている映画のDVDを鑑賞し、1週間の ストレスを解消します(^^;)

この日も、溜まっていた映画のDVDを観終わったのが確か・・AM3時頃?! さすがに年なので、お肌の事も考え、ベットに入りました。

私は本当に寝つきが良く、特に眠たくなくてもベットに入れば5分もしないうちに 眠りに入る事が出来ます。

ちょうど、自分で眠りに入った感覚が察知できる瞬間だったと思います。

その音とは、壁を「ドンドンドン」と男の方が思いっきり力を込めて、たたいている音です。

床も思いっきり足で踏み鳴らしているような音もしていました。

怖いながらも、どこから鳴っている音だろうかと、耳をすませました。

(本当は怖いのと、ものすごく大きな音なのでガタガタでした・・・)

やはり寝室の隣の部屋から、こちらに向かって叩いているとしか思えません。 意を決して、電気を付け、ドアを開けました。

不思議な事なのですが、電気を付けた瞬間に音も鳴り止んだんですよ! 我が家はマンションなのですが、高層なので壁は全てコンクリートだし・・・・ その上、隣の家からの騒音だとは考えられない位の大きさでしたのです。

朝になって、試しに壁を叩いてみました。

やはりコンクリートなので、音がこもって響きません。 床も同様でした。

一体なんだったのか?それから一切、この様な事は起こっていないのです。

ただ・・お墓参りを怠っているので、呼びに来たかな?とは思いました。

174■ 息の音が聞こえる


■Chisa:2004年11月21日<日>

私の霊感?みたいなのは中学校1年生の頃からあるみたいで、その頃の話。

当時私は神奈川県の米軍基地に程近い街に親の転勤で引越し 築年数の非常に古い4軒の外人ハウスが並ぶ一画の外人ハウスに住んでいました。

その外人ハウスに暮らすようになり地元の中学校生活にも慣れてきた頃、 何だか夜中に目が覚めるようになりました。

毎晩決まって目が覚める時間帯が夜中の2時でした。

時計の針を見ると目覚ましをかけていないのにきっかり2時に目が覚めるという現象が1ヶ月にわたり 続いていた頃、頻繁に金縛りにも遭う様になりました。

実はその外人ハウスが4軒あるうちの家の隣は火事で消失していて、 空き地状態になり敷地の中がジャングルのようにうっそうと茂っていたのですが、 私に割り当てられた部屋の横がその火事のあった家があったはずの敷地に面していたのです。

ある晩、いつものように2時に目が覚めてしまったのですが なんか怖くて怖くて仕方がなかったのですが、私しか部屋に居ない筈なのに もう一人誰かが息をしている音が聞こえてきたのです。

もう静かな夜中に私以外の誰かの息をする音がそれも小さい音ではなく大きく聞こえてくるのです。

それは起きてる間中聞こえてくるので布団を頭からかぶって耳をふさいだのですが まだ聞こえています。

あまりに息が聞こえてくるので仕舞いには怒りがこみ上げてきて私は起きだして 自分の勉強机の上に置いてあったラジカセを取り出して空のテープを仕込み録音のスイッチを押しました。

そうすれば明日の朝両親に変な息の音を聞かせることが出来ると思ったからです(^^;)

今思うと幼稚なんですがそのときは真剣でした。 いつの間にか寝てしまい次の日録音テープを聴き直したのにそのなぞの息の音は録音されていませんでした。

別の日はその部屋で寝ていて体が重いと思ったら体がぜんぜん動きません。

私の上をなぜか平安時代にいるような姿の女の人が私の体に覆いかぶさるようにして乗っていました。

凄く重くて怖いし早くどいて欲しかったのですが学校の友達にお経を唱えるといいよと言われていたのを 思い出し

「南無阿弥陀仏」を心の中で繰り返しましたら、さっと引いていったような気がします。

その頃を境に頻繁に金縛りになることが多くなりました。

175■ 引っ越し先の最初の夜


■Chisa:2004年11月21日<日>

高校生になってからは両親が外人ハウスの借家ではなくそろそろ家を買おうと思い始めたらしく、 両親はかねてからの憧れの地

(太陽族の世代)湘南は鎌倉へ引越しを決め 私が高校2年になってから鎌倉の鶴岡八幡宮の直ぐ傍の一軒を買い夏休みに引っ越しました。

その場所もいろいろ曰く付きらしく両親が家を買ったのはちょっと高台なのですが 、その小山のふもとに大きな空き地があって当時は古い松の木が一本植わっていました。

私たちは自分の家に帰るときは必ずその空き地の横の道を通らなければいけません。

引っ越してから近所の人の話ではその空き地は家が建っていたのだけど火事で 消失して松の木だけが残ったらしいとかその土地は鎌倉時代は罪人の処刑場だったとか 色々聞いたのですが...

松の木を取り除いて何かを新しく建て直そうとするとその業者に不幸が起きるとかいう噂があって とにかく古松はそこに植わっていました。

(でも私にはそこは何も感じなかったんですが)

話は横にそれましたが私がその家に引っ越した夜まだ箱も山積みの状態でしたが 、一日では片付けきらないので夕飯を食べてTVを見たあと寝ることにしました。

家族構成は両親、私と弟2人 みんなそれぞれ古くて新しい家の割り当てられたそれぞれの部屋に行き、床につきました。

外人ハウスは間取りが大きかったのでベッドに寝ていたのですが、鎌倉の家は私の部屋が小さかったので ベッドは置かずに布団に寝ていました。

初めての鎌倉の家の夜。両親の買った家は風致地区といわれ、市役所の許可なく 高い木々を切ってはいけないことになっています。

八幡宮の景観を損ねないようにということらしいのですが、常に外は木々で鬱蒼としていました。

特に両親が買った家は海からの潮風が通る風道に建っているので風が通ると木々が大きく揺れます。

かなり気味悪く感じていたのですが、みんなが寝入った頃、私は目が冴えて眠れませんでした 。

そのうちに馬の蹄の音とイナナキが聞こえ始めて家の横の道を大勢の馬の蹄が地響きを鳴らし 通っていくのが聞こえました。

やっぱり・・・と私は思いました。やはり聞こえてしまうのです。

それからは蹄の音はしなくなったのですが、毎晩夜中の2時と3時には八幡宮から 大きな太鼓の音が聞こえてきます。

夜中になんで鳴らすのかな?と思って両親や弟に聞いても彼らには聞こえないらしいです。 で、思い切って八幡宮を直接訪ね、ちょうどその太鼓が鳴っているときに神主に この太鼓が夜中に聞こえてくるのですが夜中に何故太鼓を鳴らすのか理由があるなら 教えて欲しいと聞きましたら

「いや、この太鼓は夜中には鳴らしません」 という返事が返ってきました。

でも確かに私には聞こえますし、実際時々日本に里帰りして鎌倉に滞在すると やはり夜中に聞こえてくるんですよね。

本当に神主さんが私を騙してるんだと真剣に思いました。

近所の仲良くしているお宅のお父さんはやはり見える方らしく、この石段を上がっていくとき 10人くらいの侍が待ってると言うんです。

時々落ち武者みたいなのがいるとも言っていました。

父が庭木を切ってるときも誰かが自分を突き落とそうとしたとも言っています。

母も木々のなかに青白い武者の顔を見たと言っています。

弟は何も見たことがないようです。

私の夫はアメリカ人ですがやはり聞こえるようで、今はなき松の木のあった空き地から家の方へ 歩いていくときに木々から色々声が聞こえるんだけど、日本語だから解らないそうです(笑)

176■ 風鈴の鳴る部屋
■塚人:2004年11月30日<火>

金縛りのお話は、不思議ですが、 私も同じ様な経験があるのです。

 

やっぱり中学生の頃、 “金縛りにあって目が覚めるとぴったり朝の5時” というのが長い期間続きました。

一度は天井を銀色に光るさざ波が流れるのが見えて、 すごく綺麗だった憶えがあります。

目を開けたら目の前が天井でびっくりした事もありました。

あれは中身だけ上に浮いてしまったのでしょうか?(^^;)

 

その部屋も、 夜中に冬でも風鈴の音が聞こえる変な部屋でした。 (勿論、家にも近所の家にも風鈴はなかったのです。)

私の場合は目が覚めるのが朝の5時でしたので、 目覚ましいらずでとても便利でした(笑)

177■ 犬が見ていたもの
■チェリー:2005年1月23日<日>

昨年11月に15歳11ヶ月で死んだ我が家の愛犬ブッチはお散歩が大好きでした。

老衰であまり歩けなくなっても日に二回の散歩を欠かした事はありません。

途中で何度も座り込んで休みながら、 たっぷりと45分以上かけて、いつもの散歩コース、玉川上水緑道を歩き続けました。

死の数日前までそれは続き、死の前日、歩けなくなっても抱いて散歩道に連れて行ってもらうと、嬉しそうに周囲を眺めていました。

雨の日も風の日も、散歩が何より好きだったブッチは、いつも家に帰りたがらず、少しでも散歩を延ばそうとします。

老犬になって心臓発作で倒れても、心配する私をよそに意識が戻るとすぐに、また私を引きずるように歩きはじめました。

そんなブッチが16年近い年月の間にたった一度だけ、散歩を自分からやめてすぐに家に帰ったことがあります。

まだ元気な頃で、心臓発作を起こしていた訳でも、足腰が弱っていたのでもありません。

いつものように散歩に出た夜道で、家からわずか1分も行かないうちに突然立ち止まってしまったのです。

「どうしたの?」 声をかけてもブッチはじっと、すぐ先の十字路の街灯の下辺りを見詰めたままです。

人でもいるのかと見てみましたが、ぼんやりと街灯の明かりが照り返しているだけで、誰もいません。

「さ、行こう、」 促してブッチを引っ張りましたが、足を踏ん張ってびくとも動きません。

決して臆病な犬ではありませんでした。近くで 雷が鳴っても、すれ違い様に大きな音で車がパンクしても、いつも平然としていました。

大きなグレートピレニーズや、グレートデンにも、一緒に遊ぼうとして突進していく、豪胆というよりちょっとお調子ものの犬でした。

そのブッチが全身に警戒を顕わにして、前方を伺っています。

「おいで」 と、何回か引っ張ってみましたが、全く動かないので、私も不安になってきました。

「じゃあ、帰る?」 試しに来たばかりの道を家の方に折り返すと、ブッチはすごすごとついてきます。

あの、散歩好きのブッチが!!・・・信じられませんでした。

そんな訳で、その日はあっという間に散歩終了になりました。

ブッチは不服な様子を見せることもなく、家路につき、さっさと玄関に入ってしまったのです。

あの時、ブッチは一体何を見ていたのでしょうか?

私に見えないものを見ていたと言うのでしょうか?

きっとあの時、ブッチは、危険に近付かないように私を守ってくれたのだろうと思っています。

178■ 新館


■チェリー:2025年7月1日<木>

娘が通う都内某女子大にこの春、新館が完成した。

大きくて立派な施設なのだが、「出る」と、もっぱらの噂だ。

何人もの人が「白い影」を目撃しているのだと言う。

元々古い学校なので、図書館横のトイレなどは怖いような雰囲気が漂っているらしいが、出来たての新館にまで「出る」のには理由があるらしい。

数々の目撃証言の中でも一番信頼のおける史学科の生真面目な教授の話では、新館が建つ前その辺りにはベンチがあったのだそうだ。

そして、そのベンチ付近で以前から「白い影」が目撃されていたのだと言う。

どうもベンチの撤去と新館建設を機に、「白い影」も新館に引っ越ししたらしい・・・

新館建設のおかげで出る場所が、目立たないキャンパスの片隅のベンチよりも、人の密度の高い建物の中となり、却って人目に触れる様になってしまったとは皮肉なものだ。

時とともに移り変って行く環境、・・・緑が消えたり、ベンチが無くなったり、建物が建ったり・・・・

どんなに変わろうと、同じ場所に在り続け、時折人に目撃される「白い影」、

何故、その場所なのか、誰なのか、・・・知る術も無いが、一体どんな未練や思いをそこに残しているのだろうか・・・

179■ 隠れた名所
■チェリー:2005年7月4日<月>

先日、ひょんな事で、地域の人達とお茶を飲む機会を得た。

その中に昭和35年(1960年)からこの地に住む古い住人の方が2人いらして、お話を伺う事が出来た。

 

元々は生活共同組合の分譲地で、庶民にも手の届く安い住宅地を目指して分譲されたのだと言う。

しかし、昭和35年当時、畑ばかりで何も無いこの地には電気も水道も無く、まず、電線や水道を引く工事を役場に交渉する所から生活は始まったそうだ。

電線も水道も自分たちでお金を出し合って引いた。

するとその後から急に住人が増えたので暫くは新住民から水道、電気の工事費の一部を負担金として徴収していたのだそうだ。

そのころの玉川上水は人工の用水路とはいえ満々と水を湛え、蛍が群れ飛ぶ清冽な流れで、ひとたび落ちるとまず助からないので「人食い川」と呼ばれていたと言う。

太宰治が入水自殺したのも、ここからずっと下流になるが(三鷹付近)この玉川上水で、実は玉川上水は隠れた自殺の名所だった。

しかも、その方の話では人が飛び込む決まった「ポイント」があったのだという。

畑の中に続く上水の緑の道、そこはどこも同じように見えるのに、飛び込みがあるのはいつも決まった場所。

何故か人はその場所に吸い寄せられるように飛び込む。

彼女の家がその近くなもので、飛び込みがある度、近所総出で救出用の自治会のロープを持ち出し、大騒ぎだったそうだ。

(あまりに自殺が多いため、彼女達の住む自治会には救出専用のロープが備えてあったのだ)

「とにかく、自殺が多かったわ、もう嫌になるほど。」と、古老は当時を語る。

今まで野良仕事をしていた農家の若いお嫁さんが、鍬を放り出すと急に上水に向かって走り出して、そのまま飛び込むのを目撃したこともあるそうだ。

実は、数年前久々に同じ場所で飛び込み自殺があった。

しばらくの間、花がそなえらえていて、

「ああ、ここが・・・」と、複雑な気持ちになった。

今は水位も低く死ねる程の川では無いように見えるのだが、お年寄りだったので助からなかったそうだ。

何のへんてつも無い遊歩道になった玉川上水。 その同じ場所で今も人が飛び込む。

ところで、何も知らなかったのだが、数年前の飛び込み自殺以前から、私はその場所辺りが怖い。

犬の散歩も夕方はそちらの方向を避けている。

少し先の対岸にはテニスコートがあり、夜も明るいのだが、何とも云えない淋しい感じがして、 テニスコートから先の公園までの間が私には怖いのだ。

テニスコートや公園の辺りは近くに大学がいくつかある。

「良く大学生も飛び込んだねえ」 と、古老が話されるの聞いて、 「やっぱり・・・」と妙に納得しながら、長年の疑問が解けた気がした。

180■ 掃除時間に
■椿姫椿:2005年8月29日<月>

私の学校は戦後すぐ建てられたもので、結構怪談話が多いんですが、 私が聞いているものはどこでもあるような話だったので実際体験したお話を書きます。

 

掃除の時間の時の話です。

私は他の人よりいつも早く掃除場所へ行ってみんなを待っているのが毎日の習慣なんです。

で、その時の掃除場所っていうのが学校の一階にある理科室の横のトイレだったんです。

いつものように少し早めにそこへ行ってみんなを待っていたんですが、出入り口のドアが開いて後ろを誰かが通っていく気配がしたので、 誰かが掃除に来たと思って後ろを振り返ると誰もいなかったんです。

で・・・何か寒くなって、もうすぐ掃除が始まるって知っていたのに教室にそのときは逆戻りしたんですね。

もともとその場所は嫌~な感じがしていたので、なんか昔あったのかもしれないと思って仲がよかった先生に次の日の昼休み聞いてみたんですね・・・

そしたら、何十年か前に一人の生徒がそのトイレの個室で自殺して亡くなったそうです・・・。

 

で、それを知ってまたゾクッてきちゃったものだから今ではそのトイレは用がない限り絶対行かなくなりました。

・・・怖かった。 でも、やっぱりどこかで聞いたような話になっちゃいましたね・・・(汗)

181 隠れた名所で撮れました
■チェリー:200511月26日<土>

今日、いつものように玉川上水に犬の散歩に行きました。

夕方の6時少し過ぎ、180話の「隠れた名所」のまさにその辺り。

普段だったら暗くなったら行かない場所です。

でも、今日は娘と一緒だったもので、二人と一匹なら怖くもないだろうと、気楽に行ってしまいました。 上水に並んで走る道路には結構人通りもあり、まだ早い時間だったので、よせば良いのに、日課の犬の撮影もしてしまいました。

そうしたら、こんな写真が写ってしまいました。 犬の後ろに居た娘を黒く消した以外は手を加えていない写真ですが、無数の水玉のようなものと、左上に明るい白い●が移動したような跡が横切っています。

今日はとても良い天気で、乾燥していて雨や露はありませんでした。 夏と違い、虫も飛んでいません。家に帰って来てぞっとしました。 でも、思い違いか何か原因があるのではと、気になって仕方ありません。 もう一度、娘と犬と確かめに出かけて、ずっと写真を撮ってみました。 一つ、二つの少しの小さな水玉なら、どこでも写るのですが、この写真の撮れた辺りだとやはり、下のようにどっさり写ります。 何かの反射なのでしょうか? それとも・・・・ 写真に詳しい方がおられたら、こんな写真の写る原因を教えていただきたく思います。

特に上の写真のすぐ前を横切っているような明るい白い光は、不思議で仕方ありません。

私はカメラの他、手に何も持っていなかったし、明るいものが横切った記憶も無く、何か写り込むとは考えにくいのです。

上水のこの辺りを暗くなってから通るのは止めようと思いました。

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カメラをやっている友人に見てもらったら、空気中に漂っている花粉のようなものにフラッシュの光が反射したのでは?とのことでした。 その根拠として、レンズに近いものほど、光の輪が大きくぼやけけていることをあげていました。 左上の大きな光は指が写ってしまったのでは?とのことです。 また、今回の写真の現象について、95%はこれで霊写真ではないと説明できますが、 残り5%の他の可能性については確証はありませんとのことです。 ただ、友人も、アノ写真を観たときの第一印象でオーラ的なモノを感じなかったのも理由の一つなのだそうです。

(ジンママ様)

あれは「オーブ」と呼ばれているものですね。 近年、レンズの小さなデジカメの普及で、急にクローズアップされてきました。 森や林、廃屋など埃や虫の多いところでよく写るみたいです。 修学旅行で布団の上で暴れた後に撮った写真にも大量に写ったことがあるそうです

(MP様)

上の写真について、お二方より上のようにご教示いただきました。 確かに小さな光の群れは記録的な少雨の続いた後なので、舞い上がった土ぼこりが見せたものという気がします。 ただ、手前の白い大きな光については、指では無いと思います。 というのは、MP様のご指摘のようにレンズが非常に小さく(直径7ミリ弱)指先が僅かにかかっても画面の殆どを塞いでしまうからです。 試しに数枚同じような条件で、写真を撮ってみたのですが、どうしてももっと大きく指の肌色が写りました。 他にも街灯、車のヘッドライトなど、考えられるあらゆるものを撮ってみたのですが、あのように真っ白く写り込む事はありませんでした。(チェリー)

182■ カーナビ


■MP:2006年1月21日<土>

去年の夏、大阪に住む義理の妹が新車を買った。

8月の中旬、小学生の息子を乗せて塾へ送ろうとした時のこと。

エンジンをかけると同時に、カーナビが起ち上がって 現在の地点を表示する。

「どこ?ここ」 助手席の息子が不審げな声をあげた。 妹は息子の指差すカーナビの画面を覗き込んだ。

自宅周辺の地図ではない。

「○○町?」 次の瞬間、画面は現在位置を示す大阪市内の地図に変わった。

帰宅してから夫にカーナビの設定を触ったか訊いてみた。

ペーパードライバーと化している夫は、運転席にも座ったことがないし カーナビも触っていないとのこと。

「そうか、お盆だもんね…」 妹は、そう考えて納得することにした。

○○町は淡路島にある。 その年の初めに亡くなった祖母が住んでいた町だ。

「でもね、実はまだ行ってないのよ。お墓参り」

正月に遊びに来た妹は笑いながらそう言った。

さすがは我が妹(義理だけど)

183■ 幽霊屋敷?


■敦子:2006年1月25日<月>

今から、8年位前のことです。

友人と夏休みを利用して、2泊3日の予定で 岩手の小岩井農場へ旅行に行きました。

その時期は、お盆でした。

私達の泊まった宿は、広々として宿の人も親切でしたが、牧場のそばにも拘らず宿泊客は私と友人 そして、中年の夫婦だけでした。

他の宿は、 客が、いっぱいなのにどうしてだろうと思ったのですが、あまり、気に掛けずに日中は、観光していました。

ゾッとするような、体験をしたのは夜でした ・・

その日、疲れた私と友人はベッドに横になると、すぐに眠ってしまいました。

深夜、私はトイレに行きたくて目を覚ましました。と、その時です。

部屋の隅の壁際に人の気配を感じました。

なんだか、蠢いている 様子です。本能的に「見てはダメ!」と思ったので、私は目をつぶり必死になってソレが いなくなるようにと念じました。

しかし、その気配は、私の側まで来たのです・・ すぐ側まで・・・なんだか、私をじいっと見下ろしているようです。

布団をかぶり早く出て行くように願うしか、私には方法がありませんでした。

やがてソレは、ゆっくり移動して私の上を横切って部屋の外へ出て行きました。

やっと行ってくれた・・ホッとした私は、トイレへ行こうとしましたが寝る前に掛けた筈の部屋の鍵が、掛かっておらず、スーッと開いたので、怖くて、その場でしばらく 立ちすくんでいました。

結局、朝まで眠る事が出来ず、かといって楽しんでいる友人に水をさす事をしたくなかったので、この事は、黙っていました。

(因みに、友人は私が怖いめに遭っている事には、気づいていないようでした。)

もう、この事は忘れよう。そう気を取り直して、私達は、宿の近くのダム湖まで、遊びに 行きました。

そこで、「雫石事件慰霊塔」というものを、発見してびっくりしました。

「雫石事件」。年配の方は、ご存知かもしれません。

私は、あまり詳しくは知りませんでしたが、実家の父によると旅客機と自衛隊機が空中衝突をし、旅客機の乗員は全員死亡し、 空から人が降って来る様子がはっきり判ったそうです。

とても、酸鼻を極めるものだったそうです。

現場は、ダム湖の対岸の森の中で、当時、遺体安置所だった小学校は、今はダム湖の湖底に沈んでいるとのことです。

私は、知らずに事故現場の写真を撮っていました。3枚くらいだったと思います。何故か、そこが気になっていたのです。

後日談ですが、雫石事件の現場は今は「慰霊の森」と呼ばれ、霊感の強い人は、絶対に近づかないそうです。

また、地元の人達もよく 犠牲者の霊を見かけるとのことです。

以上が、私の恐怖体験です。

この体験を境に 時々ですが、首のない制服のような、背広のような物をきた男性の霊を見ることがあります。

怖いのであまり、考えないようにしています。

 

雫石事件 1971年に起きた航空事故で、162名もの方が犠牲になられたそうです。(チェリー)

大阪に住む義理の妹が新車を買った。

184■ 日曜出勤


■MP:2006年8月2日<水>

会社が変わり、職場も変わり、5月中旬に事務所の引越しもした。

今の事務所は出入り口が一つで、部屋が薄い壁で2分されている。

一部屋がEの文字型に仕切られているわけだ。

各部屋はデスクが10台程とキャビネットが置ける程度の広さである。

引っ越したばかりの頃。

日曜日に一人だけで事務所に出てきて仕事をした。

光熱費削減のため、片方の部屋は照明を点けない。

デスク回りの必要な照明だけで仕事をする。

PCのディスプレイが見れればいいわけだ。

窓から光が入るだろって? 残念ながらここは地下2階である。

…… 隣の部屋から物音がする。

足音だ。 コツッ…コツッ… ハイヒールの足音。

ここの事務所にも女子社員はいる。

いつの間にか入口の扉を開けて入って来たのか?

しかし今日は私しかいないし、隣の部屋は照明を落としているはず。

椅子から立ち上がり、壁際まで行って隣を覗いてみた。

真暗だ。

ぼおっとパソコンや書架が見えるだけである。

デスクに戻ってしばらく仕事に没頭した。

「カチャ」 紙バサミが落ちるような音が聞こえた。

隣からだ。 コツッ…コツッ…コツッ… また足音が聞こえる。

しかし先ほどとは様子が違う。 部屋の中を……ぐるぐる歩き回っているのだ。

そしてこちらの部屋との境まで来て、足音は止まった。

仕切りの壁の影にいる。 壁のすぐ向こう側に確かに、いる。

もしそいつが、ひょいと顔を覗かせたなら… 私は顔だけをその方向に向けたまま固まった。

何分間、壁際を凝視し続けただろう… …しかし異変はそこで終わった。

理由はわかった。 しかし今ここには書けない。

で、私はというと…次の日曜日も出勤になりそうなのだ(泣)

185■ 祖父の霊


■敦子:2007年8月30日<木>

大分、前のことですが、不思議な夢を見ました。

 

猛吹雪の雪山をひとりさまよっていました。

どうも連れがいて、はぐれてしまったようでした。

黒い防寒着をきた、消防団らしき人たちが来て、その中の一人が視界の見えない雪の中に入っていこうとする私を、ものすごい力で、つれもどしたのです。

「危ない!そこから先は行くんじゃない。 お前は、いつも向こう見ずなんだから!」

厳しい声に思わず顔を上げると、その人は、 私が、小学生の頃亡くなった母方の祖父でした。

「私たちに任せなさい」 やさしい笑顔で、そういうとそのまま吹雪の中に消えてしまいました。

そこで、目醒めたのですが、もし、あのまま祖父の制止を振り切って、吹雪の中を入っていったら私は、どうなったのでしょう?

 

たかが、夢かもしれません。

ですが、後日再び祖父が夢にでてきました。

 

けれども、表情は、やさしく微笑んでいて 黙って見守るようでした。

186■ 不思議な流れ星


■敦子:2007年8月30日<木>

一週間前ベランダで、夜空を眺めていましたら、 大きな光の玉が、西の空に向かって流れて そのまま、スーッと消えていきました。

飛行機とは違い、流れ星にしては、明るくはっきりみえました。

あれは、人工衛星かなにかでしょうか?

 

人工衛星のホームページを見たのですが、 飛行機より速度が、とても、速かったです。

(説明によりますと、人工衛星は飛行機より流れる速度がおそいみたいです。)

また、現在の住まいから人工衛星が見える時間帯を調べたのですが、 ちょっとあっていませんでした。 写真で、落下するところを撮影したものを見ますと、 尾を引いていくところや、感じが少し似ていました。

 

敦子様のメールより、一部を抜粋)

(人工衛星のサイトをご紹介致しました所、見て調べて下さり、上記のコメントを戴きました。)

不思議な流れ星、・・・正体は何だったのでしょうね、 (チェリー)

187■ 居候


■yuko:2007年12月2日<金>

現在大学生の長女は、小学生の頃から たまに不思議な体験を するようになりました。

小学校の学校の帰りに 青くて透けて見える犬を見たり、 中学では部活帰りで 薄暗くなってくると人の気配がして 足音も聞こえるし 確かに誰かついて歩いてくるのに 何度振り向いても誰もいないとか。

今では 本当にたまにですが、何にも意識をしていないのに 霊がいると様子が急に頭に浮かんでくる時もあるそうです。

現在長女は次女と同じ部屋を使っていますが、 寝る時間が違う時などは、私と一緒に和室で寝る事もあります。

そんなある夜、もう寝付こうとしていると急に長女が

「ちょっと!!」とあわてるので

「どうしたの?」と聞くと

「今、中学生ぐらいの女の子の手が お母さんの布団の 上に見えたよ。いつもは頭の中に画像が浮かぶのだけど、 今は 目ではっきり見えた!」と言うではありませんか。

えぇ~~! もう寝ようとしているのにイヤだなぁ・・・・と考えていると 昼間の出来事を思い出しました。

その日は 地震などなかったのに北側の部屋にいた夫と次女は

「今 震度いくつだったのかな?テレビで速報をやっていない?」と 聞いてきたのです。

その時は、なに寝ぼけた事を言っているのか と聞き流したのですが、 今思うと 一種のポルターガイストだったのではないでしょうか。

その夜はそれだけで眠りについたのですが、 3日後に、長女が今度はリビングで一点を見つめジーッとしているので どうしたのか聞くと、

「今 女の子のスカートか 洋服の一部がひるがえったのが見えた。」 と言うのです。

あーまだ うちの中にいるのかしら。

特に悪い仕業を起こさなくても 一番安心できる家の中に 誰か分からない人がいると思うと いい気持ちはしません。

不安になった私はチェリーさんに相談し、教えてもらったように 私たち家族は何も知りません。 あなたに何も出来ません。どうぞ ここから立ち去ってください。 と 心で念じ 何度かお願いをしてみました。

それからは何事も無く、家の中で長女が霊の姿の一部を 見ることもなくなりました。

188■ 観音様の由来


■チェリー:2008年11月16日<日>

私の家に程近いT市、青葉町(仮名)に、青葉町団地(仮名)と呼ばれる団地があります。

その敷地内にある木彫りの十一面観音像にまつわるお話です。

 

その観音像は円空仏の流れを汲む、質素で暖かいプリミティブな魅力を感じさせる仏様で、木製の立派な祠に鎮座まします。

手入れが行き届いた祠にはいつも花が手向けられていて 、いかにも地元の人に愛されているといった風情です。

良く通り掛かる道の傍にあり、何となく馴染みはありましたが、その由来については詳しく知りませんでした。

この程、思いがけず縁あって、関係の方から詳細を聞く事が出来ました。 不思議なお話なので、書かせていただきます。

 

観音像は、今もお元気な、今年91歳になられる男性が、31年前に彫ったものだそうです。

その像を彫る事になったきっかけは辺りに、「オバケが出る」という噂が立った為でした。

噂は広がり、お化けを見たという人が後を絶たなかったので、何とか騒ぎを静めようと、彫刻が趣味のその方が仏様を彫る事を思い立ったのだそうです。

 ところが、彫り上げた十一面観音をお化けが出るという噂の場所に安置しようとして草刈り等準備を始めると、何とその辺りから人骨が出て来たのだそうです。

それも、3体も。

警察も出動する大騒ぎになりましたが結局、とても古い人骨で、事件性はないと判断されました。

何も伝えられていませんが、大昔行き倒れになった人だろうと言われています。

3体と言う事は、家族だったのでしょうか。

発見された人骨は、お坊様にご祈祷戴き供養され、納めるべきところに納められたそうです。

 

知らなかったのですが、霊の出る心霊スポットとして昔テレビで紹介された事があるとも聞きました。

数年前まで、その祠の前だけ道路が拡張されなかったため、そこだけ道幅が狭く、妙な具合に道が曲がっていました。

鬱蒼とした木々に囲まれていた事もあり、いかにもいわく因縁がありそうな仄暗い雰囲気を醸し出していたものです。

けれど、今は道もまっすぐ整備され、茂り過ぎた木々は刈り込まれて明るく見晴らしも良くなりました。

 

道路拡張に伴い祠も少し移動しましたが、有志の方の手作りで小さかった祠は立派な物になりました。

(元々の祠の場所は今や拡張された道路の下ですが、事故やたたり等は聞いた事がありません)

いつでも綺麗な水やお花が供えられ、周りには季節の花も植えられています。

近所の子供やおつかい帰りの年配の方が観音様に手を合わせる姿も時折見かけます。

暗い感じは微塵も無くなりました。

皆に愛される赤い涎掛の十一面観音像が、花の中で、静かに微笑んでいます。

 

無縁仏を慰めたありがたい観音様は、地域の住民をも見守ってくださっているようです。

189■ 逢う魔が刻


■チェリー:2008年11月16日<日>

すぐに書こうとメモしておきながら、すっかり遅くなってしまいました。

2008年2月20日の水曜日の夕方のことです。

 

早番のバイトから帰って来た娘の運転で近所のスーパーに買い出しに連れて行ってもらいました。

家を出てすぐの上水沿いの道は道幅が狭く、対向車がある時はどちらか一方が少し拓けた場所で待機しないとすれ違えません。

この時は、何故か対向車がひっきりなしでT時路の角に寄ってやり過ごす事を繰り返していました。

まるで何かに邪魔されてでもいるかのように一向に進めません。

車を数台やり過ごしたところで諦めて、その横道に入り、目的地を変えて別のお店に行く事にしました。

ついてません、何となく嫌な感じ。

逢魔が刻というんでしょうか、出掛けにつまずいたせいか、薄暗い空に不吉な感じが漂っている気がします。

「こんな時は無理をしないで、事故に気をつけなければね、」

と、娘と話しながら、助手席に座っていましたが、幹線道路に出てしばらくして、娘が声を上げました。

「あの車、絶対事故車だよぉ!」

「えっ、どの車?」

別に壊れた車とすれ違った訳でも無いので、娘が何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。

娘があらぬ方を見ているのが気になって、私は横道から出て来ようとしている車が停まるのか強引に来るのか、そればかり気にしていました。

「あの、現状販売15万、の張り紙のあった車」

と、娘。どうも私が 見過ごしたのは中古車販売店の前に並べられた車の中の一台の事のようです。

「ぶつけた跡とかあった?そんなにボロかったの?」

「ううん、人が乗ってた。・・・運転席に小柄なおじさんが。」

「 ・・・えっ、・・・」

「初めて見ちゃった。居たよね、・・・嘘~、嫌だ、見間違いだよ、きっと。・・・いやだよ~!!」

早口で喋り続ける娘。

薄暗いのに、何故か運転席に座っているおじさんが見えてしまったと娘は言います。

「なんで、見えちゃったんだろう、・・・ぼんやりと、ただ、座ってた。」

 

帰り道は、また同じ道を通らねばなりません。 見たくないけど、見たい。

帰りがけについついそっちの方を見てしまいました。

本日の営業を終了した中古車販売店、その人気のない真っ暗な駐車場。

私には、「現状販売15万」の張り紙の白いボックスカーが停まっているのが、かろうじて見えただけでした。

190■ 気になる事


■MP:2009年8月30日<日>

先日のこと、A君はあるイベントの帰りに、同行した友人B君を愛車で家の近くまで送り届けた。

車は白のプリウス。実は親父の車なのだが。

そのまま帰路につき、自宅付近まで帰って来たときB君からの連絡が携帯に入った。

財布をダッシュボードの上に置いたままだと言う。

あったあった。でも家の近くまで帰ってきているし、夜も遅いので明日朝一番にB君の家まで届けるよ、と言って携帯を切った。

翌朝、B君の家まで車を飛ばしたが、彼の家は本通りから路地に入り込んだところにあるようだ。

昨晩、送り届けたあたりを徐行していると、路地からおばさんが出てきた。

道を尋ねると、そのおばさんはなんとB君のお母さんだった。

しばらくして、B君から携帯に電話がはいる。 財布のお礼のあと『早朝からデートかよ』とB君。

え?なんのこと? B君の話によると、お母さんはB君に財布を渡しながら

「あの子がA君?白い車に乗っていたけど。

助手席に女の子乗せてたわ。彼女かしら?」赤い服を着ていたという。

その後この話は「プリウスの赤い霊」として友人たちの間に、あっという間に広がったという・・・

まぁ、よくある他愛も無い怪談話ですよね(笑) でも私にとって、とても気になるコトが・・・

じつはA君とは私の息子なんです・・・。

191■ 腰さばり霊


■トリコ:2010年4月29日<木>

今か先日の早朝のことです。

前の晩、遅い夕飯の後、食休みしてたらリビングで爆睡。

夜中に起きて、お風呂に入って家事を片付け、 朝方3~4時ごろ床についたんです。

(最近ありがちなダメダメパターン)

いつもはそのまま7時すぎまで絶対起きないのに その日はまだ夜明け前に、いきなり目が覚めてしまいました。

何かが腰にしがみついて、じわじわ締め上げてくる夢を見て びっくりしてガッと目が覚めたんですが ベッドの上で起きた後も、何かがしがみついてる感触が しばらく続いてたんです~!(≧皿≦)

そのとき、最近目が凄く疲れてるせいか 薄暗い天井いっぱいに、何かにょわにょわした 黒とグレーのマダラ模様が動いてましたが それは目眩の時なんかに目の中で見える 靄みたいなものだと思います。

何いまの!? 何!? 眠いんだけど!寝てもいい?寝るよ! と思ってすぐ再び入眠したんですが(爆) 久しぶりに夜中にバクバクしました。(^^;)

夢自体、ふだんあまり見ない方なので珍しいし ほんとうにビックリしました~。

一体なんだったんでしょう。 これはいわゆる夢魔?思春期の人たちが見がちなあの。

でも、トリコもう気分はとっくに枯れ木なので、 欲求不満ではないと思うんです!(≧.≦)

このところお勤め先で、本来の検査の仕事が途切れて 他部署から回ってきたCADでの編集(図面描画)の仕事が 珍しく何日も続いてるんです。

検査はすごく煩雑なチームワークなので トリコ向いてなくて、いつも精神消耗が激しいんですが 編集は基本個人プレー。

すっごく集中できて幸せ(*´▽`*)。 でも1日座りっぱでモニター凝視だし、 集中しすぎて目・肩・腰・首の疲れが半端ありません。

思わず知らず体の疲れがたまったんでしょうか。

それとも、ここ半月ほど 家と会社以外の場所に足を運ぶことがなくて フラストレーション感じてたので それがゆがんで出てるんでしょうか。

とにかく10ん年ぶりのスビリチュアル?体験でした。(・..・:)

ちなみに「さばる」は岡山弁で しがみついてぶら下がる、みたいな意味です。

192■ いらっしゃいませ


■チェリー:2010年11月16日<火>

大学を出て初めて社会人となった新卒のA君が就職したのはカード信販会社です。

A君が就職する前に一度倒産しかけ、親会社はあの「どうするア〇フル~♪」に変わっていました。

可愛い犬のCMのヒットなどで、世の中の「サラ金」に対するイメージはぐっと明るい親しみ易いものになっていた頃の事です。

その後、強引な取り立てや、カード破産する若者の増加が社会問題となり、件のCMが打ち切りになった所から見ても、当時の信販会社の現実はかなり厳しいものだっただろう事が窺えます。

摘発された後は派手な事は出来なくなったようですが、その頃は貸し付けも取り立てもばりばりやっていました。

さて、そんな会社で新入社員のA君が経験した怪異とは、・・・

 

 社内では「未収者」と呼ばれて他のお客様と区別されている顧客群があります。

耳慣れぬ言葉ですが、ローンの支払いが途絶えてしまった人達を指す業界の言葉です。

返済を迫って、その未収者に連絡を取っていくのも仕事の一つです。

彼らは、大概いくつものローン会社から借金をしている多重債務者で、借金まみれの人ばかりです。

夜逃げ同然に転居してしまった者も居れば、居留守を決め込む者もあり、連絡を取れない事も少なくありません。

 そういった音信不通の人に連絡をしようと辿って行くと、「死亡により連絡不能」と言う状況に行き着くことがあります。

自暴自棄の荒んだ生活の末の病死、自死、事故死、・・・・・カードローン地獄の果てに忽然と人が消えているのです。

社会の片隅で隠れるようにひっそりと生きていた債務者は未収者リストから外れ、信販会社から存在が消えるとともに、世の中からも忘れられていきます。

 

未収者が「死亡」して取り立て不能になっても新入社員のA君に直接関わる訳ではありません。

「ああ、そうなのか」と、思う程度で死は日常の中に埋没していきます。

特に気にするでもなく過ごしていたA君ですが、気持ちの悪いことが一つありました。

 

深夜残業していると、「現金自動貸し付け機」が、

「いらっしゃいませ」

と、無人の空間に突然反応するのです。

人影はどこにもありません。

まるで、目に見えない誰かが、死んだ後までお金の工面に来ているようです。

 

残業で疲れ切ってデスクのコンピューターに向かう深夜、

煌々と明かりがついた「現金自動貸し付け機」

その人工音声ががらんとした店内に朗々と響きわたります。

「いらっしゃいませ」

その場に不似合いな明るい女性の声は、余計に孤独と闇を引き立たせるようです。

しまいには慣れっこになってしまったそうですが、それでも静まりかえった中響く

「いらっしゃいませ」

の声には、幾度となく驚かされたそうです。

193■ぼんたん


■チェリー:2016年2月17日<水>

  友人のFさんのお話です。

 Fさんは月1回の「老人とのお食事会」に関わるボランティアを、もう20年間一緒にやって来た仲間で、お互いに良い所も悪い所も知り抜いた気の置けない友人です。

 性格は私とは正反対、元々人に対して関心が薄く、他人に接する時、すぐに心に壁を作ってしまうネクラな私に対して、彼女は飛行機で隣の席に乗り合わせた人とも、降りるまでの間に十年来の知己のように親しくなってその後も文通を続けるような、そんな人好きで明るい人です。

 

 Fさんは長崎県は平戸の生まれです。

 平戸は島で、隠れキリシタンの地だったので、彼女は先祖からの土着信仰のクリスチャンなのだそうです。

 お兄さんが家の前の海から魚やウニを獲って来てくれるとか、山からイノシシが降りて来ると、今日はお肉だと皆で喜ぶとか、獲れ過ぎて余った魚と農家の人の野菜を物々交換するとか、彼女から聞く故郷の話はいつも私の中では、憧れの南国の美しい夢のようです。

 この話はそんな美しい話の一つです。

 

 今から8年前の12月12日の夕方の事、その年は庭にある「ぼんたん」の木が特に見事に、たわわな実をつけていました。

皆が夕餉の支度やらなにやらで忙しく立ち働く中、87歳のFさんのお母さんは、手持ち無沙汰な様子でした。

「もうすぐ、ご飯が出来るから、待っちょってね、」

そう声をかけてから暫く後、ご飯が出来たのでいざお母さんを呼ぼうと探したのですが、先刻までその辺りに居た筈なのに、どこに行ったものやら、さっぱり見当たりません。

「大変だ!母ちゃんがおらん!」大騒ぎになりました。

 家には犬がいて、お母さんが犬の餌やりをしていたので、とても懐いていました。

「母ちゃんのところに、連れて行け!」

そう言って、お兄さんが犬の鎖を解くと、犬は迷うことなく一直線に裏山に登って行きました。

 犬に案内されて皆でついて行くと、坂の上の「おばちゃんの家」の前でお母さんが倒れていました。

 おばちゃんの家の玄関の前にはお母さんが持って来たらしい見事な「ぼんたん」が置いてあります。

 心臓が悪かったというのに、南国とはいえ冬の夕暮れのうすら寒い中、大きなぼんたんをいくつも抱えて息を切らして坂道を登ったのがいけませんでした。

ぼんたんを届けた「おばちゃんの家」の前で、お母さんは心筋梗塞で倒れて、還らぬ人となってしまったのです。

「おばちゃん」と呼ばれていましたがその人はお母さんと同じ年頃の友人で、実は数年前亡くなられていて、家は既に無人だったのだそうです。

 お母さんは最近物忘れが増えて、友人が亡くなった事を忘れてしまっていたのです。

 

 大切なお母さんを亡くされたFさんは、

「今はいない人に無駄足の届け物をして、・・・じっとしていれば良かったのに、寒い中何故母は、ぼんたんなど持って行ったんだろう」

と、考えれば考えるほど、無念の想いが募ります。

そんな彼女は、自称「お節介焼き」の、世話好きで、いつも他人の為に忙しく飛び回っては、

「好きでやっているから、楽しいの」と言います。

「お母さんもFさんと同じ気持ちだったんじゃないかな、立派なぼんたんを届けられて、嬉しかったのだと思う。」

と、言うと彼女は、

「母も私と同じ、お節介焼きだった」と、笑いました。

 

 せっかく大変な思いをしてぼんたんを届けに行ったお母さんが、おばちゃんに会えないまま、がっかりして帰路についたのではと気にしていた彼女。

大丈夫、お母さんはきっとおばちゃんと会えたと思うのです。

 天国までぼんたんを抱えて届けに行ったお母さんと、それを笑顔で迎えるおばちゃんの姿、

・・・見えるような気がします。

194■ ひいおばあちゃん


■チェリー:2016年2月25日<木>

 息子が幼稚園の頃の話です。

 

幼稚園でお友達のひいおばあちゃんの話を聞いたらしい息子が

「Hちゃんには、ひいおばあちゃんはいないの?」(Hちゃんと言うのがその頃の一人称でした)

と、言い出しました。羨ましかったようです。

「ひいおばあちゃんも、ひいおじいちゃんも居たけれど、みんな死んでしまっているから、今はいないの」

と、答えると

「それじゃ、Hちゃんはひいおばあちゃんに、もう会えないの?」そう言って、涙声になりました。

アルバムを引っ張り出して来てひいおばあちゃん(主人のお母さんのお母さん)に抱かれた息子の写真を見せながら、

「ほら、Hちゃんはちゃんとひいおばあちゃんに会った事があるのよ、赤ちゃんだったから覚えていないけれど」

そう話して聞かせ、なだめようとしました。

それは、息子が9ヶ月の頃、初めて田舎に連れて行った時の写真で、胃がんで入院していたひいおばあちゃんが退院して来たお祝いの席でのものでした。けれど結局、退院は一時的なものに終わり、程なくひいおばあちゃんは亡くなったのでした。

ひいおばあちゃんには子や孫やひ孫が沢山居ましたが、女の子ばかりで、息子が一人、男の孫が主人一人と、男の子が少なかったので、息子にも特別目をかけてくれていたようです。

大きく引き延ばした息子の写真を田舎に送ると、死の直前の病院のベッドで

「Hちゃん、大きくなった」と喜んでくれたのだそうです。

血とは不思議なものです。そんなひいおばあちゃんの気持ちが通じたかのように、小さい息子は

「ひいおばちゃんい会いたい」と言って、涙するのですから、

 

「死んだ人は、いなくなっちゃうの?」

答えるのは難しい質問ですが、なるべく正直に答えようと覚悟を決めました。

「あのね、お母さんも良く知らないの。人は死ぬといなくなって、何もなくなってしまうと言う人もいるの」

「そうじゃないと言う人もいて、死んだ人は死んだ人のいる所に行くだけで、いなくなったんじゃくて、そこからみんなの事を見ていてくれるという人もいるの」

「でも、どっちが本当か、誰も死んだ後の事は分からないから、お母さんも知らないし、分からないの」

「Hちゃんは、いなくならない方がいい、」

「お母さんもその方が嬉しいけど、良くわからないの」

「死んだ人の行く所はどこにあるの、どこに行っちゃうの?」・・・・口の達者な息子はなかなか論理的に追求してきます。

「死んだ人の行く所は地面の下にあるっていう人もいるし、海の向こうや、雲の上とか空とか山の高い所だって言う人もあって・・・色々、

「ふうん・・・・」

 

やっと息子は納得したようで、それ以上ひいおばあちゃんに会いたいとごねるのは止めて、外に出て行きました。

家の横の空き地で遊んでいます。

 

しばらくして、息せき切って息子が駆け戻って来ました。

「お母さん、お母さん、本当だった!!」嬉しそうな声をあげて、興奮気味に何事か報告してきました。

「何?」

「ひいおばあちゃんっ!本当だった!!」

「????」

「Hちゃんうれしいな、ひいおばあちゃんが、笑ってた、」

 

・・・なかなか意味が分からず、よくよく聞いてみると、一人で遊んで居て、ひいおばあちゃんはあの辺りに居るかもしれないと空を見上げると、光る雲の上にひいおばあちゃんの顔が見えて、自分を見て笑っていた。雲の上には死んだ人が行く所があって、そこから自分たちを見ていてくれるというのは本当だった、というような事を、少ない語彙の幼い言葉で一生懸命説明してくれました。

・・・お母さんはあの時も今も、息子が本当だったと断言した天国の存在を信じられないでいるけれど、こんなに慕って泣いてくれる可愛いひ孫の為になら、例え死んでしまっても見守って、泣かなくて良いよと、笑顔くらい見せてやりたい気持ちなら、心から共感する事が出来ます。

195■ ゴロー


■チェリー:2017年3月28日<火>

怖い話ではないので、ご免なさい。私が独身時代の随分昔の事です。

 その頃私はある小さな事務所でアルバイトをしていました。会社では、昼休みの1時間は、外に食べに行くのも事務所でお弁当を食べるのも自由でしたが、狭い事務所に閉じこもっているより外に出掛けた方が気持ちが良いので、ほぼ外に食べに行っていました。

 昼休み時間は、ギリギリまで近所を散策したりしたものです。と言っても、会社の近くはごく普通の住宅街で、楽しみと言えば庭に咲いている季節の花を見るくらいしかありませんでしたが。

 そんな中、私は近所の1匹の犬と顔見知りになりました。その犬は、紀州犬より少し大きい茶色の雑種で、とても人なつこく、通りかかると、キラキラ目を輝かせ、尻尾を振って、全力で遊んで欲しいとアピールしてくる様子が可愛い、まだ若い犬でした。

 その家の玄関先に繋がれた犬をかまうのが日課になりました。犬の方でも待ってましたとばかり、鎖を一杯に伸ばして走り寄ってきます。

ピンと立った耳が凛々しく、尻尾もくるりと巻いた、日本犬らしい特徴の犬でした。

「おまえはやんちゃ坊主の顔つきをしてるから、きっと男の子だね、・・・名前何ていうの」

犬が答える訳もありません。ふと、勝手に呼ぼうと思いつきました。

「名前、名前・・・」

好奇心の塊のような黒々とした犬の目をじっと見詰め、考えます。

「ジョンとかラッキーはしっくりこないな、やっぱり日本男児かな、・・・・タロー、ジロー・・・」

ふと、閃きました。

「ゴロー!そう、ゴローって顔してる!」

それからは、ずっとゴローと呼んでいました。ゴローと会ってから何ヶ月も。

ある日、ゴローをかまおうとしてその家の奥さんが玄関先にいるところに鉢合わせました。

「あ、ご免なさいあんまり可愛いので(勝手にゴローと呼びかけてなくて良かった!)」

「いえいえ、まだ子供なものですぐじゃれついちゃって」

人好きのする方で、そのまま色々とお話しました。

ゴローはまだ1歳を超えたばかりの男の子でした。

(やっぱり、やんちゃ坊主だった!・・・そうだ本当の名前も伺っておこう、慣れちゃってて、もうゴロー以外はピンと来ないけれど、)

「わんちゃんのお名前は何というんですか?」

「ゴローです。」

「ゴローちゃん!!」

​不思議でした。

ゴローに名前を聞いたあの時、ふいに心の内に名前が閃いたのは、ゴローが私に教えてくれていたからなのかしら。

196■ お迎え


■チェリー:2019年7月28日<日>

 母の義兄の話です。

 2011年2月に母が86歳で亡くなってからもう8年がたちました。

1人の兄と5人姉妹の中で、母は下から2番目だったので年の離れた一番上の姉が亡くなったのはもう随分と昔の事です。

享年は母より少し上くらいだったと記憶しています。

私が覚えているのは、のんびりとした鷹揚な感じの伯母でしたが、あまり行き来も無くなった晩年は認知症を発症して連れ合いである伯父がずっと面倒を見ていたようです。

 もともとおとなしい性格だった伯母は、粗暴になったり暴れたりすることも無くて、ぼんやりと過ごす事が多かったようですが、長年連れ添った伯父の事が判らずに「私の旦那様がこんな年寄りのはずがない」と言ったなどという逸話を残しています。

 若いころの伯父は色白で彫りの深い顔立ちのハンサムだったので、伯母の頭の中にはそのころの面影が刻まれていたのかもしれません。伯父にしてみればショックだった事でしょう。伯母より幾つか年上だった伯父にとって、90歳を過ぎての老々介護は苦労の多いものだったろうと思います。

 伯父は常々、

「こんなものを残して、俺は死ぬに死ねない」

と言っていて、その言葉通り最後まで伯母の面倒を見てその数年後安心したように亡くなりました。

 亡くなる前も90代にしては元気でしっかりしていたので夏バテで入院したのですが、そのまま亡くなるとは子供達をはじめ、医師や看護師も思ってもいませんでした。

 入院してからは、いつも子供たちが病室に通っていました。ある日伯父の次女(私の従姉妹)が父親のところに顔を出すと、看護師さんが

「お父様は霊感の強い方なのですか?」

と、不思議そうな顔をしています。

事情を聞くと伯父が盛んに

「病室の入り口の脇に死んだばあさんが立っている。」

と言っていると言います。

今まで一度もそんなことを言ったことが無いのに、死んだ母親が今も入り口のところに立っていると聞かされ、妙なことを言い出したとは思ったのですが、それ以外はしっかりしていて呆けた風でも無く、病状が悪化したわけでも無いので、従姉妹は少し気にかけながらも帰宅しました。

 夕方はそんな感じでいつもと変わらない様子だったのに、その晩から伯父は急に意識不明になりました。そして、そのまま意識が戻ることなく亡くなったのです。

「今思えば父が言ったように本当に母がお迎えに来ていたのでしょうね、」

と、従姉妹は言います。

 生前ずっと面倒をみてくれた夫が迷わないように、伯母は道案内に現れたのでしょう。

 老いた肉体を離れた魂は、老いのもたらす全てのものから解放され、肉体の衰え、精神の衰えとも無縁になったのでしょう。

 痴呆症も無く、伯父のことがわからないというようなことも無くなり、きっと若やいだ姿で伯父を迎えに来たのだろうと思います。

197■ 彷徨う者


■チェリー:2019年8月12日<月>

K県H塚市の警察署に長く勤められた方に、主人がお話を伺う機会がありました。

伝聞ですが、記憶が新しいうちに書き留めておきたいと思います。

H塚警察署内には廊下を挟んで少年房と婦人房があります。

房のあるその廊下を通ると、人の気配がしたり、視線を感じたりする事があるのだそうです。

勿論、監房に誰も入って居ない時になのですが、そう感じていたのはこの話をして下さったAさんだけではありません。

署内の多くが同じような違和感を、それもかなり度々抱いていたと言います。

ある時、少年房に一人の少年が入っていました。

婦人房の方は無人です。

Aさんは婦人房を背に少年と向き合う形で廊下に立ち、格子越しに話をしていました。

その時です。話す少年とAさんの間を何者かが勢いよく「だだっ」と、通り抜けて行ったのだそうです。

びっくりして、二人共思わず弾かれるように飛び退いたと言います。

その走り抜けて行った何者かが、以前から感じて居た気配や違和感の元凶だったのかどうかは、わかりません。

H塚市には戦時中、海軍関係の軍事工場が 沢山ありました。

そのため太平洋戦争末期に米軍によって大規模な空爆が行われ、辺りは焼け野原と化しました。

犠牲者は二百数十名とも、三百数十名とも言われています。

H塚警察署のある辺りは空爆の中心地でした。

戦後も長くなりました。

戦争を知らない世代が大勢を占めるようになった今も、空爆で亡くなられた方達はこの地を彷徨っているのでしょうか。

今もH塚警察署の横にある空き地は海軍技術研究所の跡地なのだそうです。

198■ おじいちゃん


■チェリー:2020年3月10日<火>

 これは、2012年4月12日に79歳で亡くなった義父の話です。

 主人のお父さんは60歳の頃胃癌で胃を全摘しました。手術後の癒着のせいで度々腸閉塞を起こし体力も無くなり,、病気に苦しめられた晩年でしたが、兼業農家の工場の社長としての責任感からずっと仕事を続け、農作業もこなして、一生懸命頑張った人生だったと思います。

 その他にも、都会で生まれ育った私にはあまり解らない田舎のしきたりや一族の本家の長としての責務があって、お寺の檀家総代としての仕事等、色々忙しくしていたようです。

 元々、人付き合いの好きな明るい人柄でお茶目なところがあり、遊びに行くと

「一緒に飲もう〜〜!!」

と、嬉しそうにグラスとビールを用意して歓待してくれたのを思い出します。

 我が家の子供たちの事もとても可愛がってくれ、長男の長男である息子と、四人いる孫たちの中でたった一人の女の子である娘の成長を楽しみにしてくれていました。

 息子が結婚したのは2009年2月の事で、四人の孫達の中で初めての結婚でした。

 おじいちゃんはとても喜んでくれましたが、新たに病気が発覚して結婚式には出られませんでした。頭痛に悩むおじいちゃんに、なんと脳腫瘍が見つかったのです。16年前の胃癌は完全に治癒したと見做され、脳腫瘍は胃癌の転移では無いと言う事でした。

 胃癌の手術で入院中に同室になり仲良くなった友人達は全て亡くなり、16年を生き残ったのは自分だけだと言っていたおじいちゃん、

「今度も病気と闘ってきっと生き残る、あと2年か3年は石にかじりついても、沢山の管に繋がれても生きる。」

「結婚式には出られないけれど、おじいちゃんもひ孫を見られるよう頑張るからね、」

そう言っていたおじいちゃん。

  お見舞いに病室を訪ねると、同室の人が今は会話もできず食事も一人で食べられなくて介助を受けているけれど、手術前は普通に何でも出来ていたのだと言い、脳を切除するのがいかに恐ろしいかを語っていました。それでもおじいちゃんはどこまでも前向きで、勇敢で、

「きっと元気になって退院してみせる」と、毅然としていました。

  おじちゃんの脳腫瘍は良性かもしれないという一縷の望みも虚しく、悪性の可能性が高く、入院中にもどんどん大きくなっていました。

 手術は無事成功しましたが、脳の大事な部分にも広がった腫瘍を全部摘出する事は出来ず、通院して放射線治療を受けることになりました。

 退院してきたおじいちゃんは少し忘れっぽくなりましたが、大きな人格的変化や麻痺もなく、寒くなると手術した頭の傷が痛むと言って毛糸の帽子を被って、普通に家での生活に戻りました。

 病気をしても、おじいちゃんは嘆いたり不平不満を言う事は無く、本当に立派でした。定期的に腫瘍の状態を経過観察していましたが、腫瘍が大きくなるとガンマメスで再手術すると言う事が2度あり、その度に少しずつ何か失なっていくものがありました。

 それでもおじいちゃんは、家族に迷惑をかけまい、楽しく残された人生を過ごそうと決意しているようでした。

 老人施設のバスに乗って通所し、毎回「今日は楽しかった」と、帰って来ました。

家に居てもする事が無く、散歩に出て迷子になって家族に迷惑をかけたりしてはいけないと気遣っているようでした。

 明るくお茶目な人柄はそのままで、会いに行った時、お寺の行事で使う簡易型の袈裟のようなものを掛けて仏壇の横で仏様のポーズを真似て立っていて、主人が「何してるの」と、聞くと

「仏様になりました。」と、答えて後から、

「ちょっと、仏様になる練習をしていた。」と、いたずらっぽく笑いました。

 2度目のガンマメスの手術を受けた後は、夢見ているようなボンヤリとした状態が増えました。手術後入院していた病室で真面目な顔で数日前の古新聞を読んでいたおじいちゃんは、お見舞いに行った主人に、

「別に古新聞で構わないのだ。忘れるので、いつでも初めてのように何回でも同じ新聞が読める。」と、言っていたそうです。

その頃、いつもは明るいおじいちゃんが、

「看護婦さんに意地悪される」

と、言って怒り、悲しむので、見かねた主人のお姉さんが成人した子供達や夫と離れて実家に戻り、父親を介護する決心をしました。

 残念ながら、プロである看護師さんや、ヘルパーさんによる患者への虐待と言うのは本当にあって、特にボケ老人に対しては、どうせ覚えていないので何をしても言いつける事が出来ない、又は何を言っても信憑性が無いので誰も信じない、妄想だと言って突っぱねる事が出来る、と言う理由で、横行しているというのがボケた母を介護していた私の体験からも言える事実です。(勿論、素晴らしい方も沢山いらっしゃるのですが、)

 お姉さんも、おじいちゃんがそれほどボケていない事を知っていたので、最後の日々を自宅で心安らかに過ごせる様に、自分が面倒を見る事にしたのです。

 お姉さんには私も主人もお義母さんも、とても感謝しています。何より、愛する娘に寄り添ってもらったおじいちゃんが一番幸せだったと思います。おじいちゃんは住み慣れた家で医師や看護師の訪問を受けながら心安らかに暮らし、少しずつ病気が進行していきました。

 そんな頃、息子夫婦に待望の赤ちゃんが授かりました。楽しみにしていたおじいちゃんが知ったらどんなに喜ぶか、ひ孫に会うために、もう一頑張りして病気と闘ってくれるかもしれません。勇んで、7月の後半になる出産予定日を田舎に報告しました。

 お姉さんは何度も何度もひ孫が出来た事をおじいちゃんに話し、すぐ忘れてしまうおじいちゃんだけど、

「多分、解ったと思う。とても、喜んでいる」と、心強く話してくれました。

 おじいちゃんの様子はそれほど変わりなく、徐々に弱ってはいましたが、もしかしたらひ孫の誕生を知らせることが出来るかもしれないと、私たちはなんとなく楽観的な気持ちになっていました。

 そんな3月のある夜のことです。その晩は何故かお腹の赤ちゃんが動き回って眠っていられない程で、最初は気にしていなかった息子の奥さんのK子さんも、だんだん心配になってきました。胎動はよくありましたが、そんな風に長時間活発に動き続けたことは無かったのです。

 夜中のことで、息子はぐっすり眠っています。不安になったK子さんは息子を起こしました。

「赤ちゃんがずっと動いていて、心配なの、どうかしたんじゃないかしら。」

深い眠りについている息子はなかなか起きません。

「・・・大丈夫、何も心配要らないよ。おじいちゃんがついていてくれて、守ってくれてるから。」

寝ぼけながら、息子がやっとそう答えました。

 その時、息子はずっと夢を見ていたそうです。と言っても、何か映像が見えていたわけではありません。

「おじいちゃんは、ずっとみんなを見守っているからね、H君(息子)や、K子さんや、赤ちゃんのことをずっと守っているからね。」

誰かが繰り返しそう言っているのを聞いていたそうです。

「おじいちゃんって誰だろう、・・・数年前に亡くなったK子さんのおじいちゃんが来たのかな?」

「僕のおじいちゃんは二人とも亡くなってないし・・・」

まさに夢枕に立つというものだったので、息子は亡くなった人が会いにきたのだと思ったのです。

 まさか自分のおじいちゃんが、そこまで病気が重くなっていたとは考えつきませんでした。

翌朝田舎から、前夜遅くおじいちゃんが急に亡くなったという知らせが届きました。

少しずつ病気が進行していたとはいえ、介護していたお姉さんやお義母さん、お医者さんも予期していなかった急な死でした。

慌てて駆けつけた私たちが見たおじいちゃんはやつれてもおらず肌の色艶も良くて、安らかに、まるで眠っているようでした。

一生懸命介護したお姉さんの手柄です。

 おじいちゃんは、楽しみにしていたひ孫に会いに来たのでしょう。まだ神様のようなお腹の赤ちゃんと仏様見習いのおじいちゃんの魂はきっと通じ合えたのだろうと思います。それで赤ちゃんもパタパタ喜んで動いていたのでしょう。

 息子にしっかり思いも伝えて、大したものだなあと思います。

そして、最後の最後まで息子達の事を思ってくれて、ずっと見守っていると言ってくれたおじちゃん。その思いに胸が熱くなります。

■ 両親を送って


■チェリー:2022年1月18日<火>

 2011年2月に母を見送り、その翌年の7月、息子のところに女の子が生まれました。

 2019年10月に父を見送り、その翌年の9月、娘のところに男の子が生まれました。

 私にとっては、ずっと待ち望んでいた孫たちです。それは息子夫婦、娘夫婦にとっても同じで、まさに待望の赤ちゃんでした。

 命はこうして、受け継がれて行くもの、一方で死んで、一方で生まれる。

 当たり前の事なのですが、どうしても母が、父が、くれた新しい生命という気がしています。

199■ 母

 霊感体質だった母が亡くなって、もしかしたら色々な事が起きるのではと思っていましたが、何も未練は無かったのか、あっさりと母はいなくなってしまって、私は気配を感じる事も無いと、妹に話すと、妹は、

「いつも傍にいてくれるのを感じる」と言います。

 妹はお母さんっ子で、母は妹をとても可愛がっていたので、すぐに妹の傍に行って、守護にまわってしまったのだなあ、と納得しました。

でも、一度だけ母が私のところに来てくれた事がありました。

 私は楽天家で、あまり落ち込んだりしない性格なのですが、その時はとても辛い気持ちでいました。

「会社の健診でひっかかった・・・もしかしたら、腸の手術をしないといけないかもしれない」と息子が言うのです。

結婚して3年目、まだ赤ちゃんもいなくて、腸のポリープが悪性だったら・・・心配で、不安に押し潰されそうな気持ちでいました。

 その時、玄関の方から気配がして、私が寝ている布団まで母が近付いてくるのが分かりました。

母は無言で、軽く私の肩先を布団の上からぽんぽんと二度叩いて、 

「もう妹の方に行ってやらないと」

と言う感じで、忙しそうに妹の家のある方角に飛び去って行きました。」

ぽんぽん、だけで

「安心しなさい、何も心配することは無い。赤ちゃんも生まれ、ポリープは良性だ」

と母が教えてくれたのだと一瞬で全て理解しました。不思議な体験です。

 私は心から安堵して、実際全てその通りになりました。

 ポリープは簡単な内視鏡手術で済み、赤ちゃんが出来たと息子から連絡が来ました。

​「知ってた」と、思いました。

 ついでに、その子が女の子なのも知ってました。

 妹にかかりきりの母ですが、私がすごく辛い時は力を貸してくれるのですね。

200■ 父

 父は生前「死んだら何も無い」と言っていました。本気でそう考えていたかは、わかりません。

母が霊感体質なのに対抗していたのかもしれませんが、

「幽霊が見えるなんて、頭がおかしいんだ」とまで言っていました。 

 父は99歳で亡くなりました。いつも年に2回、ゴールデンウイークと秋に父を中心に集まる会を設けていたのに、秋になっても何も言ってこないし、父の夢ばかり見て気になっていたのですが、亡くなる数日前まで普通に畑仕事をこなして過ごしていた様で、前兆を感じさせるものはありませんでした。

 意地を通して病院に入院することもなく、自由に生きた、満足な人生だったのだと思います。

「死ぬのはなんとも無いが、会えなくなるのが寂しいな、」と、死の前年に言っていました。

他には、思い残すことは無かっただろうと思います。

 父が亡くなって1週間か、10日後くらいの事です。

 我が家の2階には母が占有していた部屋が二つあります。東と西の和室です。その二つの部屋を行ったり来たり、歩き回る足音がします。

 主人は会社に行っていて家には私一人だと言うのに誰かがいるとしか思えない音が続いています。

廊下を通って部屋と部屋をミシミシ、ドカドカ、バタバタ、グルグル、時々、階段まで降りて来ている音がして、思わず本当に誰かいるのじゃ無いかと、見てしまう程です。 

 父に違いありません、何か探しているのでしょうか、・・・

「いやいや、そんな未練は無い筈、何かを伝えたい?」

 気が付きました。自分の存在を伝えたいのだと。

「死んだら何も無いなんて言ってたけど、そんな事なかったでしょ、おばあちゃんの方が賢かったね!」

 洗濯しながら、大きな声で2階に話しかけました。

​ 洗濯物を干す頃には2階には誰もいなくなっていました。

 年明けすぐに娘から赤ちゃんが出来たと知らされました。

「知ってた」・・・多分、娘も知っていたでしょう。

 その子が男の子なのも分かっていたように思います。

 

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